六道輪廻はすべて苦しみの世界。人間が1番幸せなワケ。輪廻から抜け出す方法。

六道輪廻とは

科学では38億年前に生命が誕生したといわれていますが、仏教では、始めの無い始めから、終わりの無い終わりに向けて、車の輪のように転生を際限なく繰り返していると説かれます。有名な六道輪廻です。
六道とは、六趣または六界ともいい、次の6つの世界を指します。以下、苦しみの激しい順です。

地獄界:苦しみしかない世界で、六道の中で最悪の世界
餓鬼界:餓鬼が住む世界で、飢え苦しむ世界
畜生界:犬や猫、虫や魚などの世界
修羅界:修羅が住む世界で、争いが絶えない世界
人間界:私たち人間が住む世界
天上界:天人が住む世界で、六道の中で最も楽しみが多い世界

ちなみに、「世界」という言葉は今でも一般的に使われていますが、元は仏教用語で、生き物が住む時間と空間の全体をいいます。「世」は三世(過去世、現在世、未来世)、「界」は東西南北上下を指します。

・六道はすべて苦しみの世界
六道の中で最も楽しみが多い世界が天上界です。この世でたとえるなら、芸能界や社交界など、セレブで華やかな世界に相当するでしょう。では、苦しみは無いのかというとそうではありません。たとえば天人五衰といって、死が近づくと次の5つの兆候が表れると説かれています。

1.頭上の花飾りが萎む
2.衣服が汚れる
3.身体が臭くなる
4.目が眩む
5.生活を楽しめなくなる

この5つの相が現れると、家族を含め、周りの者がすべて離れていき、まるで雑草のように棄ててしまうといいます。人間界の老いと、よく似てもいます。

何が輪廻するのか

 自ら造った(行い)によって輪廻しているため、業道輪廻ともいいます。業とは、サンスクリット語「カルマ」の中国語訳で、日本語では「行為」を意味します。仏教は業が主体の教えです。
・阿頼耶識
業を造ると、人間の本体である阿頼耶識の中に結果を引き起こす力として納められます(薫習という)。
阿頼耶とは、サンスクリット語「アラヤ」に漢字をあてたもので、中国語で蔵という意味です。阿頼耶識は一切の業を納める蔵のような心であるため、蔵識(ぞうしき)ともいいます。また、仏教では心は大きく8つの層に分かれていると説かれますが、阿頼耶識は第8番目の最も深層にある根本の心であるため、根本識ともいいます。
阿頼耶識は生命の本体であり、六道輪廻の主体となります。業の集積体である阿頼耶識は固定不変の存在ではなく、絶えず変化しており、唯識三十頌には「恒に転ずること暴流の如し」と、暴流のように阿頼耶識は激しく変化すると説かれています。

・世の別は業によって生じる
「男女」「賢愚」「美醜」「貧富」等々、この世は生まれながら様々な差別があります。これらの運命は、自分自身の過去世の業によるものです。倶舎論には「世の別は業によって生ず」と説かれています。
ですので、たとえば自分の運命を親など人のせいにするのは間違いで、親は縁にすぎません。父母恩重経には「人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり」と説かれています。自分自身が造った過去世の業を因、父母を縁としてこの世に生まれるということであり、自分が親が選んだということです。
引業と満業の働きも重要です。

引業:一生の内で作った業の中で最も重い業1つをいい、六道のどこに生まれるかを決定づける
満業:引業以外のすべての業のことで、死後の「男女」「賢愚」「美醜」「貧富」等々、あらゆる差別を生み出す

倶舎論には「譬えば画師の先ず一色をもって、その形状を図し、後に衆彩を塡ずるが如し」と説かれています。
引業がまず、人間ならば人間の形を描き、その上に満業が、「男女」「賢愚」「美醜」「貧富」等々の様々な彩りをしてゆくのだという意味です。

この世の六道

この世にも六道を見ることができます。
地獄界と形容できるような不幸な境遇にいる人もいれば、天上界と形容できるような幸せな境遇にいる人もいます。

・惑業苦

人間は悪を造りやすいようにできています。大毘婆沙論には、酒を飲んだ男が(飲酒)、酒の肴に隣家の鶏を殺し(偸盗と殺生)、さらに鶏を探しに来た女を犯し(邪淫)、そして捕まったが嘘をついてしらばっくれようとした(妄語)という話で教えています。善は意識的に努力しないとできませんが、このように悪は簡単に造ってしまいます。
そして1度悪を造ると、人間は惑いやすくなり、もっと大きな悪を造りやすくなります。つまり、苦しむ→惑って悪を造る→ますます苦しむ→ますます惑って悪を造る、という悪循環になりやすいということです。金に困る→盗む→捕まるのが嫌で殺してしまうといった具合です。これを惑業苦といいますが、すべての人間は惑業苦の輪廻に苦しんでいます。

