法律と殺生
たとえば動物愛護管理法44条には次のように定められています。
愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。
また、「愛護動物」については次のように規定されています。
「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの
仏教と殺生
仏教では殺生について次のように説いています。
・自分で直接殺す殺生
自分の手で直接生き物を殺すことを仏教では自殺といいます。一般的に使われる自殺の意味とは異なります。
歩くだけで知らず知らずのうちに虫を踏み殺し、蚊やハエが近くを飛んでいればうるさく思って叩き殺し、魚介類を見れば美味しそうに思って切り殺す、日々の行為を少し反省しただけでも、直接の殺生を膨大に犯していることがわかります。
動物だけでも膨大ですが、微生物なども含めれば天文学的な数になるでしょう。
ベジタリアンなど、肉を食べないことを誇っている人は多いですが、それは自惚れです。
・間接的に殺す殺生
他人を使って生き物を殺すことを仏教では他殺といいます。
たとえば、漁師は膨大な数の魚を殺しますが、その動機には、突き詰めれば「魚を食べたい」という消費者の欲求があります。
消費者の欲求がなければ膨大に殺すことはなく、殺したとしてもせいぜい自分たちが食べる分ぐらいでしょう。
魚だけではありません。「鶏」「豚」「牛」等々も含めれば、さらに膨大な数になります。
そしてさらに、他殺は食べるためだけに行っているのではありません。人間に害を与える生物は駆除されますし、安全な薬を作るためには残酷な動物実験をしなければなりません。
「人間の行うあらゆる実験に用いられるのが、マウス達の仕事である。あるものは薬物を投入され、あるものは電気ショックを与えられ、あるものは体中に電極をつけられている。身動きが取りづらいケージに押し込められ、場合によっては動けないように拘束される。生きたまま解剖されることもある。当然だが、安全性を確認するためのテストは、安全かどうかわからない未知のものが試される。あるものは副作用で体のあちらこちらが膨れ上がり、あるものは毒性のために体中の毛が抜け落ち、もだえ苦しむ。危険性を確認するためのテストでは、致死量を明らかにしなければならない。死ななければ、さらに薬が与えられ、それでも死ななければ、新たな処理が行われる。そして苦しみながら死んでゆくようすが記録されていくのだ。彼らは実験動物である。死ぬことが彼らの仕事なのである」(稲垣栄洋/静岡大学農学部教授)
普通に生活するだけで、天文学的な数の他殺を行っています。
・何もしない
世界では多くの人が殺されていますがほとんどの場合、人間は何もしていません。
また、多くの動物が食用にされたり、駆除されたり、実験に使われたりして殺されていますが何もしていません。
夫が妻に頼まれてゴキブリを殺したとします。そして、その光景を子供が傍で見ていたとします。この場合、夫(自殺)や妻(他殺)だけでなく、子供にも罪悪がカウントされる可能性があります。
そして、動物を殺すのは人間だけではありません。
大型動物が小動物を食べ、小動物が昆虫を食べていますが人間は何もしていません。
直接と間接同様、天文学的な数の「何もしない罪」を人間は犯しています。
殺生罪の重さ
生き物の命の価値
殺生罪の重さを語る上で重要なのが生き物の命の価値です。
等活地獄
たとえば、等活地獄という地獄があります。
苦相:鋭利な刃物で体がバラバラに切り刻まれたり、鉄棒で粉々になるまで打ち砕かれる。罪人が果てると、鬼が鉄棒で地面を叩き「活、活」と言う。すると罪人はたちまち元通りに活き返り、同じように刻まれたり砕かれる。死ぬことができずに無量と思われるほどの長年月、これを繰り返す
罪因:殺生
寿命:(人間の寿命に換算すると)1兆6653億1250万年
人間は殺生罪に鈍感
「それだけ重い罪悪を造っていれば、強い罪悪感を感じるはずだ」と思っている人もいます。
しかし人間は、自分の苦しみには敏感ですが、人の苦しみや罪悪には鈍感です。
殺生罪だけじゃない
殺生以外にも仏教では様々な罪悪を説いています。
〇十悪
たとえば世の中の悪を、大きく10種に分けて教えた「十悪」があります。
〇膨大な罪悪を造っている
意識するとしないとにかかわらず、人間は日々膨大な量の罪悪を造っています。