超心理学は心霊研究の流れを汲んでいますが、心霊研究は「ハイズビルの幽霊屋敷」と通称される事件から始まったといわれています。
1847年、ニューヨーク州の片田舎、ハイズビルという小さい村にフォックス一家が移住してきました。フォックス夫妻には2人の娘、11歳のマーガレットと、7歳のケートがいました。
怪しいラップが聞こえるという噂があったものの、移り住んできたばかりの時は何も異常はありませんでした。
しかし、翌年の1848年になるとラップが聞こえだしました。最初は小さかった音が段々と大きくなっていき、ある時は単なるラップでしたが、ある時は家具をひきずるような音となりました。家族は眠れなくなり、フォックス夫人は病気になるほどでした。2人の娘も怖がり、自分たちの部屋で寝るのを嫌がって両親の寝室に移されました。
そんなある時、ケートが無邪気にもこの見えない相手と意思疎通をはかろうとします。ケートがトントンと叩けば同じように反響するといった具合に応答があったのです。マーガレットも同じようにやってみたら意思疎通ができました。
このやり取りを知ったフォックス夫人は大変驚きました。そして夫人自身が問答してみたところ、この見えない相手が夫人の秘密を知っていたのでますます驚き、驚きを通り越して恐怖しました。
噂を聞きつけた村人が集まり、100人ほどに達しました。
ある村人の思いつきで、アルファベットの文字をラップで指示する方法によって問答が行われました。
こうした実験によって、この見えない相手が霊であること、そしてこの霊はこの家で殺害された31歳のチャールズ・ロスマという男であることがわかりました。他にも、殺害者の名や、土曜日の12時頃に金銭問題を理由に屠殺ナイフで喉を切られて殺されたこと、そして、地下奥深くに埋められていることなど、具体的なことがわかりました。
さらに噂が噂を呼び、300人ほどの人が集まりました。
フォックス夫人はこの件についての報告書の中で、次のように訴えています。
「私は幽霊屋敷や超自然的現象の信者ではない。それについて、そんなに多くの騒ぎがあったことを甚だ遺憾に思っている。それは我々には大変な迷惑であった。こんな時、ここに住んでいたことが我々の災難であった。しかし私は真理が判明し、そして真正なる説明書の作らるることを熱望している。私はこれらの響を説明することが出来ぬ。私の知るすべては、すでに述べた通り、響が繰り返し聞かれたということである」
真相を確かめるべく、1848年の夏に地下を掘ってみますが、証拠となるようなものは見つかりませんでした。
その後も、何度も発掘作業が行われては失敗するという流れを繰り返しますが、事件から56年後の1904年、証拠が発見されます。ハイズビルの幽霊屋敷の地下室で、こっそり遊んでいた子供たちが人骨らしきものを発見したという報告をきっかけに調査してみたところ、地下室の壁との間に、ほとんど全部の人間の骸骨が見つかったのです。これについて1904年11月23日のボストン・ジャーナルは「この発見は、1848年4月11日にマーガレット・フォックスによって作られた契のステートメントを実際的に確証するものである」と報じました。