仏教は「仏の教え」と書きますが、仏とは釈迦を指します。釈迦は35歳で仏の悟りを開き、80歳で入滅しましたが、仏として45年間布教した教えを、今日、仏教と呼んでいます。
そして、釈迦が説いた教えを記録したものを経典と呼びます。ですので、経典を根拠にしていない教えは仏教とは呼べないということになります。
・結集
釈迦の入滅後、仏の教えを成文化するため、500人の記憶力抜群の仏弟子たちが集まって行われた仏典編集会議を結集といいます。
経典を残したのは釈迦の弟子たちであって、釈迦自身が書いたわけではありません。「この教えを残さないといけない」と弟子たちが危機感を抱いたのです。
・別名
数千巻にも及ぶ膨大な量の経典が残されていますが、全体を総称して、「一切経」「三蔵」「一代教」「八万の法蔵」「八万四千の法門」ともいいます。
・大乗非仏説
大乗非仏説とは、大乗経典は釈迦が説いたものではないとする説で、古くインド仏教界にも主張する人がいました。
日本では江戸時代の儒学者、富永仲基がいい始め、現代でも主張する人はいます。
しかし大乗経典は、「小釈迦」とか「八宗の祖師」と評される龍樹を始め、多くの天才が仏説として尊崇したものです。
その作者の素性がまったくわかっていないというのは、あまりに不自然でしょう。
・己証
釈迦の真意を、従来の伝統仏教よりわかりやすく、求めやすくすることを己証といいます。
過去の善知識方の己証のおかげで、求道を最短ルートで進むことができます。仏教は進化しているともいえます。現代の求道者は巨人の肩に乗れることに感謝すべきです。
私の著書でも、現時点での最善の方法を書いているつもりですが、これから科学の進歩等によって、もっと求めやすい方法論も開発されるかもしれません。あるいは、人間のやることなので逆に廃れるかもしれません。
・宗派
日本には様々な宗派がありますが、どの経典を重視するかによって宗派が分かれています。
・真実の経
数多ある経典の中で、大無量寿経が真実の経であり、他の経典は大無量寿経に導くための方便の経となります。
「如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀す。世に出興する所以は、道教を光闡し、群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」(大無量寿経)
(訳:仏は、この上ない大きな慈悲ですべての生物をあわれむ。この世に現れた理由は、真実を説いてすべての生物を救い、真実の利益を施したいと思っているからである)
「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲をもって哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」(大無量寿経)
(訳:やがて必ず来る世に、様々な経は滅んで無くなるが、この経だけは永遠に残るだろう)
「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(教行信証)
(訳:真実の経典は大無量寿経である)
たとえるなら、大無量寿経はビルディングであり、他の一切の経典は金属棒でつくる足場にあたります。足場をつくる目的はビルを建てる為であって、ビルが建ってしまえば足場は不必要になります。