たとえば、いわゆる天国のような良い臨死体験をしたという人が多くいます。良い臨死体験をした人は、死後を良い世界だと思うようになり、そのため死後や死に対する恐怖もなくなったという流れになっています。
一方、当会は仏説の通り「死後は必ず地獄」を主張しています。
この良い臨死体験について、次の2点が考えられるのではないかと思います。
実際の死と違う
今でも死の定義ははっきりしていませんが、良い臨死体験は、実際の死とは違うものであり、実際に行く死後の世界と違う世界である可能性があります。
たとえば良い臨死体験には次のように、これ以上進むと戻れないことがわかる「境界」がよく出てきます。
「それから私は白いフェンスのところに来ました。丸太を横に渡した柵みたいなものでした。しかし、私はそれを越えることができませんでした。何かの力が私を引っ張っているようで、どうしてもフェンスが越えられない。フェンスの向こう側には誰も見えませんでした。フェンスを越えられない訳がないみたいだったんですけどね」
ジェフリー・ロングによれば、臨死体験者の31%に見られるようです。
この境界が生死の分かれ目と考えている人は少なくないようで、モーリスも「いわゆる死後世界の手前の選別所のような場所ではないか」と推測しています。
境界を越えた先がどういう世界なのか、追跡することがこれからの課題ではないでしょうか。
実際の死とは大きなギャップがあることが知らされる次のような例もあります。
良い臨死体験に限らず、良い超心理体験をしたことなどから、死後を良い世界だと確信し死の不安や恐怖もなくなった、と主張する人は多いです。
「死後は良い世界なのだから、人が死んだらお祝いしましょう」という人もいます。
しかし、そう確信していた人が、実際に自分の死に直面すると、ロスのように価値観が根本から覆ってしまうという事例も多くあります。
忘れている
もう1つ、「忘れている」という可能性もあります。
たとえば、上記の記事で地獄の臨死体験をしたモーリス・ローリングズの患者の事例を取り上げましたが、この話には続きがあります。
地獄の臨死体験をした2日後、モーリスはこの患者に地獄で実際に何を見たのか教えてくれるようインタビューしようとしました。
すると、この患者は「なんの地獄です?地獄なんて憶えていませんよ」と言い、モーリスが当時の状況を詳しく教えても、「出来事のひとかけらすら」思い出せなかったそうです。
この出来事についてモーリスは、「おそらくその経験があまりに恐ろしく、あまりに苦しいものであるため、彼の意識ある心ではこれに対処できなかったのだろう、そしてこれらの経験はすべて無意識の中へ押し込められてしまったのに違いない」と推測します。
この患者は、体外離脱したことや美しい世界で死んだ親族に会ったこと、巨大な光に照らされ非常に楽しかったことなど、良い臨死体験に起こる出来事も体験しており、それらは憶えていたといいます。
また、モーリスは、キューブラー・ロスやレイモンド・ムーディーの著書を読んで次のように語っています。
「両著者により公表された、死後生経験者の告白は、信じられないくらい良い経験ばかりであった。私には本当に信じられなかった!これらのケース報告はあまりに楽しく、多幸的で、とても真実とは思われなかった」
そして、次のように推測しています。
「これまで発表された文献に出ている死後生経験がなぜ『良いケース』だけなのかという謎の裏には、これに似たような状況があるのではないかと私は思う。死後生経験をもった患者とのインタビューが、その直後ではなく、かなり遅れてである場合、良い経験は記憶にとどめられるが、悪い経験は拒否され、想起されなくなってしまうらしいのである」
「発表されたケースはすべて、著者たちにより正確に報告されてはいるけれども、インタビューされた患者たち自身からは必ずしも完全に想起され、もしくは陳述されていなかったのではないか、ということである。私は、こういった悪い経験のほとんどが直ちに患者の識閾下ないしは下意識の心へ深く抑圧されるのだということを発見した。これらの悪い経験はあまりにも苦痛にみち、心穏やかなものではないため、意識的な想起から外されてしまい、その結果、楽しい経験のみが想起される、あるいはまったく何の経験もなかったとされるのである」
「私には次のような疑念が浮かんできた。キューブラー・ロス博士、ムーディー博士、その他の精神科医師、心理学者たちは、他のドクターたちが数日前あるいは数週間前に蘇生を施した患者たちとだけインタビューしていたのではないかということである。キューブラー・ロスにしろムーディーにしろ、私の知る限り、患者の蘇生は行っていない、また蘇生直後に治療現場でのインタビュー機会には恵まれていない。私が自分で蘇生を行った多くの患者に直接問い質した結果、多くの患者が悪い経験を持っていることを知って、私は驚いたのである」
「死後生の告白を聞くには、蘇生直後、まだ混迷が去らず、助けを求めている間に、そして経験が忘れられるか秘匿されるかする以前に、インタビューすることが大切である」
ちなみに、蘇生直後にインタビューすべきであることを、心理学者W・H・マイヤーズも次のように言っています。
「それらは直ちに記録されるべきである。なぜなら、たとえ患者がその後そのまま死んでしまわなくとも、こうした経験はおそらく患者の識閾上の記憶から急速に退消していくに違いないからである」
人間はとかく忘れやすい生き物といえます。
先に見てきた通り、脳は意識の領域を有効に縮める一種のろ過装置です。今では、目に入る毎秒数十億ビットの情報が最終的には40ビットほどまで圧縮され、ほとんどの情報が削除されることがわかっていますが、それよりもはるかに多くの情報を削除しているのかもしれません。
生まれ変わり研究によれば、前世を覚えていた子供も6,7歳ぐらいになると忘れ始めるそうです。
一般に3歳以前の記憶は忘れますし(幼児期健忘)、夢も忘れます。
また、忘れるということはマイナスなことだけではありません。たとえば、些細なことでも忘れることができない超記憶症候群と呼ばれる人たちのほとんどが、うつに苦しんでいるといいますから、忘れることの有難さがわかります。
「忘却とは、脳の効率をさらに上げて、自分にとって最重要な情報だけを貯蔵できるように、ニューロンの結合を刈り込むという美しいメカニズムだ。忘却の美しさに気づけば、すべてを記憶する能力は大きな力というより、大きな重荷となることも理解できる」(ジュリア・ショウ著「脳はなぜ都合よく記憶するのか」より)
こういった点を考慮すれば、モーリスの推測は十分あり得るでしょう。
また、ここで論じた記憶に関することは臨死体験に限らないので、たとえば「前世は良い世界だった」といったことへの反論にもなるでしょう。
理屈に合わない
死後が良い世界だとすると、本書の内容で言えば、因果応報か膨大な罪悪の少なくとも1つが成り立たないということになりますが、その理屈は何なのでしょうか。