父母恩重経全文(現代語訳付)

かくの如く、われ聞けり。
(このように私は聞いた)

あるとき、仏、王舍城の耆闍崛山の中に、菩薩・声聞の衆とともにましましき。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民、および龍神・鬼神等、法を聞き奉らんとて来たり集まり、一心に宝座を囲繞して瞬きもせず、尊顔を仰ぎ見奉りき。
(ある時、仏は王舍城の近く、耆闍崛山の山中で、菩薩や声聞といった優れた求道者らとともにいた。在家・出家の男女の求道者や、仏教を外護する者たちが集まり、法をお聞きしようとして一心に、釈尊が座っている宝座を囲んで、瞬きもせずに、尊顔を仰ぎ見奉った)

このとき、仏、即ち法を説いてのたまわく。
(この時、仏は法を説いて仰られた)

「一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因として、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育てられず。これをもって気を父の胤に受け、形を母の胎に托す。この因縁をもっての故に、悲母の子を思うこと、世間に比いあることなく、その恩、未形におよべり。
(すべての仏教に帰依した男女よ、父には慈恩があり、母には悲恩がある。そのわけは、人がこの世に生まれるのは、自分自身が造った過去世の業を原因として、父母を縁とするからである。父がいなければ生まれず、母がいなければ育てられない。命の気を父のたねに受け、肉体を母の胎内にあずけるのである。このような深い因縁があるために、母が子を思う心は他に比べるものはなく、その恩はこの世に生まれる前から及んでいるのである)

初め胎に受けしより、十月を経るの間、行・住・坐・臥、ともに諸々の苦悩を受く。苦悩休む時なきが故に、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。
(胎内で生を受けてから、10か月の間、歩いていようが、止まっていようが、座っていようが、臥していようが、様々な苦悩を受ける。その苦悩は常に止むことがなく、好きな食べ物や衣服を得ても楽しいと思わず、ただ一心に無事に産もうと願うのである)

月満ち、日足りて、生産の時いたれば、業風吹きて、これを促し、骨節ことごとく痛み、汗膏ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も心身おののき怖れて、母と子とを憂念し、諸親眷属みなことごとく苦悩す。
(月日が満ちて、出産の時が来れば、陣痛の痛みが吹き荒れて、その出産を促し、骨節がことごとく痛み、脂汗を流し、その苦しみは耐え難い。父も心身がおののき怖れて、母と子を心配し、親族は皆ことごとく心配し苦悩する)

すでに生まれて草上に堕つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女の如意珠を得たるがごとし。その子、声を発すれば、母も初めてこの世に生まれいでたるが如し。
(そして子が生まれれば、父母の喜びは限りなく、まるで貧者が如意珠を得たようである。その子が声を発すれば、母も自分が初めてこの世に生まれたように喜ぶのである)

それよりこのかた、母の懐を寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を生命となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば飲まず、寒きとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣を脱るに、母にあらざれば脱がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。
(生まれてこのかた、母の懐を寝床とし、母の膝を遊び場とし、母の乳を食物とし、母の愛情を命とする。お腹が空いた時でも母でなければ食べず、喉が渇いても母でなければ飲まない。寒い時でも、母でなければ着ようとせず、暑い時でも、母でなければ脱ごうとしない。母は、飢えている時でも、先に子供に与えようとし、口に含んでいたとしても吐き出して与えようとする。母は、寒さに苦しむ時も、着ているものを脱いで子供に着せる。母でなければ養われず、母でなければ育てられない)

その闌車を離れるにおよべば、十指の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに、人々、母の乳を飲むこと、一百八十斛となす。
(ゆり籠から離れる頃には、10本の指の爪の中に残る子供の便や尿をも口にするのである。人が飲む母の乳の量は180斛にもなる)

父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し。
(父母の恩が重いことは、天に極まりがないようなものである)

