【熾烈な修行をした仏教徒に学ぶ】釈迦・達磨と慧可・明恵・親鸞・慧春・白隠

菩提(真実の幸福)のために、釈迦をはじめ多くの仏教徒が熾烈な求道をしました。一例をあげましょう。

釈迦

まずは、仏教の開祖である釈迦に学びましょう。

すべてを捨てて求道した釈迦に学ぶ

達磨と慧可

中国禅宗の祖、達磨は、壁に向かって9年間座禅を組んだという人です。
やがて手足が腐り、このままだと命が危ないため両手両足を切断したといいます。
今日、一つのことに忍耐強く努力することを「面壁九年」といいますが、この達磨のエピソードに由来します。
その達磨の弟子に慧可という人がいます。
慧可が達磨に入門を請うた時のことです。
「お前は入門する器ではない」
こう言われ帰されましたが、覚悟してやってきた慧可は引き下がれません。しかし達磨は話を聞いてくれません。そこで、慧可は大雪が降る中、門前で一晩中座り続けました。
明け方、門前に座る慧可を達磨が見つけました。
「いくら頼んでも許さんぞ」
すると慧可は、その場で自分の腕を切り落としました。そして、その血が滴り落ちる腕を達磨に差し出しました。
「これでも許して頂けませんか」
それを見て達磨は入門を許したといいます。
これほどの人ですから、その後も熾烈な修行をし、達磨の後を継いで中国禅宗の第二祖となりました。
今日、非常に強い決意を示すことを「慧可断臂」といいますが、この慧可のエピソードに由来します。

明恵

鎌倉時代の華厳宗僧侶、明恵も戒律を非常に厳しく守っていたことで知られています。
「母親以外、眼を上げて女を見なかった」とか、「椎茸が好きで椎茸好きの上人と呼ばれたことを恥じに思い、以後一切口にしなかった」といったエピソードがあります。
ある時、明恵のために弟子が雑炊を作った時のことです。思わず明恵の口元がほころびました。しかし、1口すすると明恵は顔色を変え、じっと考え、何を思ったのか引戸の縁に溜まっていたほこりを指先ですくい、それを雑炊の中に入れました。
そして、今度は苦虫を嚙み潰したような顔をして食べ始めました。弟子たちは掃除の手抜きを責められたと思い謝りました。すると明恵は、「いやいや、そうではない。お前たちが作った雑炊があまりに美味しく、心を奪われないようにするためにこうしたのだ」と言ったといいます。
また、明恵は肉体の一部を切り取ろうとまで思い詰めたことがあります。目を潰せば経典が見えなくなり、腕を切れば印が結べなくなると思ったため耳を切り落としてしまいました。
これほどの修行をしていた明恵ですが、ある時、持っていた数珠を落としそうになり、それをとっさに拾い上げ、ほっと安堵した瞬間、開いていた悟りがすべて崩れたといいます。

親鸞

同じく鎌倉時代の僧侶、親鸞は煩悩を消すため、比叡山で20年もの間、血みどろの修行をしました。
中には有名な千日回峰行もあります。
この修行は、地球1周分の距離を走ったり、堂入り(9日間、堂に籠って水や食、睡眠を断ち、横にもならず不動明王に向かい続ける)といった荒行です。非常に厳しい修行ですが、途中で失敗することは許されません。もし失敗すれば、腰に着けた短刀で自害しなければならなかったのです。明治以降は禁止されていますが、当時はそうではなく、実際命を落とした人は少なくありませんでした。
親鸞は、こういった修行よりも厳しい修行をしたといいますから、人間ができる限界に近い修行をしたといえるでしょう。
ところが、その修行の結論を親鸞は次のように語っています。
「定水を凝らすといえども識浪しきりに動き、心月を観ずといえども妄雲なお覆う。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪りて、徒に仮名の修学に疲れん。須らく勢利を抛てて直ちに出離をおもうべし」(歎徳文)
(訳:波一つ立たない水面のように心を静めようとしても煩悩の荒波がしきりに動き、心に悟りの月を観じようと思っても煩悩の群雲が覆ってしまう。一息切れたら地獄に堕ちて果てしなく長く苦しまなければならない。世間事に心を奪われ、死ぬ時には何の役にも立たない勉強をしている場合ではない。すぐにこれらを捨てて死の解決を求めなければならない)

