法律が善悪の基準として欠陥があることはこちらで説明しました。
ほとんどの宗教団体は合法的に活動します。
世間の目を欺きながら徐々に巨大化し、強権を握った時に一気に牙をむくという流れもあり得ることです。ナチスがユダヤ人を大量虐殺したようなシナリオが起こり得るのです。
ですので、そうなる前に1人1人が早い段階で善悪や宗教についてよく知る必要があります。歴史学者のイアン・カーショーは、「アウシュヴィッツへの道は憎悪によって建設されたが、それを舗装したのは無関心であった」と言いました。
オウム真理教も事件前は信者も多く(最盛期には日本で約15,000人、ロシアで約35,000人)、テレビに出たり著名人との対談もよく行っていました。世間が(信者もですが)批判し始めたのは事件後、つまり違法行為後のことです。オウムは、あのぐらいの規模だったため被害もあの程度でしたが(もちろん被害者からすれば大惨事ですが)、もっと巨大になってから牙をむいていれば、もっと多くの人が被害に遭ったはずです。
ヒトラーが権力の座についた時、大衆が支持しました。
牧師のマルティン・ニーメラーもその1人でしたが、やがて弊害に気づき批判したため強制収容所に送られました。生き延びた彼は、「普通の人々」がホロコーストに加担していたと言い、無関心の危険性を訴える次のような詩を残しています。
「まず彼らは社会主義者を襲った。私は声を上げなかった。社会主義者ではなかったから。
次に彼らは労働組合員を襲った。私は声を上げなかった。労働組合員ではなかったから。
次に彼らはユダヤ人を襲った。私は声を上げなかった。ユダヤ人ではなかったから。
次に彼らが私を襲った。私のために声を上げる人はもう残っていなかった」