貪欲とは
「とんよく」と読みます。書いて字の如く、欲を貪るように求める心で、一般的に欲や欲望といわれるものです。
三毒
煩悩の中で特に強いものが3つあり三毒といいますが、貪欲は三毒の1つです。
五欲
代表的な欲として5つ説かれており五欲といいます。以下、欲求の強い順です。
食欲:食べたり飲んだりすることに対する欲求
財欲:金や財産に対する欲求
色欲:性に対する欲求
名誉欲:名誉や権力に対する欲求
睡眠欲:睡眠に対する欲求
頭文字をとって、「しょく・ざい・しき・みょう・すい」と覚えると覚えやすいです。五欲について、1つ1つもう少し詳しく説明します。
食欲
財欲
色欲
名誉欲
睡眠欲
以上、五欲について簡単に説明しました。
欲では幸せになれない
人間が住む世界は欲界といい、欲望にとらわれた生物が住む世界です。
以下の記事で書いたように欲を満たす幸福は無常の幸福の1つであり、偽の幸せです。
無常の幸福を求める人を小欲の人、菩提を求める人を大欲の人といいますが、人間は小欲を満たすことばかりに目が向いています。
絶体絶命でも人間は欲に夢中
仏説譬喩経には、人間の実相を教えた次のような話があります。
欲は善でも悪でもない
欲そのものは善でも悪でもなく、活かすことも可能です。
生物学では、生存戦略上有利であるため人間に感情が生まれたと考えられています。怒りの感情は敵に対応するため、性欲は種として繁栄するため、孤独感は1人で生きることを避けるためといった具合です。
欲は悪に染まりやすい
一方で、欲は悪に染まりやすいという性質があります。たとえば、金が欲しい(財欲)と思って盗み(偸盗)という罪悪を造ったり、名誉を守りたい(名誉欲)と思って嘘(妄語)という罪悪を造ったりするという具合です。小説家のチェーホフは、「飢えた犬は肉しか信じない」と表現しました。
欲は底なし
満足するどころか、手に入れれば入れるほど、もっともっと欲しくなります。
「誰もが自分の選んだ運命や偶然与えられた運命に満足せず、他の道を歩んだ人々を羨むのはどういうわけだろう」(ホラチウス/詩人)
「ありがたい身分だとは思うよ。でも人間ってホント欲深い。ちょっと前まで、この状態にあることを望んでいたはずなのに、いざそうなってみると、あれが無くなった、あれは無理なんだ、というのが出てくる」(マツコ・デラックス/タレント)
「なんで満足できないのだろう。思っていたのと違う。俺だけ損してるんじゃないかと思うわけ」(有吉弘行/タレント)
これは渇愛といって、書いて字の如く、渇いたように激しく執着する煩悩が人間にはあるためです。
ペンシルベニア大学准教授のロバート・クルツバンは次のように言っています。
「目標を達成したのだから、以後の人生はとても幸福なものになるはずだと、読者は思うのではないか。生活していくのに、もはやたいした努力をする必要はないし、幸せに満ちた毎日が送れるに違いない。そう思うのだ。
ところが、そうは問屋が卸さないのである。目標を達成したことで、しばらくは幸福感に浸っていたとしても、人は比較的早くもとの幸福度に戻ってしまい、次の大きな目標の達成を渇望し始める」
経にも次のように説かれています。
「適一つあればまた一つ少けぬ。これあればこれ少けぬ。斉等にあらんことを思う」(大無量寿経)
(訳:たまたま一つが得られると他の一つが無くなり、これが有ればあれが無いという具合に、すべてを手に入れたいと思うのである)
哲学者のショーペンハウエルは、「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる」と表現しています。
豊臣秀吉は日本を支配するだけでは飽き足らず、朝鮮も手に入れようとしました。結果として失敗したものの、成功していれば、次は中国、次はアジア、次は世界、そして地球を支配したら次の星へという具合に、欲望は無限に尽きなかったことでしょう。限りある命で限りなく欲を満たそうとするのが人間なのです。
貪欲含め三毒は恐ろしく、経には「どれほど学問にたけ、意思が強くとも一度欲に溺れたら破滅する」と説かれています。
欲は消せない
欲が苦しみの根源だと考え、欲を消そうと考える人もいつの時代にもいます。たとえば食欲を何とかするために断食したり、性欲を何とかするために男根を切り落としたりといった具合です。しかし、いくら肉体を痛めつけても、欲を含めて煩悩は消せるものではありません。
欲はコントロールできる
ではまったくコントロールできないかというと、そうでもありません。
「理性は羅針であり、欲望は嵐である」(ポープ/詩人)
「欲望は理性に支配されるべきである」(キケロ/哲学者)
禁欲ではなく直視
その方法の1つとして、禁欲しようとするのではなく直視します。
禁欲も有効
一時的な禁欲も手段としては有効です。一時的に欲を我慢することで、心の動きがわかりやすくなります。
・強制力
自分の意志の力だけでは難しい場合、環境を大きく変える必要があります。施設に入ったり、欲しくなっても手に入らない環境に身を置くのです。
欲を活かす
欲も活かし方次第では悪いものではありません。
たとえば名誉欲。宮迫博之は、相方から「どうせ禁煙できない」と言われ、悔しくて「絶対に禁煙してやる」と思い禁煙できたと語っていました。
先に説明した通り、「意地」や「我慢」「頑固」というのは悪い方向に向かうと恐ろしい結果になりますが、このように良い結果に活かすこともできます。
欲から完全に解放されるには
欲を努力で多少はコントロールできるようになるものの、それでも限界はあります。死の解決をして、煩悩即菩提の境地に出なければ完全に自由にはなれません。「即」は同時即ともいい、時も隔てず、場所も隔てず、時間の極まりを意味します。煩悩があるがまま菩提となる境地であり、苦しんだまんまが喜びという世界です。
高僧和讃には、「罪障功徳の体となる 氷と水の如くにて 氷多きに水多し 障り多きに徳多し」と説かれています。「罪や障りが喜びのもとになる。氷が多ければ水も多いように、障りが多ければ喜びも多い」という意味です。
「渋柿の 渋がそのまま 甘みかな」という古歌があります。柿は、渋みがそのまま甘みへと転じ、渋みが多いほど甘みも多くなります。
同じように、死の解決の境地は苦が楽に転じ、苦が多いほど楽も多くなります。渋柿のたとえでは、渋みが甘みに転じるまでに時間がかかりますが、この境地は即であり時間がかかりません。