なぜ仏教は暗い話ばかりするのか

「仏教は暗いことばかりいうから嫌だ」とか「仏教を聞くと夢も希望もなくなる」と言う人がいます。このように、仏教に対してネガティブなイメージを持っている人は多いです。
確かに、仏教では暗いことばかりいいます。死は、その最たるもので、誰が聞いても暗い話でしょう。しかし、これまでも説明したように、これには次のような理由があります。

現実が暗い

仏教が暗いのではなく、現実が暗いのです。仏教は、悲観主義でも楽観主義でもなく現実主義です。現実が苦しく暗い世界であるために、現実をありのままに説く仏教も暗くなるのです。ほとんどの人は、現実逃避をしており、臭いものに蓋をする生き方をしています。

目的は明るくするため

そして、暗い現実を話す目的は明るくするためです。人生を明るくしようとすればするほど、死を始めとした暗い問題が必ず邪魔になります。しかし、こういった暗い現実から目を背けたところで逃げられるものではありません。暗いトイレを考えずに明るい生活がないように、暗い死を直視することによって、真に明るい生が手に入るのです。ちなみに、「ミステリーハンター」の竹内海南江は「世界で一番怖いものはトイレだった」と言います。
「トイレって本っ当に怖いんです。これまで怖い経験をたくさんしてしまったので、週に二度はトイレの夢を見るくらいです。食べることが大事ならば、それゆえの排泄も大事ですよね。でも、そのトイレが確保できなかった場合って想像できます?」(竹内)

中途半端は危険

これまで説明したように、恐怖や不安など、あらゆる苦悩は立ち向かうか否かで真逆の結果となります。つまり、まず暗い現実を知り、さらに直視するという2つの段階を経て初めて本当の明るさが手に入るということです。このように仏教は諸刃の剣のような面があるので、中途半端に聞くと危険です。
そして、直視するといっても根本的な解決法がわからなければ、一時的な癒しで終わってしまいます。

世間との大きな違い

こちらで説明したように、世間と仏教とでは真逆といっていいほどのギャップがありますが、特に死に対する視点が違います。

【非僧非俗】世間と仏教は密接不二の関係

死を遠ざけようとする世間と、死を近づけようとする仏教との違いです。

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