「鼻」が夏目漱石に絶賛され文壇に躍り出た芥川龍之介。しかし、次のように彼は次第に苦しみを吐露していきます。
「何故生きてゆくのは苦しいか、何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか」
「どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え」(仙人)
「見給え、世界の名選手さえ大抵は得意の微笑のかげに渋面を隠しているではないか?」
「自殺しないものはしないのではない。自殺することができないのである」
「もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。しかし我々は生まれた時から、こういう馬鹿げた命令を負わされているのも同じことである」
「人生は狂人の主催に成ったオリンピック大会に似たものである。我々は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ」(侏儒の言葉)
「しみじみ『生きるために生きている』我々人間の哀れさを感じた」(或旧友へ送る手記)
「僕は勿論死にたくない。しかし生きているのも苦痛である」(遺書)
ある日、芥川が救いのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について友人である詩人の萩原朔太郎に訴えたことがありました。萩原が「君には、後世に残るべき著作も高い名誉もある」と言うと、芥川は「著作?名声?そんなものが何になる!」と言ったといいます。この時の芥川について萩原は、「あの小心で、はにかみやで、いつもストイックに感情を隠す男が、そのとき顔色を変えて烈しくいった」と語っています。
そして、35歳の時、致死量の睡眠薬を飲んで自殺します。自殺の動機について芥川は、「或旧友へ送る手記」の中で次のように書いています。
「君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何のために自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少なくとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」
芥川は「ぼんやりした不安」と表現していますが、内実はもっと深刻なものだったはずです。
彼の苦しみ根本原因は仏教でいえば「無明」という心であり、すべての人間の苦しみの根源でもあります。
大抵の人は芥川ほど深刻には無明で悩まず、臨終で地獄を見ることになります。その流れでは遅いので、平生元気がいい時に一生懸命聴聞して、無明を白日の元に引きずり出す必要があるのです。