人生は夢
人生は夢です。仏教では「生死迷いの長夜」と説かれ、唯識論には「まだ真の覚りを得ない時は、常に夢の中にいるようである」と説かれています。
「打つ人も 打たれる人も 諸ともに ただ一時の 夢の戯れ」(夢窓疎石/禅宗僧侶)
「今ははや 一夜の夢と なりにけり ゆききあまたの かりのやどやど」(御一代記聞書)
「人間はただ電光朝露の、夢・幻の間の楽しみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、思うさまのことなりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり」(御文)
(訳:人生は、ただ稲妻や朝露のような夢・幻の楽しみである。どれだけ繁栄したとしても、それはほんのわずかな時間にすぎない)
仏教に限らず、人生が夢であると表現する人は多くいます。
「私たちが見たもの、あるいは見たように思うものは、すべて夢の中のまた夢にすぎない」(エドガー・アラン・ポー/小説家)
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」(上杉謙信/辞世の句)
「夢の世に 夢みてくらす 夢人が 夢ものがたり するも夢かな」(古歌)
「夏草や 兵どもが 夢の跡」(松尾芭蕉/俳人)
豊臣秀吉でさえ「人生は夢の又夢」と言って死んでいきました。
夢と現実の違い
人生が夢であるというのは比喩ではありません。
「夢は少しも神秘的なものではない。夢はむしろ、現実の知覚と同じメカニズムによって生まれてくる」
「夜にむすばれる夢と、醒めてみられたこの世界は、むしろ同じ生地から織りあげられているのである」(熊野純彦/東京大学教授)
夢研究の先駆者として世界的に知られるスタンフォード大学の神経生理学者スティーヴン・ラバージは、「現実世界は夢であり、完全な目覚めと呼べる世界がある」と言います。
「体験とは、現在のように動機づけられた自分のあり方、および自分が実在と見なしたり信じていることに基づいて、自分自身が構築した結果なのである。この見解では、視覚による知覚とは、私たちが世界について予想したことの結果として起こり得る目の錯覚である。これは感情が知覚を歪めるやり方(たとえばキャンパーには『茂みがすべて熊』に見えたり、恋人たちには『木々すべてが愛する人』に見えたりする)のと同様である。要するに、知覚に関するより正確な分析によると、私たちは実在を直接的に体験するのではなく、むしろ世界についての私たちのモデルを通して体験するのである。
このように、私たちが『外にある』ものを見ることができるより以前に、私たちの目による視覚情報は予想、感情、考え方、価値、態度や目標といった主体側による主観的な要因を通過しなければならない。世界についての私たちのモデルが実在を体験することを制限してしまうのは避けられないのだ。私たちの写像が歪めば歪むほど、私たちの体験する世界はそれだけ歪んで見えるだろう」
「私たちが『目覚めている』と呼ぶ通常の状態や意識は、物事を『客観的な現実』としてあるがままに見ることからあまりに遠く隔たっているので、『眠っている』とか『夢見ている』と呼んだ方が正確であろう」(ラバージ)
ラバージは、このことを効果的に示してくれる方法として明晰夢(夢を見ていることを自覚している夢)を挙げています。
「明晰夢は、私たちがいかに完全に目覚めていないかを理解するための出発点となり得る。というのも、通常の覚醒状態と完全な目覚めの状態との関係は、通常の夢見と明晰夢の関係に相当すると思われるからだ。より完全な目覚めへと準備させる明晰夢の可能性は、私たちがさらに生き生きとした生活を送るための最も意義ある可能性であるといえるだろう」(ラバージ)
経験を積むと、目覚めている時と同じくらい自由に選択できるといいます。
そして、夢の世界から(つまり眠りながら)、現実世界の観察者に合図を送ることができたといいます。
「歴史上初めて、私たちは夢という出来事が起こっている夢の世界からの現場報告を受け取ることができたのである」
「眠っている人が特定の夢を見ているまさにその時に合図を送ることができ、それによって、他の方法では試しようのない仮説を適宜試みることができるのだ。研究者は被験者にどんな行為でも夢の中で実行するよう依頼することができ、また明晰夢を見る人はこれらの指示を遂行できる。このような合図の方法によって、心と体の関係を明確に対応づけることも可能となる」(ラバージ)
夢の中の身体によって実行された様々な行動と、現実世界の身体の変化との関係を示しており、少し抜粋します。
<呼吸>
「明晰夢のさなかの心的イメージによる恣意的な呼吸コントロールは、対応する実際の呼吸の変化に反映している」
「夢見る人が自覚している呼吸の状態は眠っている人の実際の呼吸パターンに影響を及ぼすと考えられる」
<脳>
「(夢の中で)歌ったり数えたりしている時の脳は、目覚めている時と同じく、どちらかの半球が活性化するというパターンを示す」
<時間>
「夢の中で見積もられた時間は時計の時間とほぼ同じであると考えられる」
<性的行為>
「明晰夢でのセックスは実際の場合と同じくらい強烈なインパクトを夢見る人の体に与える」
<夢テレパシー>
「被験者がレム睡眠にある時に、別室にいる人がある絵に集中し、眠っている人にその絵のイメージをテレパシーで伝えようと試みた。眠っている人を各レム期の終わりに起こして、夢の報告をしてもらった。後で、評点者はどの絵がどの夢の報告と対応しているか照合することができ、それは偶然を有意に上回る確率であった」
明晰夢は習得可能な技術であると言い、普通の夢を明晰夢にする方法なども紹介しています。
ちなみに第1巻でも紹介した「セス」は、夢は実際に存在する世界の1つであり、他の経験同様、夢の中での経験はすべて記憶されるといいます。
「君たちが通常の、目が覚めているのとは異なった状態にいる時でも、この日常的な自己を放棄した時でも、君たちには意識があり、覚醒しているのである」
「夢の中での経験は、意識的にはとうの昔に忘れ去られても、すべての経験とともに細胞の内部に存在し、電気的に暗号化されたデータとして、永遠に記録され続ける」
「君たちが今までに知っているものより、はるかに目覚めた意識の状態がある。その状態では、起きている時と、夢を見ている時の自己の両方に、同時に気づいているのだ。体が眠っている間にも、完全に目覚めていることができるようにもなるし、現在の気づきの限界を拡張することもできるのだ」(セス)