母、東西の隣里に傭われて、あるいは水汲み、あるいは火焚き、あるいは臼つき、あるいは臼挽き、種々のことに服従して、家に帰るのとき、未だ至らざるに、今やわが児、わが家に泣き叫びて、われを恋い慕わんと思い起こせば、胸さわぎ、心驚き、ふたつの乳流れいでて、忍び耐うることあたわず。すなわち、去りて家に帰る。児、遙かに母の来たるを見て、闌車の中にあれば、すなわち、頭を揺るがし、脳をろうし、外にあれば、すなわち腹這いして出できたり。空泣きして、母に向かう。母は子のために足を早め、身を曲げ、長く両手をのべて、塵土を払い、わが口を子の口に接けつつ、乳を出してこれを飲ましむ。このとき、母は児を見て歓び、児は母を見て喜ぶ。両情一致、恩愛のあまねきこと、またこれに過ぎるものなし。
(母は、仕事をして家に帰る時、まだ家に着く前に、「子供は私が家にいないから泣き叫んで、私を恋しく思っているだろう」と思うだけで、胸騒ぎがして、心は驚き、乳が流れ出て、耐え難くなって急いで家に帰る。子供は、母が帰って来たのを遠くに見て、乳母車にいれば頭を揺らし、外にいれば腹這いして出て来て、嘘泣きしたりして母に向かう。母は子供のために速足になり、身をかがめて両手を伸ばし、埃を払って、自分の口を子供の口につけ、乳を出して飲ませる。この時に、母は子を見て喜び、子は母を見て喜ぶ。互いの感情が一つになり、恩愛があまねくことは、これに勝るものはない)

二歳。懐を離れて、初めて歩く。父にあらざれば、火の身を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀の指を落とすことを知らず。三歳。乳を離れて、初めて食らう。父にあらざれば、毒の命を落とすことを知らず。母にあらざれば、薬の病を救うことを知らず。
(2歳、母の懐を離れて初めて一人で歩く。父がいなければ火が身を焼くことを知らず、母がいなければ刀が指を落とすような恐ろしいものだとは知らない。3歳、乳を離れて初めて食事をする。父がいなければ毒で命を落とすことを知らず、母がいなければ薬が病を治すことを知らない)

父母、外に出でて、他の座席に行き、美味珍食を得ることあれば、自らこれを喰らうに忍びず、懐に収めて持ち帰り、呼び来たりて、子に与う。十度帰れば、九度まで、子に与う。これを得れば、すなわち歓喜して、かつ笑い、かつ喰らう。もし過りて、一度も得ざれば、すなわち偽り泣き、偽り叫びて、父を責め母に迫る。
(親が外で食事をして美味しい物が出れば、自分でこれを食べるのは忍びなくなり、懐に入れて持ち帰って子供に与える。10回このような機会があれば、そのうち9回はそうする。子供は笑って喜び、これを食べる。もし誤って持ち帰って来ない時があれば、嘘泣きして喚き、親を責める)

やや成長して、朋友と相交わるに至れば、父は着物を求め、帯を求め、母は髪を梳り、髻を摩で、己が好みの衣服は、みな子に与えて着せしめ、己は、すなわち古き着物、弊れたる着物をまとう。
(成長して友達と交際する年になると、親は相応しい服装を整え、髪を綺麗に梳り、自分の好きな服をすべて子供に与え、自分は古いヨレヨレの服を着る)

すでに妻を求めて、他の女子を娶れば、父母をば、うたた疎遠にして、夫婦はとくに親しみ近づき、私房の内において、妻とともに語らい楽しむ。
(やがて結婚すれば、親を遠ざけるようになって、夫婦だけで共に語らいで楽しむようになる)

父母、年たけて気老い、力衰えぬれば、頼るところのものは、ただ子のみ。頼むところの者は、ただ嫁のみ。しかるに夫婦ともに、朝より暮れに至るまで、未だ敢えて一度も来たり問わず。あるいは父は母を先立て、母は父を先立てて、独り空房を守りおるは、あたかも旅人の、独り宿に泊まるが如く、常に恩愛の情なく、また談笑の楽しみなし。夜半、寝床冷ややかにして、五体安んぜず。いわんや、被に蚤・虱多くして、暁にいたるまで眠られざるをや。幾度か転々反則して、独りつぶやく。噫、吾れ何の宿罪ありてか、かかる不幸の子をもてるかと。
(親が高齢になって、気力や体力が衰えれば、頼れるのは子供だけであり、その嫁だけである。しかし、夫婦は共に、朝から晩まで一度も来てはくれない。親のどちらか一方が先に死んでしまえば、独りで寂しい家で過ごすことになり、その姿は旅人が一人で宿に泊まるようである。常に恩愛の情もなく、談笑の楽しみもない。夜になって寝ても冷たく体は休まらず、蚤や虱も多くなり、明け方まで眠れない。何度も寝返りを打って独りつぶやく。「ああ、何の罪があってこのような親不孝な子を持ったのか」と)

