【夢の又夢】豊臣秀吉に学ぶ人生の無常

人類の歴史上、日本の豊臣秀吉ほど「成功」という言葉があてはまる人物はいないのではないでしょうか。もともと家柄が良かったといったことで大きな成功を収めた人は他にもいますが、秀吉ほどのサクセスストーリーはまず他にないでしょう。
周知の通り、秀吉は、盗みや乞食などして這いずって生き延びていた一介の水呑み百姓から、織田信長の草履取りとなり、最終的には日本全国を統治する天下統一を果たすまでになりました。当時、世界最大の建築といわれた大阪城や、「楽しみを集めた屋敷」を意味する聚楽第という黄金の城を建て、黄金の茶室まで作っています。また、天下人ですから日本中が自分の土地です。こんなエピソードもあります。
ある時、秀吉が大切にしていた鶴を、家来が不注意から逃がしてしまった時がありました。家来が打ち首覚悟で秀吉に報告すると、秀吉は「捨ておけ、捨ておけ、どこへ逃げても我が庭じゃ」と笑って許したといいます。鶴が日本のどこへ行こうが、日本中が自分の土地なので、それは逃げたとは言わないのだというのです。
他にも、天下人ですから女もほしいままですし、子宝にも恵まれるなど、人間が欲しいものは何でも手に入れた人といえます。評論家の大宅壮一は、「秀吉の魅力は、すべての人間が心の底に持っているあらゆる欲望を最大限に満たしたというところにある」と言います。
そんな人類史上最大の成功を収めたといっても過言ではない秀吉ですが、彼は臨終に次のような辞世の句を詠んでいます。
「おごらざる者もまた久しからず 露と落ち露と消えにし我が身かな 難波のことも夢の又夢」
(意味:平家は驕り高ぶって滅んだから、私は驕り高ぶらないように努めて生きてきたつもりだった。しかし、それでも長くは続かず、露のように儚い命だった。栄耀栄華を極めた人生も夢の中で夢を見ているような儚いものであった)
秀吉は一代で滅び、徳川家康の時代に取って代わられます。豊臣秀吉の生涯を綴った太閤記も、膨大な宇宙の歴史のほんの1ページにすぎないのです。

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