托鉢や乞食は自分のためではなく人のためにやっている

利他が人生の目的である死の解決をするために非常に重要であることは、こちらの記事で詳しく説明しました。

【自利利他】人を幸せにする幸せ。その限界と重要性。

そのため、釈迦を始め、仏教者は人間に利他心を生じさせるため、様々な手を使っています。たとえば、托鉢や乞食(こつじき)といった行為は、自分が欲しくてやっているのではなく、縁を結ぶためであり、相手に大切なものを出させて利他心を生じさせるためにやっているのです。
釈迦の弟子であるカルダイは、あるバラモンの妻が非常に欲張りだと聞き、済度しようと思いました。
物乞いが来るのを嫌っていた彼女は、門を固く閉ざして餅を作っていました。そこへ、カルダイが神通力を使って地中をくぐり抜け庭先に現れたものですから、バラモンの妻は驚きました。
「さては餅を取りに来たな!だめだ、たとえお前の目が飛び出したって餅はやらないよ!」
それを聞くや、カルダイは2つの目玉を飛び出して見せたので、また驚きました。
「しつこい奴だな。お前が死んだってこの餅はやらないよ!」
それを聞くや、カルダイはすぐに死んでみせました。これにはさすがに慌てました。
「ま、まってくれ!ここで死んでもらっては困る!餅をやるから生き返ってくれ!」
すると、カルダイはすぐ生き返りました。バラモンの妻がしぶしぶ餅を1つ渡そうとすると、他の餅が全部その餅にくっついてしまい、それをカルダイは持って行こうとしました。
「誰が全部やるといった!餅返せ!」
慌ててカルダイを追いかけているうちに、やがて釈迦のところまでやってきました。
「あんたの弟子が餅を盗んでいった!」
「カルダイは餅が欲しかったのではない。お前の欲深を済度しようとしたのだ」
その釈迦の言葉で、バラモンの妻は自分の欲の深さに気づきました。そして、釈迦の勧めで餅を全部供養することにしました。大勢の僧に配り始めると、不思議なことに餅はたやすく1つ1つにちぎれました。
釈迦は最後の1つを手に取り、それを水の中に投げ入れるよう言いました。バラモンの妻がその通りにすると、餅はボっと燃え上がりました。釈迦は言いました。
「これはお前の物惜しみする心が火となって燃えているのだ」
この話は、布施の大切さや、利他心を起こしても、なお欲に執着する心根のしぶとさ、そして人間の善が雑毒の善であることを教えているのです。

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