進化論は「悟り」へ向かう。ダーウィンから望月進化論へ。

「〇〇進化論」なるものは数多くあります。「悟り」の研究も昨今では増えてきました。特に注目したいのが、城西国際大学教授の望月清文による研究です。少し詳しく紹介しましょう。
〇進化論の間違い
ダーウィンの説く漸次的な進化(単純な生命体から少しずつ変化すること)では説明できない現象があると指摘します。
たとえば5万年前頃の文化的爆発については次のように言います。
「人類が猿人から進化し、石器を作り始めるのが200万年前。人類の残した石器は、その時から200万年もの間、人類の心の進化が極めてゆっくりとしたものであったことを物語っている。しかし、5万年前頃から、人類の生活には突如として大きな変化が起きてきた。彫刻、絵画、装飾品の作成といった文化的営みから、航海というまったく新しい技術の獲得、さらには、骨、象牙といった石以外の材料を用いての技巧をこらした道具の製造といったことが突如として、それも世界のあちらこちらに空間を越えて、ほとんど同じ時期に一斉に起きていたのである」
ダーウィン自身も種の起源の中で、自説の難点をいくつか挙げていました。
たとえば、種が漸次的に進化するなら、ゾウやキリンの中間的な種がいてもいいはずなのにいないといった点などです。
「もしも種は他の種から認知しがたい微細な漸次的変化によって生じたものであるとすれば、至るところに無数の移行型がみられないのはなぜであろうか」(ダーウィン著『種の起源』より)
他にもカンブリア紀の爆発(多様な生物が突然誕生した)や、不稔性(異種間で交配が行われないこと)の問題など、具体例を挙げて指摘しています。
・心の世界を無視している
望月は、ダーウィンの進化論は物によって形作られた見せかけの進化が見えるだけで、精神的進化は見えてこないと指摘します。
「ダーウィンの進化論に代表されるこれまでの科学は、その生命の進化を議論するのに、肝心な心の世界を無視し、単に目に見える世界に展開する現象だけで推論してきてしまった。そこに、生命進化の本当の姿をとらえきれない要因があるのだが、多くの科学者は、そのことに気づいてはいない」
「科学がこれまでやってきたものは、全体から部分を切り離し、その部分を詳細に調べていくことであった。そこには、全体を構成している基本的エレメントがあり、物がそのエレメントから成り立っていることを分析することができた。しかし、生命の営みに関しては、全体から部分を切り取ってしまうと、全体で1つとなって現れてくる精神世界を壊してしまうことになる。そして、その分析からは生命の本質が把握されないことは、今まで述べてきたことから理解していただけるであろう。
このことを、エルロという哲学者は、2粒の麦粒によって説明している。今ここに2つの麦粒がある。このうちの1つを取り出して、それを細かく切り刻み、顕微鏡によってその構造を詳細に把握することができる。科学がなしてきたことは、この細かく切り刻むことによって、微視的な世界を明らかにしてきた。その細かく刻まれた麦粒を、再び集めて1つとし、切り刻むことのなかったもう1つの麦粒と一緒に大地に蒔いたらどうなろう。切り刻まれた麦粒は、たとえ、それらが1つに張り合わされたとしても大地の中では何の変化も生まれないのに、切り刻まれることのなかった麦粒からは、やがて芽が出、実をなすであろう。科学がなしてきたことは、最も大切な生命を切り落としてきたことであると」
ダーウィン自身も心の問題に関して、「私はまず最初に、心の能力が初めいかにして生じたかについては、生命そのものの起源についてと同様に、あつかうつもりがないことをいっておかねばならない」と言っています。

・ベルグソンの進化論
「これまでの進化論の中で、心の世界に焦点を当てて進化を論じている人は、わずかである。そのわずかな1人に、哲学者ベルグソンがいる。ベルグソンの創造的進化に関して、その基本的要点をまとめてみると、生命の進化は、生命のはずみを基本にして進化してきたと説く」
「ベルグソンの語る創造的進化は、生命のはずみとしての創造性という内なる世界の存在を基本に置いていて、その生命のはずみが、突然変異を生み出す力となっていることを暗示している」

