「不退転」という言葉は、現代でも「不退転の決意で臨む」などと使われますが、元は仏教用語です。
不退転の境地
以下の記事で詳しく説明したように、世間一般で幸せとされている境地は、無常の幸福であり時間とともに退転してしまいます。特に人間最大の苦しみである死がくれば必ず退転してしまいます。
一方、死の解決の境地は不退転の境地です。
退転する悟り、しない悟り
悟りの52位中、40位までが退転位であり、少し油断すると崩れてしまう境地です。
41位からが不退転位になります。そのため、41位の初地の悟りを初歓喜地ともいいます。そして、41位以上の悟りを開く方法に、自力と他力の2つの方法がありますが、自力は誰もできない道なので、他力の道を取る必要があります。
正定聚
死の解決の境地を正定聚といいますが、正定聚は不退転の位です。
「即得往生 住不退転」(本願成就文)
(書き下し:即ち往生を得、不退転に住す)
(訳:死の解決をすれば、生きながら往生することができ、不退転の位に至る)
「真実信心うるひとは すなわち定聚のかずにいる 不退のくらいにいりぬれば かならず滅度にいたらしむ」(浄土和讃)
(訳:死の解決をした人は、正定聚となる。それは不退の位であり、煩悩が吹き消された最高の境地に必ず至る)
「不退といふは、これ心不退なり」(浄土真要鈔)
(訳:不退というのは、心が不退になるのである)
「『往生』というは、あながちに命終の時にあらず、無始已来、輪転六道の妄業、一念南無阿弥陀仏と帰命する仏智無生の名願力にほろぼされて、涅槃畢竟の真因はじめてきざすところをさすなり。すなわち、これを『即得往生 住不退転』とときあらわさるるなり」(浄土真要鈔)
(訳:往生は臨終の時ではなく、始めの無い始めからの六道輪廻を生じさせている無数の悪業が、阿弥陀仏に帰依した一念に本願力によって滅されて、涅槃に至る本当の原因が初めて生じるのである。つまり、これを「即得往生 住不退転」と説かれるのである)
・死が来ても退転しない境地
正定聚の境地は、死が来ても微動だにしません。
「信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと、金剛の如くなるが故に、金剛の信心と言うなり」(唯信鈔文意)
(訳:信心が破れず、傾かず、乱れないこと、金剛のようであるので金剛の信心と言うのである)