成功者に学ぶ人生の無常<2>奥大介(サッカー選手)

〇サクセスストーリー
奥大介は、1976年、兵庫県尼崎市に生まれました。
小学3年生からサッカーを始め、全国高等学校サッカー選手権大会に2度出場、大会優秀選手にも選出されています。
1994年に、Jリーグに参入して間もないジュビロ磐田に入団、日本代表にも選出されます。
2002年に横浜F・マリノスへ移籍、キャプテンを務め、2003年、2004年とJリーグ連覇を経験しています。
・私生活
2002年には、女優の佐伯日菜子と結婚します。佐伯は、映画「らせん」で貞子役を演じるなど、「ホラー映画の女王」などとも言われていました。周囲からは「おしどり夫婦」と呼ばれ、2人の娘をもうけています。この頃の幸せな様子を、奥と親しいサッカージャーナリストはこう言います。
「長女を出産後、夫人はよく子供を連れて練習場や試合会場に来ていました。あのころの奥選手は人気絶頂で、1億円近くの年棒をもらっていたと思います。2人はいつも笑っていて、とても幸せそうでした」

〇絶頂からの転落
公私ともに順風満帆かに見えましたが、次第に転落の一途を辿ることになります。
・現役引退
日本代表としても活躍したスター選手でしたが、2006年に横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、翌年に横浜FCへ移籍するも同年限りで引退となっています。

・妻への暴力
結婚から3年経った2005年頃から佐伯にDV(ドメスティックバイオレンス)を振るうようになります。
「オレが引退したのは、お前のせいだ」などと責め、佐伯の知人は「何かにつけ日菜子さんが責められていたようです」と言います。
佐伯へのDVはエスカレートし、2013年に脅迫容疑で逮捕されます。戸塚署の関係者は、「日菜子さんは警察に相談するまで相当に我慢を重ねてきたのがわかるほど憔悴していて、緊急性も感じたので、夫の逮捕に踏み切らざるを得なかった」と話しています。佐伯が被害届を取り下げる代わりに離婚に応じ、11年間の結婚生活に終止符を打ちます。

・宮古島でバイト生活
その後、沖縄県宮古島に移り、2014年8月下旬からリゾートホテルの調理補助のアルバイトをしています。

〇人柄の良さ
一方で、奥をよく知る人は奥のいい面も語っています。
「親御さんのためマンションも購入してるよ。確か2000万円台の物件で、もう完済してる。ご両親は働いてなくてバイトしたりするぐらいだから、お金はあまり持ってない。親が上京したり、自分が正月や夏休みで実家に帰るたび、両親に毎回20万円ほどの小遣いをあげていたそうだよ」(地元関係者)
横浜在籍時に奥とプレーしたある選手はこう言います。
「後輩を食事に連れていくなど、面倒見が良い兄貴分だった。選手として悩みを聞いてもらったことがあり、すごく世話になった。こんなことになるとは」
また、奥は現役引退後、ジュピロ磐田時代から16年の親交があったお好み焼き店で働いていますが、そこの店主はこう言います。
「生活に困ってウチで働いていたといわれているようですが、それは違います。週に3日ほど来てくれていましたが、大介さんはいっさいお金を受け取らなかった」
現役を引退してからは、横浜FCの強化部長を務めていますが、強化部長になると、どの選手を戦力外にするかを決めなければならず、その時の心境を次のように語ったといいます。
「『戦力外を伝える際に選手の家族の顔が浮かぶんだ。つらくて仕方がない。俺は、人を裁く側にはいたくない』と言ってました。最後は精神的に参ってしまい、体調も崩していたようです」
他にも「誰にでも優しかったので信じられない」(自宅近くの飲食店店員)といった言葉や、「大介さんは感じいい人、ちょーいい人ですよ」(近所の人)など、人柄の良さがうかがえる声も多く上がります。

〇事故死
2014年10月17日、奥は、沖縄県宮古島市で軽乗用車を運転中に交通事故を起こし、頭蓋骨や骨盤を折るなど全身を強く打ち死亡しました。38歳の若さでした。
ブレーキ痕はなく、電柱に衝突して死亡したといいますから、かなりのスピードを出していたと思われます。また、捜査関係者によれば、アルコールや危険ドラッグなども特になかったといいます。前日も通常通り出勤しており、事故を起こす9時間前にも知人が「夜7時ごろ、笑いながら電話がかかってきたんです。明るい声で」と証言しています。
将来は飲食店を出したいと思っていたそうで、ホテルでのバイトもそのためだったといいます。まさに、夢への第一歩を踏み出した矢先の事故でした。
新婚当初に妻と一緒に満面の笑顔で写っている奥の写真が残っています。その姿と、引退・離婚、そして凄惨な事故で死んでしまった最期の姿とのギャップに強い無常を観じずにはいられません。

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