〇イメージの進化
心の世界に焦点をあて、イメージによる生命進化を論じています。
「ある生命体は、外界から様々な刺激を受け、その刺激を感じ、たえず内なる世界の中に、あるイメージを湧現している。そのイメージによって、内には、そのイメージを何とかして外の世界に表出したいとする内的エネルギーが蓄積されていくことになる」
「生命進化においては、1つの生命体が環境とのかかわりで、内に抱いたイメージを表現できる機会を密かに待っている。そして、その機会は、突然変異という形で姿を現すことになる」
「生命の営みは、環境との係わり→イメージの創出→意志→形態・行動表現→新たな環境との係わり、というスパイラルな動きをしているのである」
「このスパイラルの中心にあるのは、常に新たなイメージを創出し、それを形態や行動として表現する創造的意志力である。この創造的意志力なくして、生命活動は起こりえない。すなわち、生命とは、内にこの創造的意志力を秘めたものということである」
「これらの進化は、はじめはつまらない単純な道具であったものが、試行錯誤を繰り返しながら、より複雑な機能を持つ道具へと発展していくプロセスによく似ている」

〇生命の進化は統合力の進化
望月は「統合力」という考え方を持ち出しています。
「様々な刺激を統合して1つのイメージを生み出す統合力を基本にして成り立ち、生命の進化は、その統合力によって根底で支えられている」
「単純な機能はもちろんのこと、複雑な機能であればあるほど、それが誕生した時には、完成された形での誕生でなければ意味を成してはこない。そのためには、多様な遺伝子を全体で1つの機能を生み出すものとしてまとめ上げるものが必要であり、そのことをなしているのが、まさに統合力の存在に他ならない。統合力は、まるでオーケストラの指揮者のように、細胞全体に働きかけ、それぞれの細胞に特有な機能を発揮させるために必要な遺伝子を活性化させ、全体を1つの方向に導く働きをしているのである」
フランスの生物学者、アレクシス・カレル(1912年ノーベル生理学・医学賞受賞)は「祈り」の研究でも知られますが、その科学的メカニズムを次のように分析しています。
「精神的要素は、交感神経系に宿る以前でも器官の発生を決定し、それを規制しているらしい。この精神的要素は、解明されている生理学的・物理化学的メカニズムを仲介にし、肉体の形態をその形成時に決定している。祈りによって得られる快癒は、この精神的要素の存在と器官に及ぼすその影響によって説明できる。かつて肉体の形態を決定したこの力を再び刺激することは、病を駆逐し、再び完全な形態を戻すことを可能にする。この力によって、われわれは純粋に精神的な本質と交わることができるのである。ある人たちにとっては空間と時間から抜け出すこともできるのである」
カレルがいう「精神的要素」が統合力であると望月は言います。
「それはまさに、受精卵から細胞分裂を繰り返しながら成体が作られていくその背後に、精神力が介在していることを指摘していて、それはこれまで述べてきた統合力の作用そのものである」

・共通感覚の獲得
共通感覚は、五感に入る様々な刺激が生み出す多用なイメージを統合し、全体で1つとなるイメージとして浮き上がらせる働きをします。言葉によるコミュニケーションを可能とさせ、道具を生み出す根源の力となっている、人間を人間たらしめる心の基盤です。
望月は、言葉と五感との係わりを民族ごとにクラスター分析(得られたデータを基にして、特徴が近いもの同士から順に結びつけ、グループ分けする分析方法)した結果から、共通感覚の誕生時期について次の発見をします。
「共通感覚の誕生が、一個体に起こった突然変異が、交配によって漸次的に種内に広まっていったというものではなく、人類に共通に、ほとんど同時的に個々のない面から生まれてきた進化であることを物語っている。すなわち、共通感覚が人類に誕生した時期、人類はいくつかの異なる民族に分かれて別々の地で生活していたが、その個々の人類の内面から自律的に共通感覚が誕生したということである」
また、共通感覚の誕生時期が文化的爆発の時期と重なることも発見します。
「この文化的爆発に関しては、先に述べたように考古学的には洞窟壁画や彫刻、新しい石器や道具の突然の発生ということで、人類の精神世界にこの時期何かが起きていたことが推測されてはいたが、そのことを決定づける確固とした証拠は得られてはいなかった。しかし、これまで見てきたように、DNAの分析からも、人骨化石の分析からもつかむことのできなかった文化的爆発をもたらした進化の要因が、共通感覚という新たな統合力の誕生として浮かび上がってきた」

