【悲劇】白骨の御文が作られるまでのエピソード

蓮如在世の延徳元年、山科御坊の近くに青木民部という浪人がいました。
民部には、清女という17歳になる一人娘がおり、清女は身分の高い武家に見初められ、8月11日に式を挙げることになりました。貧乏浪人の娘が大身の武家に嫁ぐという話しは滅多にあることではありません。願ってもない良縁に喜んだ民部は、先祖伝来の大切な武具まで売り払って嫁入り支度を調えました。
しかし、幸せな彼らを不幸が襲います。式の当日、主役の清女が急死してしまったのです。不幸はこれだけで終わりませんでした。
翌12日、白骨となった娘を抱いて家に帰った民部でしたが、心労のためか、その日のうちに死んでしまいます。
さらに、翌13日、今度は民部の妻が2人の後を追うように死んでしまいます。
あまりのことに残された縁者もなすすべがなく、ただ悲しむばかりでした。それでも、せめてもの仏縁にと、3人の服飾等を山科御坊に施入し、蓮如に事の次第を報告しました。以前から民部親子を知っていただけに蓮如もまた深く悲しみ、彼らの死を無駄にすまいと白骨の御文を制作しました。
世に悲しい物語は数多くありますが、民部親子の話は特に無常の残酷さが知らされます。

「夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりということをきかず。一生過ぎ易し。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫、末の露よりも繁しといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風来たりぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親・眷属集まりて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」(白骨の御文)

(訳:人間の儚い姿をよくよく考えるに、生まれてから死ぬまで幻のような人生である。いまだ人間が万年生きたということを聞いたことがない。一生は過ぎやすい。今までに誰が百年肉体を保っただろうか。私の死が先だろうか、それとも人が先だろうか。今日死ぬとも明日死ぬとも知れない。遅れて死んでいく人も、先に死んでいく人も、草の根元の雫や葉末の露のようにすぐに死んでしまう。そういうことなので、朝には血色の良い顔をしていても、夕方には白骨となる身である。無常の風が来れば、すぐに眼が閉ざされ、一つの息が永く絶えれば、血色の良い顔が虚しく変わり、桃やすもものような綺麗な姿を失ったならば、すべての親族や縁者が集まって嘆き悲しんでも、どうすることもできない。そのままにはしておけないので、火葬場に送って煙と成り果ててしまえば、ただ白骨が残るだけである。哀れと言っただけでは十分ではない。死は年齢に関係なくやってくるものなので、皆早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く信じて死の解決をすべきである)

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