子育ては必ず失敗する
子育ての成功とは子供を幸せにすることですが、無常の幸福では幸せになれないのですから、子育ては必ず失敗するということです。自分が幸せになる方法がわからないのに、子供を幸せにできるわけがありません。
人間は「子供を立派に育てられる」と思っていますが、それは人生に不真面目だからであり己を知らないからです。第2巻でも説明したように、真面目に考えれば人生が不可解であることがわかり深刻に悩みます。
「何のために、こいつも生まれて来たのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。——何のために、またこいつも己のようなものを父にする運命を担ったのだろう?」(芥川龍之介)
「娘に希望を持たせるのは、難しく、やっぱりどうも、私は絶望になっちゃうんです。私自身がまだ、今のこの現実に対して希望の確信を持てないでいるのでしょう」(太宰治)
世の親は無常の幸福しか知らないため、意識するとしないとにかかわらず、盲目の愛から、学校、仕事、結婚・・・と延々と無常の幸福を求めるよう子供のケツを叩き続けます。
・子供に嘘をついている
無常の幸福で子供を幸せにしようとするということは、別の言い方をすれば嘘をつくということです。親は自分が子供に嘘をついていることに気づいていません。第1巻から説明してきたように、噓だらけの教育です。子供はそういった嘘を敏感に見抜くので、やがて信用しなくなります。
「人生は苦悩です。ですから自分の子にそう教えない人は不正直だし、間違っていると思います。生きることは逃げ場のない闘いです。これは誰にとっても同じこと」(マリア・カラス)
「親は子供に、人生に対して間違った期待を抱かせてると思うわ。子供たちはみんな人生についてまったく的外れなことを教えられて、社会に出るまではその考えが正しいと思ってるのよ。愛や結婚について聞かされるのと同じね。実際に経験して、痛い思いをしながら学ぶしかないのよ」(マドンナ)
「親もまた、教育が悪いのは、先生のせいにする。先生は先生で文部省がいけないって国のせいにする。責任を全部ぐるぐるたらい回しにしているだけだからね」
「それにしても最近のバカ親の行動は目に余るね。キャバレーのねえちゃんが何とかテリアを連れて歩いているのと同じ。子供は自分を飾るための道具に過ぎないんだ」(ビートたけし)
・失敗は連鎖する
自分と同じ人生を子供に体験させるとしたらどうでしょうか。1秒違わずまったく同じ人生です。誰でも「それはさせたくない」と思うでしょう。
「自分の失敗を子育てに活かせばいい」と言うかもしれません。しかし、あなたの親もそう思ってあなたを育てたはずです。
同じ人間なので、結局は似たり寄ったりの人生となっていくのです。
「古来、いかに大勢の親はこう言う言葉を繰り返したであろう。——『わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させなければならぬ』」(芥川龍之介)
そして、子供は親となり、同じような教育を子供にしていきます。この流れを人間は繰り返すのです。
「但これを坐するゆえに、且つ自らこれを見れば、かわるがわる相瞻視して先後同じく然なり。転た相承受するに、父、教令を余す。先人・祖父素より善を為さず。道徳を識らず。身愚かに神闇く、心塞り意閉じて、死生の趣、善悪の道、自ら見ること能わず。語る者あることなし」(大無量寿経)
(訳:真理を知らないから、自分が間違った見方をし、先の者も後の者も代わる代わる見習い、同じように間違っていく。そして、親の間違った考えを子供は次々に受継いでいくのである。先祖代々、心は暗く頑なであり、生死や善悪の真理を知らないので本当の善い行いもせず、語り聞かせる人もいない)
・必ず親を恨んで終わる
大きな不幸がやってくると、人間はどうしても他を恨みます。第3巻で見たように、臨終の苦しみは人間に耐えられないので、どんなに孝行者であっても、最期は必ず親を恨んで死んでいくということです。
・孝行者は正しいか
道徳的には孝行者は称賛され、不孝者は非難されます。
しかし、世間の親の教育は間違っているのですから、孝行者だからといって正しいとは限りません。こちらで説明したように「善に弱い人」かもしれません。
同じように、不孝者だからといって間違っているとは限りません。「悪に強い人」かもしれません。仏教と出遇って改心し、爆発的な求道をするかもしれないのです。
釈迦でも難しい子育て
どれほど親が優れていても子育ては難しいものです。
子供といえど他人なので、親の優劣とは別個の問題もあります。ガリレオは、「人を教えることはできない、ただ自悟させる手助けをするにすぎない」と言いましたが、親ができるのは手助けだけです。子供自身の努力といったものが必要不可欠になります。