・種の進化は同時的かつ突然
種の持つ特有の閾値レベルを超えると新たな統合力が生まれるといいます。
「新たな統合力を誕生させる前の種内には、すでに環境と係わるイメージが内在している。そのイメージは、その種にとっては漠としたものではあるけれども、環境と係わってたイメージであり、それは生命進化の志向性でもある。そのイメージを内に秘めて種は新たな進化を果たす。新しい統合力の誕生である。新たな統合力は、その統合力が誕生する以前の直近の種が抱いていた漠としたイメージを具現化させる統合力である」
人類学者のクリストファー・ストリンガーも「電気がパチッとついたように進化した」と、その突然性を表現します。
「種の進化(新たな統合力の獲得)が起こる時には、形態や棲み分けは勿論のこと、新たな種を特徴づけるものが同時的に起こるということだ。そして、その後は、環境と係わって、種に特有な統合力によって生まれてくるイメージが、漸次的な変異を誕生させる働きかけをしてくるのである」
「種が一斉に同時期に進化するという進化論は、これまで今西錦司によって提唱されてはいた。ただ、その理論を確証できる具体的なデータが得られていなかったために、この進化論はいつしか影を潜めてしまっていた。しかし、ここで得られた結果は、これまで述べてきたように、この今西説を支持する結果を示しているのである」

・大進化は統合力の進化
断続平衡説(種は長い安定状態から突如新しい種へと進化するという説)では、ダーウィンの唱える進化論は単に同種内での変化であるとして、これを小進化と呼び、これに対して、あるとき突如として起きる種の進化を大進化として区別していますが、望月はこれを高層ビルにたとえています。
「種の異なりは階の異なりであり、階を登ることが大進化に対応する。それは統合力の進化によってもたらされる。これに対して、それぞれの種に特有のイメージによって生まれてくる突然変異は小進化であり、各階を水平方向に広げていくことに対応づけることができる。この同じ階における水平方向での変化が、ダーウィンが捉えた進化である」
「異種間の不稔の問題、種に特有な本能の問題、漸次的進化の痕跡が化石記録に残されていないといったダーウィンの抱いた難点が、目に見えないフロアーの存在、すなわち統合力の異なりからきていることが今や明らかであろう」

