真実はいつも1つ

この世界には「真実」というのがあります。

人間は真実を求めている

こちらで説明したように、宇宙の真理を意識化する方向に向かって生命は進化しています。

進化論は「悟り」へ向かう。ダーウィンから望月進化論へ。

「人間の知りたいという欲求は、無意識の中に横たわる自己からの働きによるもので、それは宇宙の真理を知ることに向けられていると考えられる。宇宙の真理を意識化したいという暗黙の欲求によって、人類の進化としての営みが行われているように」(望月清文/城西国際大学教授)
この欲求が人間にあることは、日常の至るところで見ることができます。たとえば、裁判所は真実を追究する場です。被害者は一様に「真実を知りたい」「真実を明らかにしてほしい」と訴えます。また、科学であれ何であれ、学問というのは真実を追究しています。トルストイは、「人々が心から信仰している一切のものは、真理でなければならぬ」と言いましたが、人間は真実というものは信じなければならないと思っています。
このように、人間は意識するとしないとにかかわらず、「真実は何か」ということを常に求めています。

真実の定義

哲学における真実の定義は次のようになっています。
・いつでも変わらない
1つ目は時間を超えて変わらないものということですが、簡単に言うと「いつでも変わらない」ということです。仏教では「三世を貫く」といいます。

・どこでも変わらない
2つ目は空間を超えて変わらないものということですが、簡単に言うと「どこでも変わらない」ということです。仏教では「十方を普く」といいます。
つまり、真実の定義は「時空(時間と空間)を超えたもの」となります。
特に、人間にとって「幸せ」が何よりも重要です。つまり人間は、意識するとしないとにかかわらず、「いつでもどこでも変わらない幸せ」を探し求めているということです。

人間は迷いやすい

しかし、人間は迷いやすい生き物です。
哲学者のキルケゴールは、「人は二通りの方法で騙される。一つは、真実ではないことを信じることによって。もうひとつは、真実を信じないことによって」と言いました。

人間は迷いやすい

真実を追究する力

人間には、偏見を持たず真実を追究する力が要求されます。「偏見がない」というのも1つの能力です。人間心理からいえば諦観、つまり真理を明らかに観察することは難しいことですが近づくことは可能です。カール・セーガンは、「懐疑精神を身につけるのに、高い学歴がいるわけではない。現に、たとえば中古車を買うときには、たいていの人がこの精神を発揮しているではないか」と言いました。
死や地獄が迫れば最後は、「溺れる者は藁をも掴む」という心境になってしまいます。いざとなれば藁があれば掴むだけで、「この藁を掴めば本当に助かるのか」とまでは思わないものです。そうなる前に真実を追究する必要があります。
・理性が真偽を判断する
第1巻でも理解の重要性について触れましたが、哲学者のパスカルが「人間は考える葦である」と言ったように、人間にとって考える力は非常に重要なものです。
哲学者のラルフ・ワルド・エマーソンは、「軽薄な人間は運勢を信じ、強者は因果関係を信じる」と言いましたが、物事の真偽を判断するのは、感情ではなく理性です。宗教にしても理性から入ることが重要です。

・必ず迷う
結論から言えば、いくら追究しようが真実の幸福は自力で見つけられるものではありません。科学は人生の根本的な問題に対して無力であり、他に方法を見つけようとしても宗教はおかしいものばかりです。結局、ほとんどの人は、真実の幸福を手に入れないまま、つまり迷ったまま、迷っていることを自覚することもないまま死んでいくことになります。

如来

第1巻から見てきたように、「いつでもどこでも変わらない真実の幸福」は、大乗仏教に説かれています。
仏のことを如来ともいいますが、これは真如来現の略であり、真如とは真理のことです。つまり、仏とは真理を説きに来たり現れた方ということです。
仏教は、聞いていけば必ず理性が満足します。つまり、因果関係が明確になり納得できるということです。理性が満足しない場合、説く側か聞く側のどちらかが未熟です。

仏教でしか助からない

真実を追究すれば仏教に行き着きます。
「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。すなはち、四生の終帰、万国の極宗なり」(聖徳太子/十七条憲法)
(訳:心から三宝を敬いなさい。三宝とは阿弥陀仏、仏法、善知識である。つまり、すべての生物が最後に行き着く教えであり、すべての国の究極の教えである)
無数の宗教が世にありますが、いずれの時代も助かる道は仏教しかないのです。ちなみに、「宗教」という言葉は、元は仏教用語です。
・法印
たとえば、他の宗教では教えることができない、仏教を特徴づける根本法則とされているものがあり、これを法印といいます。
法印には「諸行無常印」「諸法無我印」「涅槃寂静印」の3つがあり、三法印といいます。

・正しい生き方
真実を説く仏教を信じることが人間として正しい生き方です。
幕末・明治の政治家、木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新三傑といわれた人ですが、彼は仏教の信者でもありました。
そんな木戸の耳に、ある時、こんな陰口が聞こえてきました。
「天下を動かす大人物が、仏教とは情けない」
そこへ木戸は突然出ていき、驚いた人たちに向かって次のように反論したといいます。
「私には勇気も知恵もない、あるのは信仰のみ、正しい信仰を持つことは、千万の味方を得ることよりも心強いこと、傘を持っているおかげで雨が降っても安心していられるようなものだ」

・仏教以外信じるな
仏教しか助かる方法はないため、仏教以外を信じてはならないと厳しく説かれます。

方便

「迷う道は広いが、助かる道はただ一筋」(和泉の吉兵衛/妙好人)
いつの時代も、救われる道は1つしかありません。
その正しい一本道に近づけるために釈迦は膨大な対機説法をしたのであり、その内容が膨大な経典として残されているのです。

方便の正しい意味。「嘘も方便」は間違い。

・迷う
しかし、その一本道に近づけるための方便であるのに、方便に心を奪われている人が多くいます。
そのため、現代では様々な「仏教」が乱立しています。大集経には、「現代は末法の時代であり、闘い、争いが盛んであるので、釈迦の正しい教えは隠れてしまった」と説かれています。
第1巻でも説明したように、科学が「正しい教え」を浮かび上がらせてくれるかもしれません。あるいは、人間のやることなので、もっと隠してしまうかもしれません。

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