この世は競争社会です。有限の富を一か所に集めれば、不幸になる人が出てきます。豪華な聚楽第や金閣寺の裏には当時の民衆の犠牲がありますが、根本的な仕組みは今も同じです。
ライバルと競争になれば大抵勝っていたというパナソニックの創業者、松下幸之助は、競争相手が潰れていくのを見て、「商売をして果たしていいのだろうか」と悩んだといいます。
合格したと喜ぶ人がいれば、その分、不合格となって苦しむ人が出ます。自分が努力するほど不幸な人も生み出すという現実があるのです。
先進国の豊かな生活の背景には途上国の苦しみがあります。たとえば、映画「ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償~」では、ファストファッションの裏にある途上国の人々の苦しみが取り上げられています。映画の中で、バングラデシュのダッカにある衣服工場で働くシーマは次のように訴えています。
「これらの服は、私たちの血でできています。事故で多くの衣服労働者が亡くなりました。1年前はラナ・プラザが崩壊して、たくさんの人が亡くなっています。私たちにとって本当に辛いことなのです。血でできた服なんて誰にも着てほしくない」
ダッカ郊外で、8階建ての建物ラナ・プラザが倒壊し、死者1,127人、負傷者2,500人以上という大惨事となりました。この事故について、同じくダッカにある衣料品工場主のアリフ・ジェブティクはこう言っています。
「この惨事で最も印象的なことは従業員たちがすでに建物の亀裂について経営陣に報告していたことです。労働者はすでに建物が安全ではないと指摘していたのに中へと戻されたのです」
映画の最後は次のようなナレーションで終わっています。
「私たちは物を消費することで幸せを求め続けるのか?世界が絶望的に貧しくなっているのに、このシステムに満足するのか?服の裏側にいる人々から目を背け続けるのか?」
ちなみに現代は、「富裕層トップ8人の資産が下位36億人の合計」とか「1%が半分の富を保有」などといわれる、いびつな社会構造になっています。
以前、肺気胸になり大学病院で手術を受けた時のことです。その時の担当医が、手を震わせ注射を打ち間違えるわ、手袋のはめ方のレクチャーをその場で受けるわ、と見るからに新人だったのです。注射について「失敗ですか?」と聞くと、「はい、正直に言います。失敗しました」という返答です。
(まさか、この新人医師が手術までするわけないよな・・・)
こう思っていましたが不安は的中しました。ベテラン医師が後ろでレクチャーしながら、この新人医師が手術するという形式だったのです。つまり、早い話が私はこの新人医師の「練習台」となったわけです。
この時の体験では色々なことを考えさせられましたが、その1つがこんなことです。
(名医と呼ばれる人の栄光の陰には、多くの練習台となった人たちがいたのだろうなぁ)
高須クリニックの高須克弥院長は「ものすごくたくさん失敗して初めて、手術の腕が上がるんです」と語っていましたが、失敗させられたほうはたまったもんじゃありません。
この時はさすがに別の医師に代えてもらいました。私が代わった分、別の人を練習台にさせたことになります。
このように名医に救われた喜びの裏には、名医の練習台となった人たちがいます。ちなみに、ジョンズ・ホプキンス大学によれば、「医原病」はアメリカの3大死因の1つだそうです。
もちろん、このような犠牲は人間だけではありません。笑顔の食卓の裏には食材にされた動物たちがいます。薬を飲んで病が治った喜びの裏には残酷な動物実験があります。
このように人間の幸せの背景には、膨大な人や動物の苦しみがあるのです。小説家のロマン・ロランが、「どんな幸福も、他の人間の苦悩を食って生きているのだ」と言った通りです。
そして、こちらでも説明したように、他を苦しめれば、つまり罪悪を造れば、因果応報で相応の悪い結果を受けることになります。
ちなみに、名利を手に入れた人を、人間は心から褒めることがありませんが、こういったことを感じ取っているのが一因でしょう。