・時空を超越した世界の実在性
望月は、時空を超越した世界の存在と、その世界にある統合力の存在を強調しています。そして、科学がこの世で起こることはすべて時空の支配する因果から成り立っていると考えている点を強く批判しています。量子論(ベルの定理など)やユングの集合的無意識に触れながら次のように説明します。
「物理の世界、生物の世界で起きていたいくつかの謎は、時空の支配する現象の背後に、時空を超越した統合力が存在していることが無視されてきたことによって、生まれてきていたのだ」
「時空を超越した世界で起きている種の進化を科学者は時空の世界で捉えようとするから不自然な結果に直面することになる。それが、これまで見てきたダーウィンをはじめとするダーウィニストたちの犯してきた過ちであった」
「宇宙物理学や素粒子物理学の世界では、もはや時空という概念が通用しなくなってきていて、物理学者の中には、空間と時間は消える運命にあるのかもしれない、空間と時間は幻想だと本気で考える人も現れてきている。また、量子力学の世界においても、これまでの時空の支配する世界を絶対とする思索基盤に疑問符を投げかけるような、ベルの定理として記述される新たな世界がクローズアップされている。ベルの定理によると、何万光年も離れた2つの光子が、瞬時に影響しあうことが起きていて、従来考えられていた局所的な世界ではなく、空間の壁を越えて、この宇宙が全体で1つのものとして統合されている非局所的な世界の存在を考えなくてはならなくなってきている」
「ベルの定理がもたらしたものは、時空を超越した非局所的なものが実在することであるが、ただ、その非局所的な実在を直接捉えてはいないのだ。すなわち、ベルの定理の実証は、遠く隔たった2つの量子が相互作用をしていない、すなわち、局所的実在の存在という仮定に基づくと、現実の世界で起きていることに矛盾が起きるということで、局所的実在を否定し、実在は非局所的、すなわち時空を越えた世界にあると結論づけているのであれば、それは、非局所的に存在するものを直接とらえたものではない。現象の世界にあって、その究極のところで、現象の世界では直接とらえることのできない時空を超越した何かが作用しているのである」
「我々が行う実験は、どれもこれも客観的世界で行われる。実験が提供できるのは、認識する世界の記述である。ところが、生命活動は、認識される世界の根底に、認識する世界では直接とらえることのできない世界を抱いている。ベルの導き出した非局所的実在は、認識の世界でとらえた実験が、局所的実在の仮定(この仮定がまさに認識の世界での現象であるのだが)を否定するところから生まれてきている。そして、この結論は、認識の世界からまだものを見ているから、非局所という空間に支配された概念表現になってしまっているが、実は、その非局所的実在こそ、森羅万象の内に宿る内的世界である。すなわち、ベルの導き出した定理は、森羅万象に宿る内的世界の存在を暗示しているのである」
「内的世界はまるで湯気のように、外的世界に現象として現れてきていて、その湯気が量子という極微の世界においては大きな影響を与えてきている。そして、ベルの定理がそうであるように、時空を超越した内的世界の存在を現象の世界で直接とらえることはできないのである」
「ここで述べたベルの定理は、量子の世界に限られたものではなく、この世の現象としての世界、すなわち我々が認識する世界が、非局所的実在の上に構築された局所的現象であることを物語っている。そして、これまでの科学は、この非局所的実在を無視し、局所的現象によって物の本質を捉えようとしてきた。しかし、物といえども、そして、生物としては当然ながら、その内には、非局所的実在、すなわち生命そのものを秘めているのであり、非局所的実在を無視した理論には、必ず曖昧とした結果が伴ってくることになる」
「個々体のすべての内を統合力は貫いているが、それは、人間が三次元空間としてイメージするような空間には存在していない。そうした三次元空間を超越した世界に存在しながら、目に見える三次元空間に存在する個々体の内を貫いているのである。その統合力は心の基盤であるから、心が時空を超越した世界にあるということでもある。
思ったことが瞬時に相手に伝わったり、空間的に遠く離れた人同士が、ほとんど同時的に同じようなことに気づいたりといったことを時として体験することがある。それは目に見えない心の世界で起きていて、その心の世界は時空を超越しているからである。
その時空を超越した心が、時空に束縛された肉体に宿っている。そこには、目に見えるものとしての肉体と、目に見えないものとしての心とが、1つの肉体の中に同居している姿がある。すなわち、時空を超越した心が、時空によって規定されている個々の肉体の内に、あたかも分割されているかのように存在しているのである」
「それを言葉で表現することはなかなか難しいが、あえて比喩的に述べるとすると、ひもつけられたいくつもの風船が、それらのひもを一点で結びつけられている状態に例えることができよう。それぞれの風船は、個々別々に空間の中を揺れ動いているけれど、それらの動きは一点の存在によって規定されている。そこには、時空で支配された世界を動き回る風船と、時空には左右されない一点とがある。その一点の存在を統合力の存在に対応させることができよう。一点の変化が、見える世界では空間の壁を越えて一つ一つの風船すべてに一斉に変化を与えることになる」

