現代科学は心は脳の産物だと考え、脳を調べれば心もすべてわかると信じて疑いませんが、心は脳以外にあると主張する人たちがいます。いくつか紹介しましょう。
福来友吉
東京帝国大学助教授で念写の発見者である福来友吉の結論は次のようなものです。
1.過去経験(記憶)は不滅である
2.過去の経験は、脳髄皮質中に保持されているものではなく、霊魂そのものの中に完全に存在している
3.脳は、過去経験を貯蔵する器でなく、過去経験を再現させる喚想機関にすぎない
4.記憶と喚想とはまったく別物である。喚想は脳の活動によって完全・不完全の別があるが、記憶そのものは喚想の完全・不完全によらず常に完全である
5.よって、脳は消滅しても、過去経験は依然として存在している
ベルグソン
哲学者のベルグソンは著書「物質と記憶」の中で次のように述べています。
A.脳は記憶の貯蔵器にあらずして、記憶を呼び出す機関にすぎない。
B.喚想は不完全でも、記憶そのものは完全である。
これは、福来の記憶説の3.4と一致します。
そして、ベルグソンは「肉体の滅びた後に魂が生き残ることを私たちは自然だと思うようになる」と言います。
ペンフィールド
脳の機能地図を作り上げたことで知られる脳外科の世界的権威、ワイルダー・ペンフィールドは「精神とは脳の活動が生み出すものでしかない」という唯物論の命題を証明しようとしましたが、意に反して次のような結論に至っています。
「私は研究者としての生涯を通じて、他の科学者と同じように、心は脳の働きで説明できることを、何とかして証明しようと試みてきた」
「長年にわたって努めた後で、人間は2つの基本的な要素から成るという説明を受け入れるほうが、素直ではるかに理解しやすいと考えるに至った」
「脳の神経作用によって心を説明するのは、絶対に不可能だと私には思える」
「心は、それ自体、基本的な要素と呼ぶべきものである。霊とか魂とか呼び方はいろいろあろうが、要するに実体のある存在なのだ」
その他
「数えきれないほど多くの実験で、人間の意識は自分の脳内に閉じ込められているものではなく、時間と空間を超え、物体の境界をも越えて他の人間や物質に働きかけることができるという意味深い発見を科学的に立証したことになる」(リン・マクタガート)
「私たちが生きている間は脳が心の媒体として働くのであって、心は私たちが生まれる前から存在し、死後にも存続して新たな体に新たな媒体を見つけることができるという考え方が合理的である」
「現代の実例としては、テレビを考えることができる。もし自宅のテレビが壊れたら、画面に映し出される映像を見ることはもはやできないが、テレビは映像を作り出しているわけではなく伝達しているにすぎないので、他の受像機で映像を見るまでの間も、テレビ番組そのものは存在し続ける」
(ジム・タッカー)
「人間の意識について現在われわれにわかっていることを、最も簡潔に、しかも最も論理的に説明できるのは、われわれ1人1人に魂というものが脳の組織とは独立して実際に存在するという仮説しかない」(メルビン・モース/小児科医)
「臨死体験は脳の産物ではない。人間は肉体とは別の意識体をもっていて、その意識体が脳から抜け出すことで死の過程が始まる」(ピーター・フェンウィック/精神神経科医)
「人は死ぬと、別次元の存在あるいは別の状態の意識、死後の生命に入っていきます。それは私たちが今暮らしている地上界のものとは、大きく異なったものです。地上界の言葉では到底表現できないような世界なのです」(レイモンド・ムーディー)
「何千件もの臨死体験を分析し、そこに見られる死後の『生』の証拠を注意深く検討してきた結果だ。私はいま、一片の疑いもなく、肉体的な『死』のあとの『生』が存在すると信じている」(ジェフリー・ロング)
「それまで『自分』とはこの肉体と切っても切り離せないものと信じて疑わなかったが、それは間違いだった。『自己』は肉体から独立して存在するのである。その自己を精神とか意識とか、また魂と呼んでもいいかもしれないが、それをわたしは信じているのではない。知っているのだ。これは、体脱を経験した私にとってもはや疑いようのない真実である。誰が何と言おうと、世界中の人が反対しようとかまわない。これは私にとって真実である」(坂本政道)
「このような研究にもとづき、脳が働いていない間に意識が残り得る、という事実を疑う余地はほとんどなくなってきている」(カール・ベッカー)
「意識は脳の部分ではなく、脳によって生み出されるものではない。意識自体は脳や身体との関連を超えて、深い次元に存在している」(アーヴィン・ラズロ)
