苅萱道心に学ぶ聖道門の限界

九州は筑前国に、加藤左衛門繁氏という21歳になる侍がいました。繁氏は、九州6か国の領袖として権勢を誇り、19歳の妻と、3歳になる娘、千代鶴姫と暮らしていました。
ある日、妻と妾が仲良く将棋を差しているところを、繁氏は障子越しに見ていました。すると突然、2人の髪が逆立ち、蛇が絡み合っているように見えました。上辺は仲良さそうに振舞っていた2人ですが、内心は争っていたのです。
繁氏が城中で花見をしていた時のことです。
手にしていた杯の中に花びらが落ちてくるのを見て、繫氏は無常を観じました。すると家臣たちを前にこう言いました。
「私はたった今から出家して仏門に入りたいと思っている。このことは長い間悩み、考え抜いたことで、決して単なる思いつきではござらぬ」
妻も家臣も驚き引き留めました。
「私のお中には殿の子がおります。どうかこの子がうまれるまではお待ちください」
「わかった」と返事したものの、子供を見れば決心が鈍るに違いない、そう思った繁氏は次の書き置きを残し夜中に出ていきました。
(ひとり旅立つ私をどうか許してほしい。私のことは縁が薄かったものと思ってあきらめてくれ。もしできることなら、お前とは死後に弥陀の浄土で巡り会うことにしよう。おなかの子は、男に生まれたならば石童丸と名づけ出家させてくれまいか。女ならばお前の考えに任せよう・・・・)
そして、法然がいる黒谷へ向かい、名を苅萱道心と改めました。
出家して13年経ったある日のこと、残した妻と子が自分に会いにやってくる夢を苅萱は見ました。
家族に会ってしまうと心が乱れ、長年の修行が水の泡になってしまうと思い、法然の元を離れ高野山を目指しました。
その時、夫が黒谷にいることを知った妻は、千代鶴姫を残し、石童丸をつれて黒谷に向かいました。
しばらくして、本当に2人がやってきたので法然は驚きました。そして、母子を不憫に思い、苅萱が高野山に行ったことを伝えました。
しかし高野山は女人禁制です。そのため石童丸だけが登りました。
登って7日目の朝、1人の僧とすれ違いました。苅萱でした。
そうとは知らず、石童丸は声をかけ、これまでの事情を話しました。苅萱が石童丸に気づくと、顔からは血の気が引き、心は激しく揺れました。今すぐ親子名乗りをしようと思いましたが、苅萱は心を鬼にして言いました。
「実は、苅萱道心は去年の夏に突然病気で亡くなりました。今日がその命日に当たり、ちょうど今お墓参りをしようと思っていたところでした」
信じたくない石童丸は「ならば、父の墓を見せてください」と食い下がりました。
苅萱は仕方なく、1つの墓を父の墓だと思わせました。これを見た石童丸はさすがに信じたのか、その場に泣き崩れました。
しばらくして気を取り直し戻ることにしますが、戻ってみると母が病で死んでいたことを知ります。
打ちひしがれた石童丸は、たった1人の肉親である姉の千代鶴姫に会うことにし故郷に帰りました。
しかし、帰ってみると千代鶴姫も死んだことを知らされます。
天涯孤独の身となり、すがるべき人は高野山で出会った僧しかいませんでした。
石童丸から2人の死を知らされた苅萱は言葉を失い、思わず一滴の涙を流してしまいました。その涙で13年間の修行がふいになったといいます。
このように恩愛の情は断ち難いものですが、それを断てというのが聖道門の修行です。
だから親鸞は修行に限界を感じたのです。
「恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし」(高僧和讃)

仏教には大きく2種類ある。聖道門と浄土門とは

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