ことありて、子を呼べば、目を瞋らして怒り罵る。嫁も児も、これを見て、ともに罵り、ともに辱しめば、頭をたれて笑いを含む。嫁もまた不幸、児もまた不順。夫婦和合して、五逆罪を造る。
(何か用事があって子を呼べば、目を怒らして怒り罵る。嫁も子も、これを見て同じように共に罵り、共に辱め、下を向いて笑っている。嫁も子も道理に反しており不幸になる。夫婦は一緒になって親殺しという五逆罪を造る)

あるいはまた急用おこりて、急ぎ呼びて命ぜんとすれば、十度呼びて、九度違い、ついにきたりて給仕せず。かえって怒り罵りていわく、老い耄れて世に残るよりは、早く死して、この世を去られたしと。父母これを聞きて、怨念胸に塞がり、涕涙瞼をつきて、目瞑み、心惑い、悲しみ叫びて曰く、「噫、汝幼少のとき、我にあらざれば養われざりき、我にあらざれば育てられざりき。しかして今に至れば、すなわちかえって、かくのごとし。噫、われ汝を生みしも、もとより望みは外れたり」と。もし子あり、父母をして、かくのごとき言を発せしむれば、子はすなわち、その言とともに墜ちて、地獄・餓鬼・畜生の中にあり。一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ることあたわず。
(急用があって急いで呼ぼうとすれば、10回のうち9回は来ない。来たとしても世話もしてくれず、逆に怒って「老いぼれてこの世に残るより、早く死んだほうがいい」と罵る。親はこれを聞いて、胸が塞がり、涙があふれ、目がくらみ、心が惑い、悲しんでこう叫ぶ。「ああ、お前が小さい時に、私がいなかったら育っていなかった。それなのに今、このように恩を仇で返す。ああ、お前を生んだのは間違いであった」と。もし親にこのようなことを言わせたり思わせたりすれば、子は地獄に堕ち、どんな仏であっても救うことができない)

父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し。
(父母の恩が重いことは、天に極まりがないようなものである)

善男子、善女人よ、わけてこれを説けば父母に十種の恩德(おんどく)あり。何をか十種となす。
(すべての仏教に帰依した男女よ。これをわけて説くならば父母には十種の恩徳があるのである。何を十種というか)

一には懐胎守護の恩。
(一には、妊娠した時に守ってくださる恩である)

二には臨生受苦の恩。
(二つには、出産の時に陣痛の苦しみを受けてくださる恩である)

三には生子忘憂の恩。
(三つには、生まれ出た子を見た時に、これまでの苦しみを忘れて喜んでくださる恩である)

四には乳哺養育の恩。
(四つには、母乳を与えて養育してくださる恩である)

五には廻乾就湿の恩。
(五つには、乾いた綺麗な所へ子を寝かせ、自分は湿った汚い所に寝てくださる恩である)

六には洗灌不浄の恩。
(六つには、子の排泄物を洗ってくださる恩である)

七には嚥苦吐甘の恩。
(七つには、美味しいものは子に与え、自分は不味いものを食べてくださる恩である)

八には為造悪業の恩。
(八つには、子を守るために意に反して悪を造ってくださる恩である)

九には遠行憶念の恩。
(九つには、子が親元を離れ遠くへ行っても、常に子の無事を念じてくださる恩である)

十には究竟憐愍の恩。
(十には、子の苦しみを憐んで、生きている間は子の身に代わろうと思い、死んでからは子の身を守ろうと思ってくださる恩である)

父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し。
(父母の恩が重いことは、天に極まりがないようなものである)

善男子、善女人よ、かくの如きの恩德、いかにして報ずべき」
(すべての仏教に帰依した男女よ、このような恩徳に、どのようにして報いるべきであろうか)

仏、すなわち偈を以て讃めて宣はく。
(釈尊は、詩をもって讃えられた)

「【懐胎守護の恩】
悲母、子を胎めば、十月の間に、血を分け、肉を頒ちて、身、重病を感ず。子の身体、これによりて成就す。
(母が子を宿せば、腹の中にいる10か月の間、血や肉を分けて、母は重病人のようになる。子の体はこれによってできあがる)

【臨生受苦の恩】
月満ち、とき到れば、業風催促して、偏身疼痛し、骨節解体して、神心悩乱し、忽然として、身を亡ぼす。
(月が満ちて出産の時がくれば、陣痛の苦しみがやってきて、その痛みは骨節がバラバラになるほどで、突然死ぬこともある)

