ヒトラーは異常者だったのか?誰もがヒトラーになり得るワケ

「ヒトラー」と聞けば、多くの人が「彼は異常者であって普通の人とは違う」というイメージを持っているでしょう。しかし本当にそうでしょうか。
精神医学者のフリッツ・レートリヒがヒトラーに対して行った調査によれば、「人格の大部分は十分以上に機能し」「自分の行動を理解し、自尊心と熱意を持ってそれを実行することを選んだ」と結論づけています。そして、ヒトラーの子供時代については、「将来、大量虐殺を行う悪名高き政治家になると示唆することはほとんどなかった」「医学的な観点から見れば、ヒトラーは性的に奥手で、動物や人間をいたぶることを好まない、まったく普通の子供だった」としています。
また、哲学者のハンナ・アーレントは、ホロコーストで主導的役割を果たしたアドルフ・アイヒマンの裁判についての記事を書いた人ですが、ハンナは、「アイヒマンの問題とは、正確に言えば、あまりに多くの人が彼と似ていること・・・・きわめて、ぞっとするほど普通であることだ」と言います。
ナチズム史研究で世界の専門家の間で広く知られるミュンヘン現代史研究所のマルティーン・ブローシャート所長は、アウシュヴィッツ強制収容所所長のルドルフ・ヘスについて次のように語っています。
「ヘスのケースできわめてはっきりしてくるのは、大量虐殺を、単純に殺人者の特性として思いつくような、個人的な残酷さや悪魔のようなサディズム、野蛮な粗暴性、あるいはいわゆる『野獣のような残忍性』と組み合わせて考えるべきではないということである。ヘスの文書は、そういったきわめて単純なイメージに徹底的に逆らうものである。
それは日々のユダヤ人虐殺を演出していた男のポートレートというよりは、とにかくすべてに平均的で、まったく悪意はなく、反対に秩序を好み、責任感があり、動物を愛し、自然に愛着を持ち、それなりに『内面的な』天分があり、それどころか『道徳的にまったく非難の余地のない』一人の人間の姿を明らかにするものなのである」
「ヘスの自伝が明らかにしているのは、大量虐殺の技術を発明し遂行したのは、荒廃し堕落した何らかの人間のくずなのではなく、野心的で、責任感が強く、権威を妄信する、すまし顔の小市民的な俗物たちだったということである。
彼らは、無批判に服従するよう教育を受け、批判精神も想像力もなく、何十万という人間の『抹殺・粛清』こそが民族と祖国のための職務だと、誠心誠意自らそう信じ、あるいは信じ込まされたのである」
ヘスの自伝の訳者である片岡啓治も次のように語ります。
「本書を一読されればわかるように、ヘスは、けっして異常人でもなければ、性格破綻者でもない。自分でもしるしているように、『はっきりした義務感』の持ち主であり、『不当な仕打ち』には我慢できないある種の正義感さえそなえ、職務には忠実、家庭では良き父、良き夫であり、酒も遊びもさしてはたしなまず、しかるべき教養もそなえているといった、要するにどこにでもいるような一人の平凡人でしかない」
「ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀で、誠実で、それなりに善良で、生きることにも生真面目な、そういう一人の平凡人が、こうした大量虐殺をなしえたことは、誰もが、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、それをなしうるということにほかならないからだ」
ホロコーストは一部の権力者だけで引き起こされたものではありません。多くの(それも圧倒的に多くの)国民が、強制収容所やユダヤ人迫害等を知った上でヒトラーを支持しました。
「住民の積極的な協力なくして、ゲシュタポが反ユダヤ主義的な措置を実施することはほとんど不可能だった」
「多くのドイツ人は、ナチが政治犯と烙印を押した者が弾圧されるのを明らかに支持した、そして、あらたに設けられた強制収容所に政治犯が送られるのを見て喜んだ。収容所が創設されるとさかんに宣伝され、収容所近辺の地元住民でさえ、総じて収容所に賛成した」(「ヒトラーを支持したドイツ国民」より)

「ヒトラーにドイツ国民の支持と協力がなかったら取るにたらぬものであったろう。近頃では、ヒトラーは何でも自分でした、汽車を動かし、ガス室の充填すら独りでした、と信じられているようである。もちろんそんなことはない。ヒトラーはドイツ国民の共鳴板であった。何千何万というドイツ人が彼の犯罪的な命令を良心の呵責も覚えず、疑問ももたずに実行した」(「第二次世界大戦の起源」より)

上から下まで皆「加害者」であり「普通の人」だったのです。ナチス政権で宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスの元秘書が、66年間守ってきた沈黙の誓いを破り、2016年にこう言っています。
「今の時代の人たちは自分ならナチに抵抗したと言う。それは偽りのない気持ちなのだろうが、正直な話、その大半が抵抗しなかっただろう」
片岡は言います。
「事実、第二次大戦以後の事態は、小は日常生活の領域から、大は局地戦争、独立運動等々に至るまで、あらゆる領域にわたって、人間は被害者でもあれば加害者でもあり、平凡な者たちがあらゆる残虐と悪をなしうる、ということを立証している」
「ナチス的なものは、決して過去のことではなく、今なお、そしていっそう陰微な形で十分に生きており、それがいつか私たちの運命であるかもしれぬ危険はけっして終わっていないのである」
歴史学者のクリストファー・ブラウニングは、著書「普通の人びと」の中で、普通の人びとがホロコーストの犯罪者になっていった実態を描いていますが、彼は誰でも殺戮者になり得ると危惧しています。
「私は我々が住んでいるこの世界に不安を抱いている。現代世界では、戦争と人種差別がどこにでも跋扈しており、人々を動員し、自らを正当化する政府の権力はますます強力かつ増大している。また専門化と官僚制化によって、個人の責任感はますます希薄化しており、仲間集団は人々の行動に途方もない圧力を及ぼし、かつ道徳規範さえ設定しているのである。
このような世界では、大量殺戮を犯そうとする現代の政府は、わずかな努力で『普通の人びと』をその『自発的』執行者に仕向けることができるであろう。私はそれを危惧している」

・縁さえくれば人も殺す
歎異抄には、「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」という言葉があります。「縁さえくれば、人間はどんな振る舞いもする」という意味です。阿頼耶識にはあらゆる悪因が蓄積されているために、しかるべき悪縁がやってくれば、どんな罪悪でも造ってしまうのです。

・ヒトラーと大差ない
もっと言えば、すでに膨大な罪悪をすべての人間が造っており、ヒトラーと大差ありません。こちらの記事で詳しく説明しています。

人間は悪の限りを尽くしている極悪人

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