・種のもつ統合力は不変
「種のもつ統合力は微たりとも変わってはいない。それは、何十億年という間、この宇宙は絶えず変化し続けてきていても、物を統合する統合力(それは重力として現象の世界ではとらえられているが)に変化がないのとまったく同じようにである。変わるのは、環境の変化によって引き起こされる統合力による産物である。
人間の場合にも、共通感覚という統合力は1000年前、1万年前のものと微たりとも変わっていない。ただ、環境が変わることによって、共通感覚が生み出す道具や芸術品などが変化し、文明や文化が変化してきているだけなのだ。すなわち、同じ統合力の下で生み出されたものが、新たに生み出されるものの素材になって、また新たなものが生み出されるということが繰り返されているのである。創造性を発揮している統合力は変わることなくあり続けている中で、その創造性によって生み出されてくるものが年々歳々変化しているのである」
「我々の目にする個は、時空の支配する現象界にだけ存在しているのに対して、それらの個を同種として共通に貫いている種としての統合力は、時空の支配することのない世界にただ1つのものとして存在していることになる。そして、そのただ1つのものを我々は、個々体の差異を超えて、共通な種としてとらえているのである。
こうした個と種の係わりは、数珠に譬えることができる。1つ1つの珠が個々体であるとすると、それらを共通に貫く糸が種に特有な統合力である。珠が肉体であり、糸が心の世界と考えてもいいだろう。個々の珠がどのように変化しようとも、その変化は、種としての唯一の統合力(ここでは糸)に支えられた中での変化であり、内を共通に貫いている唯一のものが変わらない限り、種としての数珠は変化しないということだ。個々の珠は現象の世界でとらえられた個々体であり、それらは時間と共に変化する。これに対して、個々の珠を共通に貫く糸は、ヒト種でいう共通感覚のように、種を構成する個々体の内を共通に貫いているその種にとって唯一無二の統合力であり、種が絶滅しない限り、変化することなくあり続けているのである」

・素粒子の統合力
「この統合力と種に特有な形態や行動との係わりは、生物の世界だけではなく、光や電子といった、この宇宙の原初の姿である素粒子の世界をも貫いている。そのことこそが、生命の進化が統合力の進化として、光のような素粒子からすでに始まっていることを物語っている」
1つ1つの光子は、粒子としての存在を示している一方で、多数集まった光子のふるまいは波としての性質を示します。
人間1人1人の行動はどう振舞うか確定できませんが、もっと広い視野で見れば確率的にとらえることができます(たとえばマーケティングがそうであるように)。
「それは一人ひとりの内に、共通な人間としての統合力が秘められていて、個々人が、それぞれの環境と係わりながら、統合力に根差した意志によって行動しているからである」
同じことが素粒子にも言えるといいます。
「あたかもランダムに到達しているように見えても、それらの動きは、素粒子の抱く統合力によって統制されているため、全体としては、1つの統合された世界を作り上げることになり、それが干渉縞となって表現されてくるのである」
「波の干渉縞が現れるという現象は、光としての統合力が、個々の光子をそれぞれ微妙に異なる環境の中で、全体で1つになるよう行動せしめた結果であり、それは、人間個々人が様々な環境の中で、個々別々な行動をしながらも、全体として秩序ある人間社会を作り上げていることとまったく同じことである。唯一無二の共通な統合力を基盤として、その上に1つ1つの光子の個性が演出される。ただ、その1つ1つの光子の個性もすべて、光の統合力によって統制されていて、その統合力の中で自由に動き回ることが自由であり、個性である。その個性の集合が干渉縞という形になって表出されているのである」
「光の粒子としての性質も、波としての性質も、共に目に見える現象の世界でとらえられたものであり、その背後には、現象の世界に直接その姿を現すことのない光に固有な統合力が秘められているということである。人間に言葉をつかわせ、道具を生み出させるという人間性を与えている根幹が、現象の世界に直接現れることのない統合力としての共通感覚にあるのと同じように、素粒子の世界においても、波としての性質を現象界に表出させているその根幹には、現象の世界ではとらえることのできない、それぞれの素粒子に特有な統合力が秘められているということである。
そして、これらのことは、個と種の係わりをより鮮明にしてくれる。先に述べたように、光の持つ波動性は、粒子としての光がたくさん集まることによってその姿を現してくるが、それは光子の内に秘められた光の種としての統合力の表出であった。すなわち、粒子としての光は個に対応し、その粒子がたくさん集まって形作る波としての性質は、種に対応することになる。
そして、この基本的な関係、すなわち、多数の個が集まることによって、その個の内に秘められている統合力が表出されてくるというのは、生物の世界まで貫かれていて、1つの細胞が細胞分裂を繰りかえして一個の成体を作り上げているからであり、それらは、その種に特有な統合力の表出された姿である。
以上のように、素粒子の世界でとらえられている粒子と波の二重性は、生物の世界でとらえられている個と種の係わりになっていて、統合力が、素粒子の世界にすでに存在していることをより確かなものにしてくれる」