【生子忘憂の恩】
もしそれ平安なれば、なお蘇生し来たるが如く、子の声を発するを聞けば、己も生まれ出でたるが如し。
(出産後には、よみがえったかのように感じ、子が声を発するのを聞けば、自分も生まれ出たように思う)

【乳哺養育の恩】
その初めて生みしときには、母の顔、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容貌すなわち憔悴す。
(子供を初めて産んだ時には、母の顔は花のように美しいが、子供を何年も養っていると憔悴して変貌してしまう)

【廻乾就湿の恩】
水のごとき霜の夜にも、氷のごとき雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿れる処に己れ臥す。
(霜ができるような寒い夜にも、雪が降る凍える朝にも、乾いた所に子供を寝かせ、自分はおねしょで湿った所に寝る)

【洗灌不浄の恩】
子、己が懐に不浄を漏らし、あるいは、その着物に尿するも、手自ら洗い灌ぎて、臭穢を厭うことなし。
(子供が懐や服に尿や便といった汚い物を付けても、自分の手で洗い濯いで、汚さや臭さを厭わない)

【嚥苦吐甘の恩】
食味を口に含みて、これを子に哺むるにあたりては、苦き物は自ら飲み、甘き物は吐きて与う。
(食物をまず口に含んで味を確かめ、不味いものは自分で食べ、美味しいものを子供に与える)

【為造悪業の恩】
もしそれ子のために、止むをえざることあれば、躬づから悪業を造りて、悪道に墜つることを甘んず。
(子供のためには止むを得ないことがあれば、進んで悪い行いをし、悪い報いを受けることも厭わない)

【遠行憶念の恩】
もし子、遠く行けば、帰りてその面を見るまで、出でても入りてもこれを憶い、寝ても覚めても、これを憂う。
(子供が遠くへ出かけると、帰って来てその顔を見るまで、寝ても覚めても四六時中子供のことを心配する)

【究竟憐愍の恩】
己れ生きている間は、子の身に代わらんことを思い、己れ死にさりて後は、子の身を護らんことを願う。
(自分が生きている間は、子供の身代わりになって助けたいと思い、自分が死んだ後でも、子供の身を護ろうと願う)

かくの如きの恩德、いかにして報ずべき。
(このような恩徳に、どのようにして報いるべきであろうか)

しかるに長じて人と成れば、声を抗げ、気を怒らして、父の言に順はず、母の言に瞋を含む。
(それなのに、成長して一人前になれば、声を荒げ気を怒らして、父の言葉に従わず、母の言葉に怒りを含むのである)

すでにして妻を娶れば、父母に背き違うこと、恩なき人の如く、兄弟を憎み嫌ふこと、怨みある者のごとし。妻の族来りぬれば、堂に昇して饗應し、室に入れて歓晤す。
(妻をめとれば、父母に背いて逆らうことは、まるで恩がない人のようである。兄弟を憎み嫌うことも、恨みがある者のようである。妻の親族が来れば、客間に入れて手厚くもてなし、ともに喜ぶ)

鳴呼、噫嗟、衆生顛倒して、親しき者は、かえって粗末に扱い、疎き者は、かえって親しむ。
(ああ、ああ、人間は逆さまになっており、親しい者を粗末に扱って、親しくない者にはかえって親しもうとする)

父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」
(父母の恩が重いことは、天に極まりがないようなものである)

このとき、阿難、座より起ちて、ひとへに右の肩を袒ぬぎ、長跪合掌して、前みて仏に白してもうさく、「世尊よ、かくのごとき父母の重恩を、我等出家の子は、いかにしてか報ずべき。つぶさにその事を説示したまへ」と。
(この時、阿難は立ち上がって、右肩の肌を出し、跪ずいて合掌し、前に進んで仏に、「世尊よ、このような父母の重恩を、私どものような求道者はどのようにして報いるべきでしょうか。詳しくそのことをお説きください」と申し上げた)

仏、宣はく。
(仏は、こう仰られた)

「汝ら大衆、よく聴けよ。孝養の事は、在家出家の別あることなし。
(人々よ、よく聴きなさい。孝養することは、在家であるとか出家であるといった区別はないのである)

出でし時、新しき甘果を得れば、もちさりて父母に供養せよ。父母、これを得て歓喜し、みづから食ふにしのびず。まづ、これを三宝に廻し施さば、すなわち菩提心を啓発せん。
(外に出た時に美味しい食べ物を得たならば、持ち帰って父母に差し上げるのである。父母は、これを見て喜び、自身が食べるには忍びず、まず、これを仏・法・僧の三宝に感謝し、あるいは布施するならば、父母に菩提心が生じるだろう)

