なぜ世界はこのような姿をしているのか


こんにちは、オンリーライフです。

すっかり暑くなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

最近、袴田事件のニュースを目にすることが増えましたね。

48年間も拘束されていたそうなので、ほぼ半世紀です。

私が生まれる前からですから驚くべき悪果です。

この事件の詳しい説明は他にたくさんあるので、そちらを見て頂くとして、冤罪だとすると、この悲劇はどうして生じたのでしょうか。

世間で論じられているのは表面的な浅い原因です。

根本原因は、いつも話しているように、彼の過去の悪い種まきによるものです。

当時の警察官だとかは縁に過ぎません。

ただ、いつの何の行為によるものか特定することは、現代ではほぼ不可能です。

現在世で造った罪の報いかもしれませんし、過去世で彼が同じように冤罪をでっちあげたのかもしれません。

いずれにせよ過去の悪い行いの結果だと仏教でも解釈します。

すべての結果の根本原因は自分自身にある、それが因果の法則です。

彼を見て「かわいそうだな」とばかりも思ってられません。

人間は現在、膨大な悪い行いをしているため、死後は必ず地獄だからです。

さて、因果の法則の話をすると、「誰が因果の法則を造ったのか」といった疑問を持つ人は少なくないですね。

そして、罪悪や地獄の話をすると、「なぜ罪悪を造るように人間はできているのか」とか「なぜ地獄に堕ちるような仕組みに、この世はなっているのか」といった疑問を持つ人も少なくありません。

罪悪を造らずに生きることは、ほぼ不可能であり、生まれながらにして地獄を回避することは、ほぼ不可能ですので、これらの疑問は理解できます。

原因を突き詰めると、仏教では十二因縁を説いており、「根本原因は無明である」という説明まではしています。

では、「なぜ無明があるのか」ということですが、これについては私の知る限り仏教では答えていないと思います。

といいますか、人間には理解できないため、答えていないように思います。

この点、「宇宙の始まり」といった問題と同種かなと思っています。

人間は「宇宙の最初」を求めていますが、「最初」というのはわからないはずです。

「最初がわかった」と言ってみても、「ではその前は何だったのか」ということになるでしょう。

人間は「最初」に近づくことはできてもわからないはずです。

また、ここが重要なのですが、「その疑問が解決できないと前に進めない」というのも違うかと思います。

説明したように、なぜかは不明ですが、現実として世界はそうなってしまっています。

今差し迫っている危機、つまり罪悪を造り地獄が迫っているという危機を何とかすることが優先でしょう。

因果の法則は自然法則です。

人間は様々な自然法則を発見してきましたが、それらの法則がなぜ存在するのか、根本的な原因はまだわかっていません。

そして、わからずとも、世界はそういうものであると割り切って生活しています。

同じような疑問を抱く人は昔からおり、釈迦の弟子にもいました。

それに対して釈迦は、有名な「毒矢のたとえ」で諭しています。

本の中でも紹介してますが、再掲します。

1人の弟子が、何か思いつめた様子で釈迦のもとにやってきました。

哲学が好きだったこの弟子は、釈迦がある種の問題について解答を示さないことについて不満を持っていました。

それは、「この世界は有限であるか無限であるか」といったものです。

「答えを示してくれないならば、私はもう修行をやめようと思います」

弟子がこう言うと釈迦は、1つのたとえを出しました。

「ここに1人の男がいて毒矢で射られたとする。彼が、私を射た者は誰か、私を射た弓はどんな弓だったのか、その矢はどんな形をしているか、それらのことが解明されぬうちはこの矢を抜いてはならない、といったならばどうだろうか」

弟子は答えました。

「なんという愚か者でしょう。何が大切かわかっていません」

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