「時間がない」という人へ。時間は無限につくれるといえるワケ

ベンジャミン・フランクリンは、雷が電気現象であることの証明や避雷針の発明で知られる人ですが、彼は若い頃、小さな書店を営んでいました。その時のエピソードに次のようなものがあります。
ある日のこと、店にやってきた客の1人が本を値切ろうとしました。
「この1ドルの本だが、もっと安くならないかね」
「では、1ドル15セントにしましょう」
「なんだって?私は安くできないかと言っているのだよ」
「それでは、1ドル50セント頂きましょう」
「おいおい冗談いうなよ。なんでどんどん高くなるのだ」
「この本は1ドルでも決して高くありません。あなたは本を見る目がないのです。私は、あなたの無知によって貴重な時間をとられています。時間代を上乗せしているのです」
なるほどと思った客が1ドル50セント出そうとしたところ、フランクリンは「わかって頂ければ1ドルで結構です」と言ったといいます。
このエピソードは、時を貴ぶフランクリンの逸話として語り継がれています。後年、彼は「時は金なり」という有名な言葉を残しています。
時間を無駄にするとは命を無駄にするということです。
フランクリンの場合、その貴重な時間で無常の幸福を求めてしまいましたが、時間を無駄にしない努力は見習うべきです。

・気があれば時間はつくれる
バケツに石をいっぱい詰めて、これ以上入らないと思っていても、隙間に小豆がいっぱい入ります。小豆をいっぱい詰めて、これ以上入らないと思っていても、隙間に砂がいっぱい入ります。砂をいっぱい詰めて、これ以上入らないと思っていても、隙間に水がいっぱい入ります。
時間についても、このたとえと同じようなことがいえます。クリントン大統領は浮気していました。アメリカの大統領より忙しい人は、そういないでしょう。しかし浮気する時間はつくれたのです。気があれば人間は時間をつくろうとするということです。

・時間は無限につくれる
「今日1日命がけで生きる」という心がけが大切ですが、結論から言えば、どんなに努力しても、まだまだ努力の余地があります。それは臨終になればわかります。

死より苦しいことはない。死はすべての幸せを一瞬で破壊する。楽な死に方はない。

一概に「必死」といってもレベルがあります。どんなに必死に努力して生きてきたと自負している人でも、死を前にすれば自惚れだったことがわかります。つまり、「一生懸命生きていなかった」「時間を無駄にしていた」ということがわかるのです。小説家の平林たい子は臨終に、「今度こそ一生懸命生きますから、何とか生かしてください」と医者に懇願して死んでいきました。武将の伊達政宗は、「いたずらに月日を送り 病におかされ 床の上にて死なん命の口惜しや」という辞世の句を残しています。ビートたけしは事故の後、「今までどうしてこんな生き方したんだろうって反省が猛烈に襲ってきた。過去の自分に対する自己嫌悪」と語っています。精神科医の加賀乙彦の著書「死刑囚の記録」には、ある死刑囚の次の言葉が紹介されています。
「死刑の執行が間近いと思うと、毎日毎日がとても貴重です。1日、1日と短い人生が過ぎていくのが、早すぎるように思えます。それにしても社会にいたとき、なぜもっと時間を大切にしなかったかと、くやまれてなりません。もういくらも時間が残っていない。だから急がねばなりません」

「必死で生きている」と思っているかもしれませんが、それは自惚れです。臨終の自分から見れば、今の自分はまったく努力しておらず時間を無駄にしているのです。「これ以上、時間はつくれない」と思っていても、心がけ次第で時間はもっともっとつくれるということです。

科学でも明らかになりつつあるように、時間は心が生み出したものですので、心次第でいかようにも変えられるのです。

・時間の重み
泥棒の耳四郎は、ほんの少しの聴聞で死の解決を果たしたといわれていますが、裏を返せば、前世でほんの少し聴聞が不足したために無間地獄に堕ちたということです。わずかな時間や行為も無駄にできません。

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