すべての人は幸せを求めている
僕たちは幸せになるためこの旅路を行くんだ
(浜崎あゆみ「Voyage」より)
アリストテレスは「誰もが求める究極の目的は幸福である」と言いましたが、すべての人間は幸せを求めています。「幸福論は興味がない」という人は少なくないですが、実は人間最大の関心事なのです。
常に幸せを求めている
それも、意識するとしないとに関係なく24時間365日、常に幸せを求めています。たとえば、トイレに行くにしても排泄したほうが幸せになれると思うから行くのであり、自殺するにしても死んだほうが幸せになれると思うから自殺するのです。
ちなみに、「幸せばかりじゃつまらない」とか「苦しみがあるから人生面白い」などと言う人がいますが、これは本心ではありません。刺激がないからこのように言っているのであり、やはり刺激という幸せを求めているのです。心から苦しみがほしい人間など1人もいないということです。
何で幸せになろうとするか
「幸せは人それぞれ」という人もいますが、人間が求める幸せには共通点があり、だいたい決まっています。
具体的には、金・地位・名誉・仕事・恋愛・結婚・友情・健康・学歴・子育て・家・食・旅行・音楽・芸術・慈善行為といったものを挙げることができます。ほぼすべての人が、こういったもので幸せになろうと、まずは考えます。
幸せの欠点
しかし、これら世間一般で幸せとされるものには次のような致命的な欠点があります。
続かない幸せ
安心できない幸せ
満足できない幸せ
相対的な幸せ
解決できない苦しみがある
不幸になる人を生む
幸せになるという苦しみ(有無同然)
死はすべての幸せを破壊する
幸せになれない
他にも幸福には無数の欠点があります。幸せを追いかけている時は、「これさえ手に入れれば、きっと幸せになれる」ぐらいに思っていますが、どれほど幸せを手に入れようが期待しているような幸せは存在しません。人間は幸せになれないようにできています。
外から見ていると、幸せを手に入れている人を羨ましく感じたり、幸せが実在するように見えますが、いざ手に入れてみると雲のように実体が無いことがわかります。
「青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ」(サルトル/哲学者)
「幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである」(アラン/哲学者)
「この世の生活の幸福を求める私たちの計画は、すべて幻想なのである」(ルソー/哲学者)
「人間はあらゆるものを発明することができる。ただし幸福になる術を除いては」(ナポレオン/政治家)
ドイツの詩人、カール・ブッセの詩に「山のあなた」というものがあります。
「山のあなたの空遠く、『幸(さいわい)』住むと人のいう。ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く、『幸』住むと人のいう」
(訳:山のはるか向こうには幸せがあると人々は言う。それを聞いて私たちは山の向こうへ行くが、そこには幸せはなく、泣きながら戻ってきた。しかし、それでも山の向こうには幸せがあると人々は言う)
この詩のように、「期待するような幸せはないのではないか」と薄々感じている人はいますが、周りの人が「頑張ればいつかきっと幸せが見つかるよ」などと言うので、他に幸せになる方法も考えられないし、「やっぱりそうか」と自分を納得させてしまうのです。
ちなみに、同じように過去も輝いて見えます。実際はさほど楽しいことでもないのに、時間が経つと楽しかったことのように思えるのです。俗に言う「思い出フィルター」です。
作家のピーター・フィンリー・ダンは、「過去は常に、今から見れば実際の過去より美しく思える。過去が楽しいのは、過去が今ここにないからにすぎない」と言いました。ですので、年を取ったりして何も楽しみがなくなると、多くの人が「思い出」に生きるようになります。
京都大学名誉教授の岸根卓郎は、次のように「相対的幸福は、幸福の価値基準には決してならない」と言います。
「財産や地位や名誉などの他人と比較してみて初めて感じる幸福は、基本的には、見た目の相対的な幸福で、それは見せかけの有無同然の幸福であるから、いくら追求しても心から満足できる絶対的な幸福(真の幸福)では決してない」
「では、なぜ相対的幸福はそれを追求すればするほど不幸になるのか。それは相対的幸福には基本的には次のような欠点があるからである。すなわち、どこまで求めても限界がない、いつまでも続かない、最後には必ずなくなる、競争心を煽り立て、他者との争いの原因になる」
無常の幸福は手段
仕事や恋愛など、無常の幸福はまったく価値がないかというとそうではなく、関わり方次第で手段として活かすこともできます。