人工知能と殺生

皆さん、こんにちは。

ゴールデンウィークですが、いかがお過ごしでしょうか。

死に祝日は関係ないので浮かれないようにしましょう。

さて、世間では人工知能が流行ってますが、関連して「生命とは何か」といったことが論じられていますね。

仏教では「生命の本体は阿頼耶識」と説いています。

いわゆる「魂」です。

どれほど人間のような見た目になろうが、阿頼耶識がなければ、人工知能は生物にはなれないというわけです。

将来的には、心の科学が進むにつれ、阿頼耶識の有無も測定できるようになるでしょう。

仏教は殺生罪を説いています。

言うまでもなく「生き物を殺す罪」ですが、今の人工知能ロボットをいくら壊しても殺生罪になりません。

ちなみに、植物も生命ではないので、いくら切り刻んでも殺生罪にはなりません。

一方、単細胞生物を1匹でも殺せば殺生罪です。

この意味で、「高度な人工知能は単細胞生物1匹にも及ばない」ともいえます。

それほど阿頼耶識の有無は大きな違いなのですね。

ただ、仏教は生物の命の価値を同じだと見ていません。

たとえば、同じ人間でも、高位の悟りを開いた人を殺す罪の重さは、普通の人より重いと説いています。

「悟り」というと、怪しい宗教家が主張する怪しい言葉になってますが、実在する世界です。

私の本の中では、悟りと種(しゅ)との関連について書きました。

人間は動物から進化したわけですが、「人間の次にあたる生命体がいるのではないか。それを昔の人は悟りと表現したのではないか」といったことを書いたわけです。

ここで今回のメルマガを終えようと思ったのですが、ちょうどこんなニュースを目にしました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/493919766b21aaaa5e058adb93bc8723a505ca7f

「福島民友新聞社:川俣シャモの長~い丸焼き 70人が全長50メートルに挑戦」

こんなことをされてシャモが嬉しいわけがありません。

同じ生命という視点を忘れてはなりませんね。

因果応報を知っているだけに、こういうニュースを見る度に、逆に焼かれる側になる姿を想像します。

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