方便の正しい意味。「嘘も方便」は間違い。

方便とは

方便とは、サンスクリット語のウパーヤーの中国語訳で、日本語では「真実に近づける」という意味です。
人間は迷い深いので、いきなり真実を説いたところで、すんなりと理解できる人はまずいません。
真実に近づけるために、その人の機(能力や性質)に合わせて様々な方便が使われるのです。
「仏教」の範囲は非常に広いですが、膨大な経典からも、方便を使わないと真実がなかなかわからない人間の迷い深さを伺うことができます。
ちなみに「嘘も方便」とよくいわれますが、これは間違った使われ方です。
「仏教多門にして八万四なり、正しく衆生の機、不同なるがためなり」(教行信証)
(訳:仏の教えは無数にあるが、これは人間の素質や能力に違いがあるためである)

「如来世尊、国土のためのゆえに、時節のためのゆえに、他語のためのゆえに、人のためのゆえに、衆根のためのゆえに、一法において二種の説を作す、一名の法において無量名を説く、一義の中において無量の名を説く、無量の義において無量の名を説く」(教行信証)
(訳:仏は、それぞれの世界に応じて、それぞれの時に応じて、それぞれの使っている言語に応じて、それぞれの人に応じて、それぞれの素質や能力に応じて、一つの法を様々な説き方をし、一つの名を無数の名で説き、一つの意味を無数の名で説き、無数の意味を無数の名で説く)

「方便を悪しということは、あるまじきなり。方便をもって真実をあらわす廃立の義、能く能くしるべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」(御一代記聞書)
(訳:方便を悪だということはあってはならない。方便は真実に近づけるための手段であり、真実が明らかとなれば方便は廃されるという廃立の教えをよくよく知るべきである。阿弥陀仏、釈迦、善知識方が使われる、その人に応じた巧みな方便によって死の解決をすることができるのである)

いつの時代も善知識が言うことは同じです。表面上は違うことを言っているように見えても、中身は同じことを言っています。私の本でも、第1巻から様々な話をしていますが、別々のアプローチから同じことを論じているだけです。
一方で、方便には短所もあります。たとえば、方便を使うと、いきなり真実を説くよりも当然、遅くなります。

第1巻でも説明したように、科学が外から内(心)へ転換しつつあるので、それに合わせて世間も転換していくかもしれません。方便として科学は期待できます。

方便に迷う

しかし、真実に近づけるための方便であるのに、方便に心を奪われている人が多くいます。
そのため、現代では様々な「仏教」が乱立しています。大集経には、「現代は末法の時代であり、闘い、争いが盛んであるので、釈迦の正しい教えは隠れてしまった」と説かれています。
第1巻でも説明したように、科学が「正しい教え」を浮かび上がらせてくれるかもしれません。あるいは、人間のやることなので、もっと隠してしまうかもしれません。

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