また、子供の魂(本体)は今生で初めて誕生したのではなく、過去無数の生死を繰り返し今に至っています。今の子供には過去無数の親がおり、たまたま今生で親子関係になっただけです。こちらの記事で説明した通り、親は縁にすぎません。
今生の親の教育だけでは、いかんともし難い問題があるのです。ちなみに、今の子供が過去世では自分の親だった可能性もあります。
親鸞は長子である善鸞を義別しています。つまり、子育てに失敗したのです。親鸞ほどの人でも難しい子育てです。「子供を幸せにできる」と思うのは自惚れであり、基本的に子供を持つ資格は人にはありません。人生の実相や自分の値打ちがわかれば、子供を産むことに申し訳ないという気持ちになります。
理想の親の姿
理想の子育てとはどのようなものか、一例を挙げましょう。
「往生要集」で有名な源信は3歳の時に父親を亡くしており、以来、母の手1つで育てられました。
やがて比叡山の僧侶に才能を見出され、出家を勧められます。
(こんな片田舎で女の手で育てるよりは、高僧に託して学問させたほうがこの子のためになるだろう・・・・)
源信の母は考えた末、源信を出家させることにしました。
「これから勉強して、立派な僧侶におなりなさい。私は、お前が偉い僧侶になるまでは、2度と会うことは決してありませんから、そのつもりでしっかり修行なさい」
このように言って見送りました。
源信は、母の期待に応えるべく一生懸命修行に励むようになります。
ところが、しばらくして母に会いたい気持ちが強くなってきました。そして、とうとう「会いに行きたい」という手紙を出してしまいました。しかし、その時も母は、「私もいつもあなたのことを思っています。けれど、そうすると修行の妨げになるから会いに来てはなりません」と言って会うことを許しませんでした。
15歳になる頃には、源信の名声は世に知れ渡っていました。
その年、法華八講の講師として、源信に称讃浄土経を講じるようにとの勅命が宮中からありました。
時の御門、村上天皇始め公卿たちは源信を見て、「このような子供に説法が勤まるのか」と訝しがりました。
ところが源信の才知溢れる説法は彼らを驚かせました。
源信は立派に大役を務め、天皇から褒美としてたくさんの品々を与えられました。喜んだ源信は、それらの品々を手紙とともに母に送りました。すっかり喜んでくれるとばかり思っていましたが、まもなくして母から思いもよらぬ返事が品物と一緒に返されてきました。
「山に登らせ給いてより後は、明けても暮れても床しさ心を砕きつれども、貴き道人となし奉る嬉しさと思いしに、内裏の交わりをなし、官位進み、紫甲青甲に衣の色をかえ、君に向い奉り、御経讃し、御布施の物をとり給い候ほどの、名聞利養の聖となりそこね給う口惜さよ。
唯命を限りに樹下石上の住居草衣木食に身をやつしては、木を樵り落葉を拾い、偏に後世たすからんとし給えとて拵えたてしに、再び栄えて王宮の交りをなし、官位階品さまざまの袈裟に出世をかざり、名聞の為めに説法し、利養の為めの御布施、更に出離の御動作にあらず、唯輪廻の御身となり給うぞや。
唯遇いがたき優曇華の仏教にあいぬれば、思い入りて後世たすかり給うべきに、悲しくも一旦の名利にほだされ給うこと、愚なる中の愚なること、殊に惜しき次第、あさましく候え。
之を面目と思い給うは賤しき迷なるべし。夢の世に同じ迷にほだされたる人々に名を知られて何かはせん。永き後に悟を極めて仏の御前に名をあげ給えかし。仏法を知らざる賢人さえ、首陽山にとぢこもりて王命を否びせしとかや。況んや剃髪染衣の御身にて、捨身の行に赴きたまいし山籠の聖の、何條さのみ勅語にかかづらい、男女雑居の處へは出でさえ給うぞや。
亦給わり候御衣は何になしける御計らいぞや。已に如説如法の聖さえ、布施にうたれては地獄に焦るゝと申すに、『称讃浄土経』の御布施の御衣、この尼にとりて何となすべく候や。浄土たすくるまでこそなくとも、却て三途に導き給うべきこそ浅間しきに申すべきや。まなこ耳にもふれじと思えば此法師にかえし候」
そして、次のような句が添えられていました。
「後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに 世渡る僧と なるぞ悲しき」
これを見て大きな衝撃を受けた源信は、褒美の品々を天皇に返し、比叡の奥の横川の堂に引き籠りました。そして、「名利」の2字を壁に掲げて一心不乱に求道し、見事、死の解決まで求め切ります。母の期待通り、「後の世を渡す橋」となったのです。源信は後に、「まことの道に入れたのは母のおかげ」と述懐しています。
これが理想の子育てですが、現代の母親には何から何まで難しいことでしょう。しかし、近づくことはできます。仏教を学ぶには早ければ早いほどいいので、子供のうちからわかりやすい形で教えるべきです。