・難点の解決
「文化的爆発」「不稔性」「ビッグバンの誕生」「光の二重性」「DNAの誕生」「カンブリア紀の爆発」「断続平衡」「ターンオーバー現象(ある種が絶滅すると、その絶滅に伴って新たな種が突然の如く誕生してくること)」「人間言語の誕生」「人間の道徳性の誕生」など、統合力の進化の考えによって、ダーウィンの進化論では説明が難しい多くの問題も説明がつくとしています。

・スエデンボルグ
「でも、やはり、その確信を確実なものにするために、私の研究以外の他の思索なり、他の人の体験に基づいた言及といったものによって、私のたどり着いた生命進化の真相を検証したい思いは常に抱えていた。特に、現代科学の1つの大きな基盤となっているダーウィンの進化論を根こそぎ否定してしまうような推論であるから、なおのこと、私の研究結果から自然に導かれた生命進化の真相を、他の何かで検証したいという思いは強かった」
そんな思いを抱きながら、著作もほぼ完成に近づいてきた時、ふらりと入った一軒のブックショップで、イマヌエル・スエデンボルグの著書に出会ったといいます。
「この時まで、私自身、スエデンボルグの著書はもちろんのこと、彼の名前さえ知らなかった。でも、その著書の一文を目にしただけで、私の心は高鳴った。というのは、そこに書かれている言葉の1つ1つが、私が、あの言葉と五感との係わりの発見を契機にしてたどり着いた生命世界の有り様そのものを表現していたからだ」
「体験したものをそのまま表現したり、あるいは、その体験をもとにして見えてきた世界を表現したりしているが、そこに描かれているのは、まさに生命のこと、時空を超越した世界のこと、そして、統合力の世界のことである」
スエデンボルグは統合力を「度」と表現していると望月は言います。
「度には縦の度と横の度の2つの種類があり、横の度は連続しているのに対して、縦の度は分離しているとしている。この2つの度は、先に私が統合力の進化を高層ビルの譬えとして述べたが、その高層ビルの譬えそのものである」
「度の他に、時空を超越した世界の存在についても述べていて、私のデータに基づいた推論の1つ1つが、彼の体験した心の世界、生命の世界であり、本書で述べてきたことが、生命進化の真相を語っているものであることを改めて確信させてくれる」

