心に目を向けよう

皆さん、こんにちは。

4月も終わり、今年も早や4か月が過ぎようとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今回は、「まったく同じ行為をしても人によって違う」という話をしたいと思います。

たとえば、モテたくて仕事を頑張る人と、家族を養うために仕事を頑張る人とでは違います。

外から見ればまったく同じ行為でも、心に目を向ければ、この2人は違う行為をしているのです。

心のベクトルが違うといってもいいでしょう。

そして、本で詳しく説明したように、人生には「正しい目的」というのが存在します。

正しい目的に向かっている人がする仕事と、そうでない人がする仕事は大きな違いがあります。

後者の仕事はゴールの無いマラソンのような行為です。

一方、前者の仕事はゴールに近づく行為になり得ます。

その場合、仕事が仏教になっているともいえます。

何が仏教で何が仏教ではないのか、その線引きは「ゴールに近づく行為か否か」です。

同じことが仕事だけでなく、あらゆる行為にいえます。

食事やトイレetc.生活のすべてが、ゴールに近づく行為となり得るのです。

そのため、昔から「生活即求道」といわれるわけです。

仕事を頑張れば頑張るほどゴールに近づき、オマケとして金持ちにもなれる、こういう世界です。

ただ、外に目が向きやすい人間が内(心)に目を向けるのは難しいことです。

かのトルストイは「誰もが世界を変革することを考える、だが誰も己を変えようとは考えない」と言いました。

女優のマリリン・モンローは「人間は月にまで行こうとしているのに、脈打つ人の鼓動には関心がない」と嘆きました。

将来的には、これまで説明したことが数値化できると思ってます。

学力や運動能力etc.人間の様々な能力が数値化されているように、ゴールにどれくらい近いのかといったことが数値化されるということです。

数字で客観的に把握できれば努力しやすくなるでしょう。

ただ、本人の努力は必要不可欠であり、楽にゴールできるようになるわけではないはずです。

勉強でも何でもそうですよね。

あまり期待せず、今努力してゴールしましょう。

今回説明した内容は主に第2巻で説明したのですが、私が強調したかったことの1つです。

「仏教徒なのに世間事である仕事や勉強を一生懸命やっている」と批判する人がいますが、こういった仕組みがわかってないのです。

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