「立場や地位を求め闘うことは、私たちの遺伝子に刻み込まれた本能であって、ヒエラルキーにおける立ち位置は私たちの幸福の感情を左右します。なので私たちは、自分より社会階級が低い人と自分を差別化するのにエネルギーを費やします。自分たちがどのヒエラルキーに属するか信号を送ろうとし、実際よりも少し高い社会的地位にあるように見せかけようとします」(マイク・ヴァイキング著「デンマーク幸福研究所が教える『幸せ』の定義」より)
他の欲に比べて少しわかりにくいかもしれませんが、誰もが名誉を求めています。
「兵士は、わずかばかりの色つきリボンのために、延々と命がけで戦うようになる」(ナポレオン)
「反権力を声高に言っている者は、つまり俺に権力をよこせと言っているにすぎない」(養老孟司)
「大学にも名誉教授という呼び名がある。教授には給料が出るが、名誉教授というのは、一銭の給料もない。それでも、名誉の2文字がつくと、教授たちは納得するのである」(丹波哲郎著「因果の法則」より)
「専門家は金銭的インセンティブより、自分が正しいと認められることを喜ぶ傾向がある」(スティーブン・スローマン著「知ってるつもり 無知の科学」より)
「落書きした奴は誰だ」と言っても名乗り出ず、「上手い絵だ、褒めてやろう」と言ったら名乗り出たという話や、ブサイクコンテストの参加者が「優勝者の彼は歯がないだけで中々のイケメンだ」などと審査員に抗議したという話もあります。
人間はコンピュータから褒められても喜びます。
「コンピュータでの作業後、コンピュータから作業に関するお世辞たっぷりのフィードバックを受け取った人は、そのコンピュータに対する好感度が高まりました。実は彼らには、そのフィードバックがコンピュータに前もってプログラムされていたもので、実際の作業の出来とは何の関係もないと告げていました。にもかかわらず、このむなしい褒め言葉を受け取った後は、作業の出来に対する満足度がより大きくなりました」(ロバート・チャルディーニ/アリゾナ州立大学教授)
他にもパソコンの打ち方や歩き方etc.日常の至るところで名誉欲を満たしている姿は見られます。
芥川龍之介を非常に尊敬していた太宰治は、芥川賞に異常に執着していました。選考委員である川端康成に太宰は、「遺書のつもりで書いた」という作品集「晩年」を、次の手紙と共に郵送しています。
「何卒(芥川賞を)私に与えて下さい。一点の駈け引きございませぬ。深き敬意と秘めに秘めたる血族感とが、右の懇願の言葉を発せしむる様でございます。困難の一年でございました。死なずに生き通して来たことだけでも誉めてください。私に希望を与えて下さい。老母愚妻を一度限り喜ばせてください。私に名誉を与えて下さい。早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっとよい仕事できます。忠心よりの謝意と、誠実、明朗、一点やましからざる堂々のお願い、すべての運をお任せ申し上げます」
第1回芥川賞で落選した時、川端は「生活が荒れているから才能を十分に発揮できていないのではないか」と指摘しました。それに対して太宰は、雑誌で次のように反論しました。
「事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った」
また、第2回芥川賞で落選した時は、選考委員の佐藤春夫宛てに次のような感情に訴える手紙を送っています。
「一言の偽りも少しも誇張も申し上げません。物質の苦しみが重なり重なり死ぬことばかりを考えております。佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知っております。
私は優れたる作品を書きました。これからもっともっと優れたる小説を書くことができます。私はもう10年くらい生きていたくてなりません。私は良い人間です。しっかりしておりますが、いままで運が悪くて、死ぬ一歩手前まで来てしまいました。
芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。そうして、どんな苦しみとも戦って生きて行けます。元気が出ます。お笑いにならずに、私を助けてください。佐藤さんは私を助けることができます。私を嫌わないでください。私は必ずお報いすることができます。
お伺いしたほうがよいでしょうか。何日何時に来いと仰れば、大雪でも大雨でも、飛んでまいります。身も世もなく震えながらお祈り申しております。家のない雀 治 拝」
「芥川賞は、この1年、私を引きずり廻し、私の生活のほとんど全部を覆ってしまいました」
「こんどの芥川賞も私のまえを素通りするようでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよわなければなりません。佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます」
佐藤宛ての手紙のうち1通は、長さ約4メートルの巻紙に毛筆でしたためられたものだったといいます。
名誉欲から嘘をついたり罪悪を造ったりもします。無免許運転で同乗の少女に重傷を負わせた事故がありましたが、運転していた少年は、「同乗の少女に見えを張った」といいます。
もっと酷いと、名誉欲から人を殺してしまうこともあります。
特別養護老人ホーム「フラワーヒル」の元職員、大吉崇紘被告は入居者の1人を暴行し死亡させましたが、その動機について彼は「第1発見者になって同僚に認められたかった」と言います。
さらに自分の命より名誉を取ってしまうこともあります。
戦時中には、艦船と運命を共にする船長は少なくなかったようです。しかし、全員逃がした後で自分も逃げればいいものを、なぜ逃げなかったのでしょうか。「罪悪を感じて死んでいった」という話やヒロイズムには嘘があると思われます。ヒロイズムとは、英雄主義ともいい、英雄的な行為を称賛する考え方ですが、これは名誉欲の成せる業です。このような話は戦時中に限ったものではなく、いつの時代も多くの人が名誉欲から自殺しています。
心から他人を褒める人などいません。
人間は自分の都合で人を評価し、「今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも 嘘の世の中」です。こちらの記事で詳しく説明した通りです。
芥川龍之介は、勲章を喜ぶのは軍人と子供だけだと言いました。そうであるのに人は名誉を求めてしまうのです。
「是非しらず邪正もわかぬこのみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」(正像末和讃)
(訳:善悪も正邪もわからないのがこの私である。小さな慈悲の欠片さえないのに、名誉や利益のために人から先生と呼ばれるのを好むのである)
自分はこんなぼんくらであるにもかかわらず、人から誉められると喜んでしまうという懺悔です。
ちなみに、名誉欲は権力欲ともいい、男が強い欲です。男は意地や我慢で破滅してしまうので、この点、女を見習うべきです(詳しくはこちら恋愛と性の真実)。