〇進化には指向性がある
精神世界の変化に目を向けると、生物の進化は目的を持っていることが見えてくると指摘します。
「確かに、単細胞生物の後から動物が生まれ、人間が生まれてきたという時間的な経過があるが、それがはたして進化であると何をもって表現できるであろうか。手足を持つことが進化なのだろうか、直立歩行をすることが進化なのだろうか。それとも、言葉を発する機能を持つことが進化なのだろうか。形態的なもの、機能的なものだけを見ている限り、そこには進化として定義づけられる確固としたものは存在していないように思える。
ところが、これを精神世界において眺めてみるならば、単細胞生物より動物のほうが、動物よりも人間のほうが、より広い精神世界を持ち、そこに進化の方向性があることがわかる。考えることはもちろんのこと、意識すること、喜怒哀楽といった感情を持つこと、意識的に創造と係わることができること、生と死の概念を持っていること、さらに、幸せと不幸とを感じる心の世界を持っていることなど、人間しか持たない、あるいは人間になってよりはっきりした形で浮かび上がってきた数多くの精神世界がある。機能的世界からははっきりとは見えてこなかった人間の優位性、進化の指向性を、精神世界からは、はっきりとつかむことができる」
「光や電子といった素粒子にも統合力が貫かれていて、それが波としての性質として現れてきていることは先に述べたが、その光や電子がどんなにたくさん集まったとしても、波としての性質以上のものにはならない。
ところが、それらが原子や分子を生み出す新たな統合力のもとで、そうした原子や分子が集まって、単細胞生物へと進化した時には、単細胞生物としての形態や、その活動を生み出す内的世界をも生み出すことになる。ただ、単細胞生物がいくら集まったとしても、その抱く内的世界には少しの成長も生まれないであろう。
ところが、また新たな統合力の誕生によって多細胞生物が形作られると、そこでは、新たな形態と内的世界が創出されることになる。こうして、多細胞生物が、さらに新たな統合力の誕生によって進化していくにつれて、新たな形態が生まれてくるし、内的世界にしても新たな内的世界が生まれてくることになる。そして、最終的には、人間を生み出す統合力の誕生によって、人間としての形態が形作られると同時に、人間の持つ精神世界も形作られることになったのである。
こうした統合力の進化は、素粒子の統合力から原子や分子の統合力、さらには単細胞生物の統合力を内に秘め、最終的には動物の統合力、そして人間の統合力を内に秘めることになる。したがって、人間の心の世界には、人間の統合力がもたらす人間としての心の世界はもちろん、素粒子から動物に至るあらゆる内的世界が秘められていることになる。科学が物質を細かく分析し、そうした物質が、電子、陽子、中性子からできあがっていることを明らかにし、さらに、そうした陽子や中性子がクォークからできていることを突き止めることができてきたのも、科学者の抱く心の深層に、素粒子の心が秘められているからであり、その素粒子の心の1つの現れが数式となって表現されているのではないだろうか」
・人間だけが自己を知ることができる
心理学者マズローは、人間には5段階の基本的欲求があり、食欲や性欲といった動物的欲求だけでなく、自己実現の欲求があることを導き出していますが、この欲求は人間だけに与えられた精神的進化へと向けられた欲求であるため、望月は人間的欲求と呼んでいます。
「脳生理学的に見ると、動物的な欲求と人間だけに与えられている欲求との違いが明らかに見られる。人間の脳は、動物の脳の上に人間だけがもつ脳が成長していて、内側からR複合体、大脳辺縁系、そして新皮質と呼ばれる三層構造になっている。(中略)特に人間になって大きく発達した第三の脳である新皮質は、脳の最も外側に位置し、ほかの脳と比較して非常に大きく成長している。この脳は、『人間は考える葦である』と特徴づけられているように、知的な活動を司る。これらの脳構造と、マズローの指摘する5つの欲求とを対比して考えると、マズローが提案した欲求の段階構造の正当性が浮かび上がってくる」
「内に秘められた統合力を内を見る目によってとらえることができるのは、内を見る目を持った人間になって初めて可能となった。そして、その内を見る目がとらえることのできた統合力が、人間という種を成り立たせている根源的な統合力、すなわち共通感覚であったのである」
「内を見る目がとらえた統合力は、最も進化した統合力としての共通感覚であるが、その共通感覚によって、今度は、その共通感覚の基盤となっている根源の統合力を意識的にとらえることができる。その意識がとらえた根源の統合力こそ『私』という感覚である」
「この宇宙は、原初の時から進化の道を歩み始め、人間をして意識を誕生させ、その意識によって、生命の根源を覚知させようと無言の働きをしていたのである。この進化によって、我々の肉体にとらわれていた生も死もある有限の意識は、突如として、この宇宙のすべての営みを内に含む宇宙生命の頂点に立つことになる。それは、自分という限られた肉体の中にありながら、全宇宙を包み込み、全宇宙を体とする悠久な生命を覚知する統合された意識へと進化することである」
「真の自己を求めて自らの心の中に入っていく人こそ、本当の自己実現に向かって歩み始めた人である」と言い、「精神的進化とは、この真の自己と邂逅することに向けての進化である」と言います。
「生命の進化は、人間のもつ意識にまで精神的進化を遂げ、その意識によって、生命の根源を捉えることを可能とさせたのである。このことは、最も進化したものによって初めてその根源を捉えることができるということであり、人間は、まさにこの宇宙生命を意識的に捉えることのできる唯一のセンサーであるということだ」
「悠久な生命を覚知すること、それは、生命の根源を捉えることであるが、それは、人間による精神的進化によるほかはない。そして、その精神的進化こそ、心の再構築であり、無意識を意識化する新たな統合力の確立である」
「これまでの進化論者の多くは、生物を外から眺めることばかりに夢中になり、自身の内からささやく生命進化の声には耳を傾けようとはしなかった。『人生いかに生きるべきか』、その命題に答えることこそ、これまでの長い生命進化劇の最終幕であり、その内からのささやきの中に、実は、ダーウィンも、そしてダーウィン以降の進化論者もつかむことのできなかった生命進化の真相が秘められていたのである」

