座学か行学か

皆さん、こんにちは。

世界各地で戦争が勃発してますね。

戦争に限らず、病気・天災etc.環境はますます悪化するそうです。

これが仏教の末法説です。

他の星でも似たような流れなんでしょう。

短期的には改善されているように見えても、広い視点では悪化していくということですね。

「持続可能な社会」にする心がけは大切ですが、地球もやがては滅びる無常なものであることも忘れないようにしましょう。

さて、本でも書いたように、人生は自己を知ること以外やることはありません。

自己とは「自分の心」ですね。

仏教の一切は自己を知る方法を説いているのであり、そのエッセンスを本に書いたわけです。

極端なことを言えば、自己がわかれば座学だけでもいいのです。

しかし、「行動しないと自己はわからない」ということが、すぐにわかるでしょう。

心は見えないのでわかりづらいですが、自己を知ることは激しい闘争です。

いろんな人が言っている通りです。

「山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るのは難し」(与楊仕徳薛尚誠書)

「自らに勝つことこそ、最も難しい勝利」(アリストテレス/哲学者)

「自己に打ち勝つことは勝利のうちで最大のものである」(プラトン/哲学者)

「運動のほうがなじみ深いし、男らしい。何かをしているという実感がある。ところが、静かに瞑想するのには、ある人の言葉によれば『女々しい感じ』がある。瞑想は、外からは何もしていないように見える。しかし、本当は瞑想とは力強い行動的なプロセスなのである」(ディーン・オーニッシュ/カリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部教授)

「『気づき』を促すためであれば、時に大きく感情を揺るがすような攻撃的言動も辞さないほどの姿勢が取られ、まさしく壮絶な苦闘が繰り広げられることもしばしば見られる。『気づき』という契機は、それほどの努力をもってして、ようやく得られる困難な過程であり、またそれほどの努力をしてでも手にするべき、重大なものであるともいえるだろう」(安藤治/精神科医/花園大学教授)

注意したいのは、あくまで、自己を知るための行動だということです。

仏教というと、激しく動きまわって修行するイメージがある人もいると思いますが、あれは行動することが目的になってしまっている間違った修行法です。

主従関係を間違えないようにしなければなりません。

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