五逆罪とは
五逆罪という罪悪があり、次の5つの大罪をいいます。
1.父殺し
2.母殺し
3.羅漢殺し
4.和合僧を破る
5.仏身より血を出だす
3番目の「羅漢殺し」ですが、羅漢というのは小乗の最高の悟りを開いた者を指します。現代ではそのような人はいませんが、羅漢を善知識とすれば現代人も他人事ではありません。
4番目の「和合僧を破る」というのは、僧の和を乱すことをいいますが、僧とは真実の仏法を広める団体のことです。あからさまに誹謗中傷するだけではありません。約束を破ったり、時間を守らなかったり、こういった行為は和を乱すことになります。
5番目の「仏身より血を出だす」ですが、仏を苦しませる行為です。
・十悪より重い罪悪
五逆罪は、簡単に言うと親殺しの罪で、十悪よりも重い罪です。無間業といって、五逆罪1つで無間地獄に堕ちなければなりません。
誰もが五逆罪を造っている
親を殺すとは肉体の死に限りません。
末灯鈔には、「親を謗るものをば、五逆の者と申すなり」とあります。親を謗ることは五逆の大罪なのです。
しかし、誰もが親を謗っています。
遅刻しないよう朝起しに来てくれた親を、「うるさい」と口で謗り、心で殺さなかったでしょうか。親が苦しむのを見て喜んでいなかったでしょうか。実家を出て一人暮らしをすれば、親は心配で仕方ありませんが、便りは出したでしょうか。結婚して自分の家庭のことで忙しくなり、親をないがしろにしなかったでしょうか。親が病気になった時と、子供が病気になった時とでどちらが青ざめるでしょうか。子供が何をしてくれたというのでしょうか。
ある孝行息子が、脳溢血で倒れた母親を看病した時の話です。
最初は、一生懸命看病していましたが、7日、8日と経ち、次第に助かる望みがなくなってくると、「仕事や家族の心配をするようになった」といいます。そして、「もう助からないなら早く死んでくれたらいいのにと思うようになった。心で何度も母を殺していた」と言って泣いたといいます。
医師の矢作直樹(東京大学名誉教授)は、次のように母親が死んだ時、幸福感に満たされたと言っています。
「母の死を受け入れたとき、私は、これでもう心配しなければならない人はいなくなったという思いが湧き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました」
第1巻から説明してきたように、どんな孝行者でも、いざとなれば親に死んで欲しいと願ってしまうのです。
このように、少し反省しただけでも、人生を通して親を謗り続け、殺し続けていることがわかります。親の恩を感じ、人一倍、親孝行していると自惚れている人もいるでしょうが、誰もが、親殺しの大罪人なのです。
五逆罪より重い罪悪
〇謗法罪
謗法罪は、仏法を謗る罪です。謗法罪は相対悪である十悪や五逆罪と違い、絶対悪であり、人間が造る最悪の罪です。
・親殺しより重い罪
謗法罪は五逆罪より重い罪です。大恩ある親を殺す罪は非常に重いものですが、親を殺してもせいぜい2人です。
仏法は、死の解決という人間が助かるたった一本の道を説いています。
その道を壊すような行為は、全人類を無間地獄に叩き堕とすことになるため、罪悪が重いのは当然です。
その罪の重さは五逆罪の比ではありません。
どうしたら助かるか
五逆罪を造っている人間はどうしたら助かるのでしょうか?
阿弥陀仏は次のような誓いを立てています。
「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」(大無量寿経)
(書き下し:設い我仏を得んに 十方の衆生 至心に信楽して 我が国に生まれんと欲うて乃至十念せん 若し生れずば 正覚を取らじ 唯五逆と正法を誹謗せんことを除かん)
(訳:私が仏になる時、すべての人々が心から信じて、私の国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、仏の命を捨てよう。ただし、五逆の罪を犯した者と謗法の罪を犯した者は除く)
・唯除五逆誹謗正法
この言葉の真意について、親鸞は次のように説明しています。
「唯除というは、ただのぞくということばなり。五逆のつみびとをきらい、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつのつみのおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべし、としらせんとなり」(尊号真像銘文)
(訳:唯除とは、ただ除くという言葉である。五逆罪を犯した極悪人を嫌い、仏法を謗る罪の重さを知らせようとされているのである。この2つの罪の重さを示して、すべての人々が皆もれずに往生できるということを知らせようとされているのである)
親は子供が悪いことをすれば厳しく叱りつけ、あまりに酷ければ「家から出てけ!」と怒鳴ることでしょう。しかし、このように厳しくする親の真意は、本当に家から出ていってほしいのではなく、子供に自分の過ちを反省させることにあります。悪いことしているのに、「あなたは悪くないよ」などと甘やかしていれば教育になりません。
このように、五逆罪と謗法罪という重い罪悪を造っている極悪人であることを自覚させて救おうとするのが、この言葉の真意です。別の言い方をすれば、極悪人の自覚ができれば他力が働き救われますが、自覚できなければ救われないということです。