父母、病あらば、牀の傍を離れず、親しく自ら看護せよ。一切のこと、これを他人に委ぬることなかれ。ときを計り便を伺ひて、懇に粥飯を勧めよ。親は子の粥飯を勧むるをみて強ひて粥飯を喫し、子は親の喫するをみて、まげて己が心を強くす。親しばらく睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡りさむれば医に問いて薬をすすめよ。日夜に三宝に恭敬して、親の病の癒えんことを願い、常に報恩の心を懐きて片時も忘失することなかれ」
(父母が病気になったらならば、その床の傍を離れず、親しく自ら看護すべきである。すべてのことを他人にゆだねないようにすべきである。時をはかって様子を伺い、親身に粥などの食事を勧めよ。親は子が勧めるのを見て、強いて食べ、子は親が食べるのを見て、無理にでも心を強くする。親がしばらく眠れば、心を静めて息を聞き、眠りから覚めれば医者に聞いて薬を勧めなさい。常に三宝を敬って親の病気が癒えることを願い、常に恩に報いる心を懐いて片時も忘れてはならない)

このとき、阿難また問いていはく、「世尊よ、出家子よ、よくかくの如くせば、もって父母の恩に報ずるとなすか」
(この時、阿難が、「世尊よ、求道者もそのようにすれば、よく父母の恩に報いることになるでしょうか」と、再び申し上げた)

仏、宣はく、「否、未だもって父母の恩に報ずとなさざるなり。
(仏は、「いや、まだそれだけでは父母の恩に報いることにはならない」と仰られた)

親、頑闇にして三宝を奉ぜず、不仁にして物を残ひ、不義にして物をぬすみ、無礼にして色に荒み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽らば、子はまさに極諌して、これを敬悟せしむべし。
(もし、親が頑なに三宝を奉らず、思いやりの心がなく人や物を傷つけ、道義に反して物を盗み、礼儀を無くして色欲に荒み、信用なく人を欺き、愚かにも酒にふけるならば、子はまさに言葉を言い尽くして強く諫め、仏道へ導くべきである)

もしなお闇くして、いまだ悟ること能わざれば、すなわち、ために譬えとり、類をひき、因果の道理を述べ説きて、未来の苦患を救うべし。
(強く諫めても、まだ親が自身の間違いに気づくことができず求道しなければ、たとえを用いたり世間の様々な事例を示したりし、因果の道理を説いて、未来の苦悩から救うべきである)

もしなお頑なにして、未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷して、己が飲食を絶つべし。親頑闇なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に牽かれて、強いて忍びて道に向かわん。
(それでも、なお頑なに改めることができなければ、声をあげて泣き、飲食を絶つべきである。頑なな親であっても、子供が死んでしまうことを恐れ、恩愛の情にひかれて、強く忍耐して求道するだろう)

もし親、志を遷して、仏の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて婬せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、すなわち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、婦は貞に、親族和睦し、婢僕忠順に、六畜虫魚まで、普く恩澤を被りて、十方の諸仏、天龍、鬼神、有道の君、忠良の臣より庶民萬姓まで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、侫嬖の輔も、兇兒妖婦も、千邪萬怪もこれをいかんともすることなけん。
(もし親が心を入れ替えて、五戒を守り、思いやりがあっていたずらに殺生をせず、道義を守って盗みをせず、礼にかない淫らな行為をせず、信があって人を欺かず、智があって酒に酔わなければ、家庭内は、親は慈しみ、子は親を大切にし、夫は正しく、妻は貞女となり、親族は仲良くなり、仕える者は忠順に、飼っている生き物に至るまで広く恩恵を被り、諸仏、諸神、君主とその忠臣から一般庶民に至るまで、敬愛しない者はなく、暴悪の君主も、へつらう臣下も、凶悪な子弟や妖婦も、あらゆる邪や怪でもこれをどうすることもできない)

ここにおいて、父母、現世には安穏に住し、後世には善処に生じ、仏を見、法を聞きて、長く苦輪を脱せん。
(この時に、父母は、現世では安穏と過ごし、後世では善い所に生まれ、仏を見、法を聞いて、長い苦悩の輪廻から抜け出すだろう)

