こんにちは、オンリーライフです。
かなり久しぶりのメルマガとなりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
最近、話題のChatGPTを使ってみました。
ChatGPTとは何か、ChatGPTに聞いてみました。
ChatGPTは、OpenAIが開発した自然言語処理の大規模な言語モデルの1つです。GPTとは”Generative Pre-trained Transformer”の略で、大量のテキストデータを学習して自然言語の生成や理解を行うことができます。ChatGPTは、人工知能によるチャットボットの実現に利用され、人工知能が人間のように自然な会話を行えるようになることが期待されています。ChatGPTは、オープンソースで公開されており、研究者や開発者など、誰でも自由に利用することができます。
だそうです。
「科学と仏教の会 オンリーライフとは」と聞いてみると、次のようにそれっぽい回答が返ってきます。
「科学と仏教の会 オンリーライフ」とは、科学と仏教を融合させたライフスタイルを提唱する団体です。科学と仏教を融合させることで、現代社会に必要な知識や技術を取り入れながら、人々の心の平和や幸福につながる生き方を提唱しています。
具体的には、科学的な知識を活かした健康的な食生活や運動習慣、メンタルヘルスケアなどを提唱するとともに、仏教の教えから得られる心の安定や自己成長のための瞑想などを紹介しています。
「科学と仏教の会オンリーライフは、科学と宗教を対立するものではなく、両者を融合させることで、現代社会において真に必要なものを探求し、生き方の選択肢を広げていくことを目指しています。
いわゆる「世間の常識」を答えるので、「死後の世界はあるか」といった問いは、次のように答えます。
死後の世界が存在するかどうかは、宗教や信仰によって異なります。一部の宗教では、死後に魂が別の世界に移行すると考えられています。例えば、キリスト教やイスラム教では、死後に天国や地獄があるとされています。また、ヒンドゥー教や仏教では、死後に輪廻転生があるとされています。
一方で、科学的な立場からは、死後の世界が存在するかどうかは証明されておらず、仮説や信仰に基づくものとされています。ただし、死後に意識が残るという報告や、死後体験(NDE)と呼ばれる現象が報告されていることも事実です。しかし、これらの現象が死後の世界の存在を示すものかどうかについては、科学的な研究が進んでいる段階ではないため、確定的な回答は得られていません。
したがって、死後の世界が存在するかどうかは、個人の信仰や思想によって異なるということになります。
科学が発展するにつれ、ChatGPTの答えも変わっていくでしょう。
Googleが緊急事態を宣言したほどの性能のようですので、今後に期待したいと思います。
さて、今回のメルマガですが、「罪悪」について少し触れたいと思います。
仏教でも様々な罪悪を説いていますが、第1巻では3つにわけて説明しました。
まず、直接的な罪悪です。
私たちは日々、膨大な数の魚や虫といった生き物を殺しています。
これを否定する人はあまりいません。
次に間接的な罪悪です。
自分たちが食べるために、漁師などに殺生させたりしています。
これも比較的わかりやすかったのではないかと思います。
この2つだけでも「死後は必ず地獄」になる罪悪として十分ですが、それに加えて「何もしない罪」についても説明しました。
これが1番わかりにくかったのではないかと思います。
何もしていなくとも人を苦しめている場合があり、それは被害者の視点で見るとよくわかります。
ロシアに侵攻されたとき、あるウクライナ人は言いました。
「どうして世界は、強い国が弱い国を理由もなく攻撃しているのを静かに見ているのか」
実際は、「何もしない」という行為をしています。
法律でも何もしないことが罪になることがあります(不作為犯など)。
被害者が加害者を認識しているとは限りません。
今この瞬間も世界中には苦しんでいる人や動物がゴマンとおり、そういう事実を知っていたり知らなかったりするでしょうが、大抵はスルーしているはずです
トルコ・シリア大地震のニュースが連日流れています。
「がれきの下で幼い姉が妹をかばい36時間」
「10歳少女の腕を切断して救助 地震発生90時間後に救出成功」
「トルコ地震115時間 妊婦と娘救出」
「17歳少女、248時間後に救出 トルコ・シリア地震」
地震から36時間後にがれきの下から助け出された、ある幼い女の子は救助隊に「出して。何でもします。あなたの召使になります」と言ったそうですが、このように助けてもらうことを強く願っているわけです。
自分の目の前で「助けて」と懇願する人を無視すれば罪悪感があるでしょう。
また、目の前にいながら何もせず無視する人を見れば、「なんて奴だ」と批判もするでしょう。
しかし、目の前ではなく、距離が遠くなればなるほど罪悪感も薄れていくでしょう。
今、この瞬間にも埋もれている人がいることをニュースで知っているはずですが、私たちは相も変わらず日常生活に忙殺されています。このメルマガを私は喫茶店で書いてますが、皆楽しそうにおしゃべりしています。
その姿を、埋もれて苦しんでいる人たちはどう思うでしょうか。