皆さん、こんにちは。
また寒くなってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
先日、人身事故で足止めを食らってしまいました。
普段まったく利用しない駅で、その時に限って利用したのです。
運が悪かったですね。
世の中を観察すれば、いわゆる「運」のような概念がないと説明しきれないことは本で説明した通りです。
原因不明なことは運のせいにしてしまえばいいので、便利なものです。
運が悪いことが続いたとしましょう。
少し理性的な人に相談しても、今の科学で説明しようとするので、どうしても無理やりな感じがします。
そこで宗教や占いに頼る、というのもよくある流れです。
運を操作している存在を「神」のせいにして、かくして神への信仰がはじまるわけです。
運について、仏教では「因果の法則」というもので説明します。
つまり、悪い結果を受けたなら、それは自分が過去に行った悪い行為の結果であるというわけです。
ですので、人身事故の例でいえば、遭遇した私自身に本質的な原因があり、事故を起こした人はきっかけに過ぎないのですね(縁という)。
注意が必要なのは、仏教は自由意志の存在を認めている点です。
ですので、正確に言えば、何かを選択したということは、過去の悪い行為によるものかもしれないし、自由意志によるものなのかもしれないのです。
このあたりは少し難しい話なので本を読んでください。
ちなみに、仏教では神の存在を否定しているわけではありません。
しかし、人生における重要なことにおいて神は不要です。
昔は「火」や「雷」も神とされていました。
科学が発展するにつれ、神の範囲は狭くなり、やがては重要な存在ではないことが明らかになるでしょう。
ところで、事故を起こした人は多くの人に迷惑をかけたわけですが、何もお咎めなしでしょうか。
そうではないですね。
1000人に迷惑をかけたら、それに応じた1000人分の悪い結果を受ける、それが因果応報というものでしょう。
エネルギー保存則があるように、因果関係が死後にも相続され、ついてまわるのです。
自殺して逃げきれたわけではないのですね。
そういったことも考える必要があるのですが、自殺するような人に、そんな余裕はないでしょう。
ですので、苦しみが大きくなる前に考え、対策を取る必要があります。