かくの如くして、初めて父母の恩に報ずる者となすなり」
(このようにして、初めて父母の恩に報いる者となるのである)

仏、さらに説を重ねて宣はく。
(仏は、さらに言葉を重ねて仰られる)

「汝等、大衆、よく聴けよ。父母のために、心力を尽くして、あらゆる加味・美音・妙衣・車駕・宮室等を供養し、父母をして、一生遊楽に飽かしむるとも、もし未だ三宝を信ぜざらしめば、なおもって不孝となす。
(人々よ、よく聴きなさい。父母のために、力を尽くしてあらゆる無常の幸福を与えようとも、仏法を信じさせなければ、なお親不孝者である)

如何となれば、仁心ありて施を行ひ、礼式ありて身を検め、柔和にして辱を忍び、勉強して徳に進み、意を寂静に潜め、志を学問に励ます者と雖も、一たび酒色に溺るれば、悪魔忽ち隙を伺い、妖魅すなわち便を得て、財を惜まず、情を蕩かし、忿を起させ、怠りを増させ、心を乱し、智を晦まして、行いを禽獣に等しくするに至ればなり。
(なぜかというと、思いやりの心から布施し、礼儀正しく身を整え、柔和な心で恥を忍び、努めて徳を身につけようとし、心を静かに落ち着かせ、学問に励もうと心に決めた者であっても、一度酒色に溺れれば、悪魔がたちまちに隙を伺い、悪しきものが迷わせ、財産を使い果たし、情欲に溺れ、怒りを起こさせ、怠け心を増させ、心を乱れさせ、智恵を晦ませ、行いをけだもののようにさせるからである)

大衆よ。古より今に及ぶまで、これによりて身を亡ぼし、家を滅し、君を危くし、親を辱しめざるはなし。この故に沙門は独身にして偶なく、その志を清潔にし、ただ道をこれ務む。子たる者は、深く思い、遠く慮りて、もって孝養の軽重、緩急を知らざるべからざるなり。およそこれらを父母の恩に報ずるのこととなす」
(人々よ、遠い昔から今に至るまで、これによって身を滅ぼし、家を滅ぼし、君主を危うくし、親を辱めなかったということはないのである。この故に、求道者は独身でいて家庭を持たず、志を清潔にし、求道に励むのである。また、それ以外の親の子たる者は、物事を深く考え、遠い先のことまで思いを巡らし、孝養の様々な方法を知っておくべきである。およそ、これらのことをして初めて父母の恩に報いることになるのである)

このとき、阿難、涙を払ひつつ、座より起ち、長脆合掌して、すすみて仏に白してもうさく、「世尊よ、この経はまさに何とか名づくべき、またいかにしてか奉持すべき」と。
(この時、阿難は涙を振り払いながら立ち上がり、跪ずいて合掌し、前に進んで仏に、「世尊よ、この経は何と名づければよろしいでしょうか、また、どのようにして奉じるべきでしょうか」と申し上げた)

仏、阿難に告げたまはく。
(仏は阿難に告げられた)

「阿難よ、この経は、父母恩重経と名づくべし。もし一切衆生ありて、一たびこの経を読誦せば、すなはちもって乳哺の恩に報ずるに足らん。
(阿難よ、この経は、父母恩重経と名づけなさい。もし人々が一度でもこの経を読誦するならば、乳哺養育の恩に報いることに足るであろう)

もし一心にこの経を持念し、また人をして持念せしむれば、まさに知るべし、この人はよく父母の恩に報ずることを。一生にあらゆる十悪、五逆、無間の重罪も、みな消滅して、無上道を得ん」
(もし一心にこの経を常に心に保って念じ、また人に保たせ、念じさせれば、この人はよく父母の恩に報いることを、まさに知るべきである。一生涯に造った十悪五逆無間地獄に堕ちる重い罪悪も、みな消滅して最高の悟りを得るだろう)

このとき、梵天、帝釈、諸天、人民、一切の集会、この説法を聞いて、ことごとく菩提心を発し、五体を地に投じて、涕涙、雨の如く、進みて仏のみ足を頂礼し、退きておのおの歓喜奉行したりき。
(この時、梵天、帝釈天、諸々の天、すべての会座に集まった人々は、この説法を聞いて、ことごとく菩提心を起こし、五体を地に投げ、雨の如くに涙を流し、前に進んで仏の前にひれ伏し、仏の足に頭にあてて礼拝し、退いて帰った後、それぞれが喜んでこの教えを仰ぎ実行したのであった)

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