「意識や精神は、脳活動の副産物ではないことはますます明らかになってきている。肉体の死後も、精神活動は続いてゆくのである」(マリオ・ボーリガード)
「心的現象の存在、そして心的現象が人間の脳や肉体に及ぼす影響を示す確かな証拠は数多くある。その証拠はまた、人の精神とは肉体の外で起こる現象にまで作用するのだということをも物語っている」(マリオ・ボーリガード)
「証拠が欠けているにもかかわらず、物質主義者や懐疑主義者は、将来科学が証拠を見つけ出し、そのギャップを埋めてくれると信じている。その一方で、脳の外に意識が存在する証拠は豊富にある。意識は、脳内に閉じ込められたかのように振る舞ってはいない」(ドーソン・チャーチ)
「脳と心の関係は、楽器と演奏家の関係と同じようなものだと考えることができます。脳が楽器に、心が演奏家に相当します。楽器の調子が演奏の出来を左右します。同じように、脳の調子が言動を左右します。しかし、楽器の背後に演奏者がいるように、脳の背後には心があるのです。心(意識)は脳が生み出している、あるいは、そこまでいかなくても、心は脳に全面的に依存している、多くの学者はそう考えているようです。しかし、この考えは根本的に間違っている、そう考えるのに十分な証拠が揃っているように筆者には思われます」(大門正幸)
「この20,30年の間、生まれ変わり、霊姿、憑依、体脱体験、死者からの通信といったものに関する証言が、科学的方法を用いて検討されるようになった。こうした研究の成果は、哲学者の立場から見て印象的なものであり、死後にも何らかのかたちで存在を続けるとする考え方を裏づける、強力な証拠となっている。死後の生命という考え方は、最強の懐疑論の猛襲にも耐えられる、というのが私の結論である。死後には何も残らないと考えるよりは、何らかのかたちの生命が存在すると考えるほうが、理にかなっているのである」(ロバート・アルメダー/ジョージア大学教授)
ラズロは次のような話もしているので、ここで紹介します。
「平均的な一人の人間が生涯に経験するすべての知覚、感覚、感情を保存できるような容量は脳にはなく、このことは大きな謎であった。コンピュータ科学者のサイモン・バーコビッチは、一人の人間の生涯の経験すべてを生み出し保存するには、脳は毎秒10の24乗もの操作を行なわなければならないことを計算によって明らかにした。
オランダの神経生物学者ヘルムス・ローミンは、脳内に存在する1000億個のニューロンすべてが関与したとしても、このようなことは不可能だと示した。そして実際、脳内のニューロンのすべてがそのような活動に関わっているわけではない。大脳皮質には200億個のニューロンしか存在せず、しかもその多くは、はっきりした脳の機能を担ってはいないのである。しかしこれは何ら問題ではない。なぜなら、長期記憶は脳の内部に保存されているのではないからだ。長期記憶は体外に保存されているのだ」
3歳の女の子が難治性てんかんのため右半球を切除、その頭部CT写真が公開されました。女の子は手術後に一時言語を失いますが、その後回復し、7歳の時点では言語機能に大きな障がいはないと報告されています。(ランセット,2002)
その他、大人の言語機能の回復例も多数報告されています。
「この分野の専門家であるカッパ博士は、言語機能の回復の説明の1つとして、脳のある部分が担っていた言語機能を別の部分が担うようになるという可能性を挙げています。もし、この考えが正しければ、抽象的なレベルの言語機能は別の次元にあり、その役割を担う場所が変更されただけだということになります。そして、失語症は、言語そのものを失うことではなく、脳内に存在する言葉を、必要な時に自由に取り出す神経回路に、何らかのトラブルが生じている状態だと考えることができます」(大門正幸)
また、同じくランセット(2007年)には、脳疾患を疑って調べたところ脳内がほとんど空洞だったという男性の事例が紹介されています。
無脳症という症状もありますが、人間は脳が無くても生きていけるのかもしれません(もちろん健常者ほどではないにしても)。
そして、神経科学者のアンドリュー・ニューバーグ(トーマス・ジェファーソン大学医学部教授)によれば、霊媒が無意識に意味のある文字を書く、いわゆる自動書記中の脳をスキャンしたところ、筆記という言語活動の最中であるにもかかわらず、言語に関する領域である側頭葉の活動が劇的に減少していたといいます。