織田信長や豊臣秀吉は本当に英雄なのか?

この世には「真の人」だとか「立派な人」などという人間はいません。こちらの記事で詳しく説明した通りです。

人間は悪の限りを尽くしている極悪人

それにもかかわらず、人間は正しく人間を評価できず、戦国武将でさえ「英雄」とされている有様です。
たとえば、織田信長。
信長公記には次のような事例が紹介されています。
「敵兵の妻や子供、人質122人を磔に掛けることが決まり、それぞれ引き出された。幼児がいれば母親に抱かせたまま、次々に柱に引き上げ、磔に掛けた。そうして次々と鉄砲で撃ち殺し、または槍や薙刀で刺し殺した。122人が一斉に悲しみ叫ぶ声は天にも響くほどで、これを見守る人々は、目もくらみ心も消えて、同情の涙を抑えることができなかった。見た人は、20日も30日もの間、成敗された人質たちの顔が浮かんで、忘れられなかったそうである」
「女388人、男124人、合計512人を家4軒に押し込め、枯れ草を積んで焼き殺した。風が起こり火が廻るにつれて、魚が反り返り跳びはねるように、あちこちとなだれ寄り、焦熱の炎にむせび、躍り上がり跳び上がり、悲鳴は煙とともに空に響いた。地獄の鬼の呵責もこれかと思われた。肝も魂も消え失せて、二目とみられる人はいなかった。哀れな有様は、言葉には言い尽くせない」
また、比叡山焼き討ちについても次のように書かれています。
「9月12日、比叡山を攻撃し、根本中堂・日吉大社を始め、仏堂・神社、僧坊・経蔵、一棟も残さず、一挙に焼き払った。煙は雲霞の湧き上がる如く、無惨にも一山ことごとく灰燼の地と化した。山下の老若男女は右往左往して逃げまどい、取るものも取りあえず、皆はだしのままで八王子山へ逃げ上り、日吉大社の奥宮に逃げ込んだ。
諸隊の兵は、四方からときの声をあげて攻め昇った。僧・俗・児童、学僧・上人、すべての首を切り、信長の検分に供して、これは叡山を代表するほどの高僧であるとか、貴僧である、学識高い僧であるなどと言上した。そのほか美女・小童、数も知れぬほど捕らえ、信長の前に引き出した。悪僧は言うまでもなく、『私どもはお助けください』と口々に哀願する者たちも決して許さず、一人残らず首を打ち落とした。哀れにも数千の死体がごろごろところがり、目も当てられぬ有様だった」
人間の皮を被った悪魔といえます。
信長の庇護の下に布教活動を行った宣教師のルイス・フロイスは、「彼を支配していた傲慢さと尊大さは非常なもので、そのため、この不幸にして哀れな人物は、途方もない狂気と盲目に陥り、自らに優れる宇宙の主なる造物主は存在しないと述べ、彼の家臣らが明言していたように、彼自身が地上で礼拝されることを望み、彼、すなわち信長以外に礼拝に値する者は誰もいないと言うに至った」と記しています。
秀吉でさえ次のように信長の蛮行を軽蔑していました。
「一度敵せる者は、その憤怒つひに解けずして、悉くその根を断ち、その葉を枯さんとせらる。故に降を誅し、服を戮せられ、寇讐絶することなし。これ量狭く器小なるが故なり。人のために憚らるれども、衆のために愛せられず」
(訳:信長さんは、彼に背いた人を絶対に許すことをしなかった。降参してきても殺すし、常に敵討ちをしていた。これは人間の器が小さいからだ。人から恐れられはしても、人々から愛されはしない)
秀吉も似たようなものです。
たとえば、実子、秀頼が生まれると、秀吉は跡取りに考えていた養子の秀次を切腹に追い込み、一族の子女39人を皆殺しにしました。
また、朝鮮侵略では、10万以上の敵兵の鼻を削ぎ落し、日本へ送っています(最初は首を送っていたが、数が多くて大変なので、やがて鼻を送るようになった)。兵士だけでなく、民衆や女、子供まで手当たり次第に狙うようになり、殺戮だけでなく、人間ができるあらゆる蛮行がなされたといいます。
そして、毛利氏への見せしめのために、子供は串刺しに、女は磔にして200人以上処刑するなど、他にも大量に殺戮しています。
これでも英雄といえるでしょうか。
「秀吉は国民的英雄という声をよく耳にする。しかし、日本では英雄でも、侵略された朝鮮では、秀吉は侵略者そのものであるという、朝鮮史家の声は忘れてはならない。果たして秀吉は本当に国民的英雄なのだろうか」(小和田哲男/歴史学者/静岡大学名誉教授)
信長や秀吉に限らず、戦国武将は似たような行為をしています。これが実態であるのに、「英雄」とされ戦国武将ブームとなってしまっています。

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