「リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません 夢がないのに 夢をうることなどは・・・・とても 嘘をついてもばれるものです」
売れっ子のCMディレクターだった杉山登志は、このような遺書を残し自殺しました。
この時代のCMの社会的地位は、今とは比較にならないぐらい低いものでした。評論家の田原総一朗は次のように語っています。
「視聴者にも、CMは番組を中断する、余計なものだ、という考え方があってね。いわゆるトイレットタイム・・・ですね。今でこそ少なくなったけど、昔は、有名なスターのところへCMの出演交渉に行くと、俺を侮辱した、といってね、本当に、塩でもまきかねない有様だった。自尊心など、ディスカウントでたたき売ってやらあ、なんて気持ちでなきゃ、やっていけなかったですよ。この世界では・・・。その屈辱感というのはしかし、この世界でメシを食ったことのある人間でないとわからないだろうな」
そんなCMを「杉山が美しくした」と言う人は多くいます。
「いま、杉山登志のことを変に神格化するような風潮があるけれど、そんなことはナンセンスだとしても、この映像で語るテクニックというのは、いくら誉めても誉め過ぎることはない」(CMディレクターの荒井章)
「スギさんの一番の強みは、ムービー・カメラのノウハウをパーフェクトに体得していたことです。もちろん、仕事そのものが、カメラのことを知っていなければできない仕事だけれど、カメラを、カメラマンを含めて使いこなすというテクニック、あるいは能力というものに関して、スギさんほどの人はいなかった」(コピーライターの秋山晶)
杉山は、かなりの仕事人間だったようです。
年間80本、10年で800本ほどのCM制作を手掛けており、これはつまり、月に約7本、4,5日に1本のペースです。しかも企画からプレゼン、撮影、編集、ダビングまで関わっていたといいます。杉山が勤めていた日本天然色映画株式会社の社長は言います。
「仕事を鬼みたいにやっていましたからね。すべてが仕事みたいに考えて。熱があっても出てきてやる、休みなどとらないでやるといったことで、そういう点では、うちの社員がみんな敬服していて、ついていったですね」
これほど熱心にやっていた仕事ですが、自分の作品の中で好きなものは何かと聞かれた時に、杉山は「ないですね」と答えています。一見すると順風満帆かに見えましたが、杉山自身は苦しんでいたのです。
「ウソをついてもバレてしまう怖さをCMは持っている。制作者として常に悩んでいるのはそこなんです。いやだなぁ、この職業は・・・。しかし、器用じゃないし、悩みを乗り越えて制作を続けて行かなければならないんですね」
「僕という一個人の創造エネルギーにはやはり定量というものがあるでしょうし、エネルギー不滅の法則があるにしても、無限とはいきません。ところが、僕は『一見エネルギッ氏』に見えるために無理を強いられることが多く、いつもエネルギーの使い方にエネルギーを消耗している始末です」(杉山)
そして、自らのキャリアの絶頂の中、赤坂の高級マンションで首つり自殺をしました。37歳でした。
杉山の元妻は言います。
「登志は、世の中の人間関係が汚いということで、悩んでいたわ。会社へ行ったあと、紙くずカゴを見ると、退職届を何枚も書き損じて、まるめてあったりしたわ。登志が、人間関係に疲れていたことは事実よ。でも義理人情を大切にする人だから、それを言われると、弱いんじゃないの」
他にも、杉山が悩んでいたことを聞いていた人がいます。
「遺書の内容に近いことは何回も聞いていました。嘘ばっかりやっててもなあって。それを言っちゃあ、この業界生きられねえだろ、と私だって思う。みんなわかってやってるんだろうと。だけどあの人は、腹が立っても外に向けず、自分に撃ち込んじゃう人で」
作曲家の桜井順は言います。
「彼は最後に自分でやってきたCMの仕事をすべて自分で否定してしまったわけなんだ。普通だったら自分のした仕事は幾分か自己満足を持って振り返りたいもので、それを否定しちゃうのは大変なことなんですよ」
「伝説のCM作家 杉山登志」の著者である川村蘭太は言います。
「夢を売るはずの広告制作者が、その広告そのものを否定するかのようにして自ら命を絶ったのだ」
「業界の人々にとっては、彼の死が自殺なだけにそのショックは大きかった。ある意味で彼の言動は、死を賭した広告への直訴に見えたからである」
そして、川村は次の言葉で本を結んでいます。
「今、私の手元に一通の日天の法人登記簿謄本がある。それには取締役杉山登志雄名に大きく斜線が入り、昭和48年12月12日死亡と記されている。この登志の死が登記されたのは、翌49年1月30日。私にはこの斜線が入った謄本のほうが、その後に噂に上った多くのスキャンダルに満ちた情報よりも強烈であった。人はひとりで生まれ、そしてひとりで死んでいく。その登記簿謄本は、そのことを極めて事務的に語っていた。そのことのほうが、私には妙に悲しく思えた」
若くして高級マンションに住み、高給料で才能も評価されていた杉山でしたが、そういったものでは幸せになれないということを彼の自殺から学ぶべきしょう。