4~5世紀頃、北インドに生まれた無着は、最初、小乗仏教を学ぶも満足せず、その後、大乗仏教を学び悟りを開いていました。
しかし、弟の天親は小乗仏教に迷い続け、高名な学者にまでなっていました。無着は天親を説得しようとしますが天親は耳を傾けず、ついには家を出てしまいました。思わぬ結果に無着は悩みました。
悩み続けていたある日、ふと考えが浮かび、無着は弟子を使って天親に書状を送らせました。天親が書状を見てみると、無着が危篤で余命わずかと書いてありました。
驚いた天親は、急いで無着に会いに行きました。
しかし、着いてみると元気な無着の姿がありました。
「重い病と聞いていたのでやってきましたのに、これは一体、どういうことでしょうか」
「重い病だというのは嘘ではない。心に重い病があり、そしてその原因は他でもない、そなたにある」
わけがわからないでいる天親に無着は話を続けます。
「そなたは大乗を信ぜず、謗っている。この悪業によって、必ず無間地獄に沈んでしまう。そなたの行く末を思うと、苦しくてわが命も長くない」
そこまで自分のことを案じていたことに天親は驚きました。そして、大乗教をよく知ろうともせずに頭から謗っていたことを反省し、大乗の教えを説くよう願いました。
無着は、時来たれりとばかりに全身全霊で説きました。
もとより聡明な天親、大乗教に深く感動すると同時に誹謗していた自分が恐ろしくなり、罪を償うため舌を切ろうとしました。それを無着は慌てて止めました。
「たとえ千の舌を切ろうとも、この罪を滅することはできない。罪を滅したいと思うならば、その舌を使って正法を世に弘めるべきである」
その言葉に意を決した天親は、その後、真実開顕の闘士となりました。天親は多くの著書も著したため「千部の論主」と称され、その中には名著「浄土論」もあります。
法然は、浄土論を三経一論と称賛し、経典と同じ価値があると認めており、親鸞も正信偈で「天親菩薩造論説」と讃えています。
天親のその後の活躍を見れば、兄を超えるまでの存在になったといえますが、そのようになれたのは、根本には弟を想う兄の利他心があります。
・遠仁
家族など、自分に縁のある大切な人に伝えようとするのは当然です。家族に仏教を伝えないというのは、求道者としてあり得ません。
「わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬは、浅ましきことなり」(御一代記聞書)
人生の実相を伝えるのは苦しいことです。死後が必ず地獄だと言われて喜ぶ人はいません。それでも真実である以上、伝えなければなりません。
「私の家族は、やはり人間で私と同様の境遇に属している。彼らは虚偽のうちに生きているか、そうでなければ恐ろしき真理を見なくてはならぬ。私が彼らを愛する以上、私は彼らに真理を隠すことができない。その真理とは死のことである」(トルストイ)
家族のような特別深い人間関係において、互いに宿善があるというのは幸せなことです。
鬼は遠仁(おに)とも書かれ、これは仁に遠いということです。後生が地獄であることを知っていながら、人に教えようという気が無いというのは利他心がなく、遠仁の状態です。