僧侶は死が怖くないのか

「死が怖くない」などと高を括っていた人が、いざ死に直面するとまったく逆の反応を示すことを、こちらで詳しく説明しました。

死より怖いものはない。死は怖くないと思わせる心がある。死の恐怖は人間の優れた能力。

同じことは僧侶にもいえます。悟りを開き、死をも乗り越えた境地にいると自他共に認める仏教徒は少なくないですが、果たしてどうでしょうか。
時の福岡藩主、黒田斉清は菊をこよなく愛していたことで知られていました。
ある日のこと、黒田が大切にしていた菊を、小姓が誤って1本折ってしまいました。それを知った斉清は激怒、その小姓を処刑しようとしました。
この話を仙厓が耳にしました。すると、何を思ったのか、仙厓は夜に鎌を持って城内へ忍び込みました。そして、菊をざくざくと1つ残らず刈り取ってしまいました。物音に気づいた斉清が刀を手にして出ていくと、鎌を持った仙厓がニッコリと笑って立っていました。
「和尚、なぜこのようなことを」
斉清が迫ると、仙厓は「菊花と人の命とどちらが大切か」と言いました。その言葉で我に返った斉清は、自分の間違いを懺悔し、仙厓に感謝したといいます。
このエピソードだけ見れば、仙厓は死を恐れていないように見えます。
しかし、その仙厓が臨終を迎えた時のことです。弟子が最期の言葉を願いました。すると、仙厓は力なく一言こう言いました。
「死にともない、死にともない」
死を迎えても微動だにしない境地にいると思っていた弟子たちは、仙厓の意外な言葉に驚きました。
(とても天下の名僧の最期の言葉とは思えない・・・)
そう思い再び聞き直すと、今度は一言こう言いました。
「ほんまに、ほんまに」
ちなみに、一休も臨終に、「死にとうない」という言葉を残して死んでいったと伝わっています。
仏教説話集の発心集には次のような話があります。
蓮花城という高名な僧が、体が弱って来たので入水して果てようと決意しました。
「死ぬ時には念仏を称え、心静かに死にたいというのが私の昔からの願いでした。ですから、私は心が澄んでいる時を見計らって入水して果てようと思っております」
これを聞いて親しい僧の登蓮が止めようとしますが、蓮花城の決心は固く、大勢の人が見守る中、彼は入水しました。立派な最後だったと皆が思い、登蓮は悲しみをこらえながら後にしました。
それから何日か過ぎた時のことです。蓮花城の霊が登蓮の前に現れました。驚いた登蓮が、「あなたはいさぎよい決心をして尊い臨終を迎えたじゃないですか。当然往生なさっていると思っていましたのに、どうしてそのような姿で現れたのでしょうか」と聞くと、蓮花城の霊は無念そうに言いました。
「実はそのことなのです。あなたが熱心に入水を思いとどまるように言ってくださったのに、私は自分の決心がどの程度のものかも知らず、取り返しのつかない死に方をしてしまいました。
まさか死に際に後悔するようなことになろうとは夢にも思っていませんでした。
どういう悪魔のなせる業か、まさに水に沈もうとしたそのとき、私は突然命を捨てるのが惜しくなってしまったのです。だからといって、あれほど大勢の人が見ている中でどうして自分から入水をやめることができましょう。今すぐにでももう一度私の入水を止めてほしいと思い、私はあなたに目くばせをしました。しかし、あなたは少しも気づかず、ただ手を合わせるばかりです。
そのとき、私は入水を宣言した後悔で胸がいっぱいで往生のことなどは少しも考えることができませんでした。そのため私は邪道に踏み込んでしまい、いまだに往生できずにいるのです。
これは私が愚かであったための過ちなのであり、あなたを恨むのは筋違いだということはよくわかっております。ただ、最後に残念だと思った一瞬の思いからこうしてやって来たという次第なのです」
宇治拾遺物語にも似たような話があります。
往生しようと思った僧侶が入水を決意、噂になって人だかりができますが、いざとなると恐怖でいっぱいになります。引くに引けず、最後はあまりの苦しさに「助けてくれ」と叫んで助けてもらい、大衆から石をぶつけられ重傷を負うという話です。
いずれも、さもありなんと思える話です。

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