慧春

室町時代に、了庵慧明という曹洞宗の僧侶がいました。慧明は最乗寺という寺を開き多くの弟子を指導していました。
その慧明には慧春という大変美しい妹がいたのですが、慧春は兄を見ていつも不思議に思っていました。
(里へ行けば楽しいことがいっぱいあるのに、なぜお兄さんは厳しい修行をするのだろう・・・)
ある時、慧明に聞いてみると、死後に大変な一大事があること、悟りを開くために修行していることなどを教えられました。 
それを聞いた慧春は、自分も入門して修行したいと思いました。そこで慧明に入門を頼みますが、慧明は断りました。慧春のような美しい女性が入ってくれば、他の男僧の修行の妨げになると心配したのです。
「私が入門できないのは、この顔のためなんですか。そうですか、わかりました」
こう言うと慧春は急いで家に帰り、何を思ったのか、焼け火鉢を作りました。そして、火箸を縦横無尽に顔にあてました。焼けただれて化け物のような顔になったのを見て、これで良しと思ったのか、再び寺へ戻りました。
「お兄さん、これで入門を許してください」
化け物のような顔をした女を見て慧明は驚きました。しかし、よく見ると妹の慧春でした。
「お前、その顔は一体どうしたんだ!」
「はい、お兄さんは私の顔のせいで入門できないと言ったので焼いてきました。やがて滅びる肉体なんて、私はどうでもいいのです。私は後生の解決をしたいのです。どうか入門させてください」
そこまで覚悟しているならということで、慧明は入門を許しました。
こういう人ですから、熾烈な修行をし、めきめきと頭角を現しました。慧春には次のようなエピソードがあります。
どこか色気が残っていたのか、不心得な男僧が慧春を誘惑してきました。慧春は無視していましたが、あまりにしつこく誘ってくるため、「わかりました。それだけ言うなら求めに応じましょう」と約束しました。
後日、盛大な法会が営まれた時のことです。
何を思ったのか、慧春が大衆の前に進み出てきました。そして、その男僧を指さし、「それでは約束を果たしましょう、どうぞ!」と言って服を脱ぎ始めました。男僧は、這う這うの体で逃げ出したといいます。
また、こんなエピソードもあります。
慧春が鎌倉の円覚寺に使いに行った時のことです。
「女を使いによこすとは何事か」と怒った円覚寺は、男僧に追い払うよう指示しました。
慧春がやってくると、その男僧が門前に現れました。そして裾を捲り上げ、「わが物一尺受けてみよ!」と慧春に向かって言いました。普通ならキャーと逃げ出すところでしょうが、慧春は違いました。自分の裾を捲り上げ、「わが物底なし受けてみよ!」と男僧に向かって言い返しました。
そんな慧春は最後、火定によって死んでいます。「火によって出家したのだから、火によって死のう」と考え、悟りを開くために、最後に一か八かの賭けに出たのです。
薪の上にどっかりと座り、弟子に火をつけさせました。紅蓮の炎が慧春を焼きます。
「どうだ慧春、熱いか」
不心得な老僧が聞いてきました。
「生臭坊主のわかる境地ではないわ!」
こう言って慧春は死んでいったといいます。

白隠

江戸中期の禅僧、白隠には次のようなエピソードがあります。
白隠は幼い頃、近所の寺で仏教を聞いていましたが、中でも地獄の話に身の毛がよだつ思いがしました。
(自分は虫や魚を殺した。自分はきっと地獄に堕ちるに違いない・・・・)
ある日、風呂を炊く火の音を聞いて、白隠は寺で聞いた「悪いことをした人間は必ず地獄に堕ちる」という話を思い出し大声で泣きました。
「お前は男の子じゃないか。どうしてそんなに憶病なのか」
母親が叱ると白隠は「私は地獄が怖いのです。お母さんと一緒にいても怖いのに、1人で地獄に堕ちたら誰が助けてくれるのでしょうか」と再び泣きました。
しばらくすれば忘れるだろうと母親は思いましたが、白隠は地獄について深刻に悩むようになりました。
やがて白隠は地獄の解決のために激しい修行に励むようになります。
「このからだが火にも焼けず、水にも溺れぬような力を得るまでは死んでも修行を止めぬ」
このような固い決意で修行を続けた白隠は、後年、「駿河には過ぎたるものが2つあり、富士のお山に原の白隠」とまでいわれるようになり、臨済宗中興の祖と称されるようになりました。

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