現代医学と仏教の死の定義を比較する

死の定義について、現代医学と仏教とで比較してみます。

現代医学

まずは、現代医学による死の定義です。
・脳死説
脳幹を含むすべての脳の機能の不可逆的停止をもって死とみなす説。人工呼吸器によって心臓や肺は機能している状態。

・三徴候説(通説)
「呼吸」「脈拍」「瞳孔反射機能」の不可逆的停止をもって死とみなす説。つまり、息をしておらず、心臓が停止して脈拍がなく、瞳孔が開き、光をあてても反応がない。この説が現代医学では通説とされている。

・わからない
死の三徴候は経験則であり、科学的に確固とした死の定義ではありません。
ですので、たとえば蘇生する可能性もゼロではありません。そのため日本では、三徴候を示し医師から死の宣告を受けても、法律で24時間以内は火葬してはならないことになっています。海外では蘇生した事例が稀にあります。
<2014年。ポーランド東部で、自宅で死亡を宣告された91歳の女性が11時間後に遺体安置所で息を吹き返す>
<2014年。死亡宣告を受けた米国人男性が、葬儀場に送られ防腐処理を施される寸前に、突然目を覚ます>
<2015年。インドで、解剖が開始される直前に解剖台の上で目を覚まし、医療スタッフを仰天させる>
<2017年。救急隊員に死亡宣告されたパリの女性が、1時間後に到着した警官によって蘇生され生き返る>
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの生物学者ニック・レーンは、「死の閾値と考えられるものが存在する。この閾値を超えると、細胞、ひいては生物が、アポトーシス(細胞死)によって死ぬ」と言っていますが、その閾値はまだよくわかっていません。
「生死の境目というのがどこかにきちんとあると思われているかもしれません。そして、医者ならばそれがわかるはずだと思われるかもしれません。しかし、この定義は非常に難しいのです。というのも、『生きている』という状態の定義ができないと、この境目も定義できません。嘘のように思われるかもしれませんが、その定義は実はきちんとできていない」(養老孟司/解剖学者/東京大学名誉教授)

「今わたしたちにはっきりわかっているのは、永久的かつ不可逆的な死が正確にいつ始まるのかという疑問に対する答えは、今もなおわかっていないということである。(中略)死の境界線は移動し続ける」(サム・パーニア/ニューヨーク州立大学准教授)

「死とはなんであろうか。この、我々すべてにとって現にこの眼でみることのできる、すこぶる具象的なことでありながら、しかもなお、我々の最も偉大な科学的探究精神によってすら未だに確たる解答のだされない、真の理解には達し得ない、この死というミステリーは一体なんであろうか」(モーリス・ローリングズ/医師)

第1巻では「死の境界」に関する実験をいくつか紹介しました。それらの結果を踏まえると、脳死となっても完全な死ではないでしょうが、自己を知る、つまり人生が進歩しゴールに近づくことは難しいのかもしれません。
「魂の向上と脳の向上の機能は、ほとんど同じ場所で深く関わっており、脳死をした人はそれ以上の精神の向上はありません。しかし、脳死はもちろん、心停止後でも魂はまだ体の中におります」(樋口雄三/東京工業大学名誉教授)

仏説

次に仏教による死の定義です。
・八識説
識とは心を指す。その心に八つあり(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識)、八識の死をもって完全な死とみなす説。特に、阿頼耶識が最も深い層の心(深層心理)であり最後に死ぬ心であるため、仏教でいう死は通常、阿頼耶識の死を指す。

・三位の臨終
八識の臨終を、次の3段階に分けたもの。

  1. 心明了位の臨終
    前五識の臨終で意識だけはまだ死んでいない
  2. 身体愛法位の臨終
    意識の臨終で家族の声が「どこかで聞いたことがあるような声だな」としか聴きとれなくなる
  3. 心不明了位の臨終
    阿頼耶識が地獄へ生まれる

言語学者のリサ・スマートは、死の間際にいる人が発する言葉を1500件以上分析した人ですが(詳しくは【最新版】臨死体験研究。「良い臨死体験」への反論。)、彼女は次のような話もしています。
「昏睡状態から回復した111人の被験者に取材したマデライン・ローレンス(看護師であり研究者でもある)によると、『最後まで残るのは聴力ではなく、意識』だそうです。被験者たちは、外部の情報を聞き取ることができなくなった後も、頭の中で会話していたと報告しています。彼らは外部の世界におけるつながりとは関係なく、自己感覚を持ち続けました。自分自身と心の中で対話し、その内容について考える能力は、外的意識が働かなくなった後も機能するのです。
この『自分』という内的感覚は、脳のほかの機能が停止した後も損なわれることなく長く残ります。昏睡状態から回復した人々はまわりの人々の感情的エネルギーに気づき、それを敏感に察知していたことからも、自己が継続していたことがわかります」

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