・悟りの瞬間
「修行僧が悟りに到達する瞬間、ほんのちょっとした外からの刺激によって開悟することが伝えられているが、これは、まさに新たな統合力が誕生しかけていたところへ、タイミング良く外からの刺激が与えられたのであり、それは、過氷点になっている水の中に投げられた小石によって、その水が一瞬のうちに凍ってしまう現象にも似ている。釈尊が夜明けの星を見て悟りに達したといわれているが、星の光という外からの刺激が、新たな統合力を誕生させる刺激となって働いたのである。それは、卵の殻の中で、誕生しようとしている雛鳥の声に答えて、外から親鳥が、その殻を割って上げる卒啄同時の営みそのものである。その卒啄同時によって新しい生命は誕生する。そして、ここに、新たな生命の誕生において、環境と内なる世界との切っても切れない関係があることが見えてくる」
ちなみに、同じような表現をする人はいるので参考までに紹介します。
「私は過冷却の水を見て、カンブリア爆発に似ているなと思ったのである。過冷却の水にとっては、すでに凍るための条件はすべてそろっているのだ。いつ凍りはじめてもおかしくはない。だから、ほんのちょっとしたきかっけさえ与えれば、一気に凍りはじめるのである。たとえば、容器をゆらすとか・・・・。カンブリア爆発も、そうだったのではないだろうか。酸素濃度などの環境条件はすでにそろっていた。遺伝的多様性もDNAの中にすでに準備されていた。あと必要なのは、ちょっとしたきっかけであった」(更科功/分子古生物学者/「爆発的進化論」より)

・生命の目的は悟ること
悟りは「生も死もない常住な世界」であると望月は言います。
「この瞬間(悟り)を手に入れるために、宇宙は様々な形でエネルギーを作用させ、生命を進化させ、人間を誕生させてきた」
「生命は、人間をして、自己を意識化させようと働きかけていて、その働きかけが、人間をして生きる意味を求めさせ、悟りの境地を得ることへの志向性を生み出しているのである」
「生命の進化は、内的エネルギーを進化のバネとして、その常住な世界を我々に知らせるためにこれまで行われてきたのである。生命の進化の山頂を今生きる我々は目前とし、一人ひとりがその山頂に到達することのできる力を内に与えられているのである。そして、今を生きるこの私という中で、生命は自分自身を見たいと願っているのである」

以上、簡単に紹介しましたが、望月の研究は悟りについてだけでなく、これまで本書で論じた多くの説を裏づけるでしょう。
「悟りは大きな体験」と言う人は多いですが、これは抽象的な表現で、「悟りは別の種になるほどの大きな体験」ということも示唆されました。
 「悟り」について説明してきましたが、簡単にまとめると次のようになるのではないでしょうか。
「仏教では、悟りの世界へ行けるのは人間だけであるとして、その特権を人間以外の生物には与えていないのである」
「人間こそが宇宙の最高位の存在であり、これこそが人間原理としての量子論的唯我論の意義である」(岸根卓郎/京都大学教授)

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