解脱

輪廻から抜け出す方法を仏教では説いており、解脱といい、悟りともいいます。

・輪廻からの解脱は人生の目的
解脱は人間に可能であるだけでなく、人生の目的であると説かれます。
長阿含経には「天上天下唯我独尊」という有名な言葉があります。釈迦は生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩き、右手で天を指差しこのように言ったと伝えられています。
この話が本当かどうかは別として、本質は次の2点です。
7歩の「7」という数字は「6+1」ということですが、これは六道から1歩出る、つまり六道輪廻からの解脱を表しています。
天上天下唯我独尊とは、世間でよくいわれるような「自分だけが偉いのだ」という意味ではなく、「私しかできないたった1つの尊い使命がある」という意味で、人生には目的があるということを教えている言葉です。

・六道の中で1番幸せな世界は人間界
六道の中で1番幸せな世界は、天上界ではなく人間界です。
なぜなら、仏教を聞いて輪廻から抜け出すことができる世界は人間界だけだからです。
人間に生まれることは非常に有ることが難いことです。感謝の気持ちを表す「ありがとう」の語源ともいわれています。

「ありがとう」の語源。人間に生まれる有難さ

・解脱するとどうなるか
極楽浄土という書いて字の如く、苦しみが一切ない極めて楽な世界に生まれることができます。

極楽浄土は実在する

・解脱は本当に可能なのか
科学からも悟り(解脱)に関する知見が増えてきました。

「悟り」は本当に存在するのか?どうしたら悟りを開けるのか?求道はどれほど難しいか?

・解脱しないとどうなるか
解脱しなければ死後は地獄です。一度地獄に堕ちれば助かる方法はありません。ですので、解脱は「絶対に」しなければならないものであり、「したほうがいい」とか「できたらいいな」というものではありません。
「それほど幸せでもないけど耐えられないほど苦しくもないので、このまま当たり障りなく生きていこう」と思っている人は多いですが、これはとんでもない間違いです。
人生に目的があるとかないとかいう問題ではなく、 解脱して絶対に地獄を避けなければならないという問題です。どんなに苦しくても、どんなに年を取っても、ずってでも這ってでも求めてゴールする必要があります。どんなに真面目な求道者でも、ゴールしなければ意味がありません。
解脱して極楽に行く100点の人生となるか、解脱せず無間地獄に堕ちる0点の人生となるか、人生は2択です。
人間は死と隣り合わせであり、今日死んでもおかしくありません。今日死ねば、今日から地獄が始まるのです。今、幸せの絶頂にいようが、不幸のどん底にいようが関係ありません。ですので、一刻も早く解脱する必要があります。
「ああ、夢幻にして真にあらず、寿夭保ちがたし、呼吸のあひだ、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失ひぬれば、万劫にも復せず。この時悟らざれば、仏、衆生をいかがしたまはん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を貽すことなかれ」(教行信証)
(訳:ああ、この世は夢、幻であって真実ではない。命は保ち難く、吐いた息が吸えなければ死んでしまう。一度死んでしまえば、地獄に堕ち、永遠に抜け出すことはできない。生きているうちに解脱しなければ、仏でもどうしようもできない。どうか深く無常を問い詰めて、いたずらに後悔しないでほしい)

「一日も片時も、いそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定せよ」(御文)
(訳:一刻も早く急いで解脱し、極楽浄土への往生を決定せよ)
信心決定とは「しんじんけつじょう」と読み、解脱のことです(詳しくは第6巻)。

「人生死出離の大事なれば、これより急ぐべきはなく、またこれより重きはあらざるべし」(御裁断申明書)
(訳:解脱ほどの一大事より急ぐべきことはなく、これほど重いことはない)

解脱できなければ、血の涙を流して後悔することになります。
「明日も知らぬ命にてこそ候うに、何事を申すも命終わり候わば、いたずらごとにてあるべく候う。命のうちに、不審もとくとくはれられ候わでは、定めて後悔のみにて候わんずるぞ。御心得あるべく候う」(御文)
(訳:明日もわからない無常の命であり、何をしようとも死ねば意味がない。生きている間に解脱しなければ、必ず後悔することになる。よくよく心得なければならない)

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