世間的にはバカ、仏教的には天才。妙好人・庄松の言行録
江戸時代に庄松という人がいました。この人は字の縦横も知らず、8までしか数えられないため八文と言われて周りからはバカにされていたような人です。世間的には愚鈍な人ですが、仏教的にはそうではありません。庄松は、今日、妙好人(仏教の篤信者のこと)と評価される人の中でも筆頭に挙げられるような人です。鈴木大拙という仏教学者が庄松のことを英訳して海外にも広めたので、世界的にも知られています。よく「仏法は知りそう […]
江戸時代に庄松という人がいました。この人は字の縦横も知らず、8までしか数えられないため八文と言われて周りからはバカにされていたような人です。世間的には愚鈍な人ですが、仏教的にはそうではありません。庄松は、今日、妙好人(仏教の篤信者のこと)と評価される人の中でも筆頭に挙げられるような人です。鈴木大拙という仏教学者が庄松のことを英訳して海外にも広めたので、世界的にも知られています。よく「仏法は知りそう […]
知識の重要性 「知識や経験がないほうが偏見がなくいい」と信じ切っている人もいますが、無知が悲惨な結果をもたらすこともあります。たとえば火の怖さを知らなければ、思い切り手を突っ込んで大火傷を負ってしまいます。この場合、無知であることは、偏見が染みつく以上のデメリットです。仏教の学問を教学といいますが、教学は、日本語のひらがな、英語のアルファベットに相当するものであり、最低限のことは知らなければなりま […]
菩提(真実の幸福)のために、釈迦をはじめ多くの仏教徒が熾烈な求道をしました。一例をあげましょう。 釈迦 まずは、仏教の開祖である釈迦に学びましょう。 すべてを捨てて求道した釈迦に学ぶ 達磨と慧可 中国禅宗の祖、達磨は、壁に向かって9年間座禅を組んだという人です。やがて手足が腐り、このままだと命が危ないため両手両足を切断したといいます。今日、一つのことに忍耐強く努力することを「面壁九年」といいますが […]
諸行無常 仏教には諸行無常という言葉があります。一切のもの(諸行)は続かない(無常)という意味です。鴨長明の方丈記の冒頭には次のようにあります。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」哲学には「同じ川は2度入れない」という言葉もあります。物理学でも関連する法則に、熱力 […]
次の言葉はすべて、元は仏教用語です。 あ行 「挨拶」「愛着」「諦める」「悪魔」「アバター」「阿弥陀」「ありがとう」「安心」「意地」「意識」「意地悪」「一大事」「引業」「因縁」「有頂天」「会釈」「縁起」「演説」「億劫」 か行 「開発」「餓鬼」「覚悟」「我慢」「勘忍」「甘露」「教授」「愚痴」「下品」「快楽」「玄関」「乞食」「言語道断」「金輪際」 さ行 「懺悔」「三昧」「自覚」「食堂」「四苦八苦」「示談 […]
幸せを手に入れたために新たに生じる苦しみがあります。モーツァルトは「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす」と言い、劇作家のバーナード・ショーは「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一つはその願いがかなうこと」と言いました。「好事も無きに如かず」という言葉もあり、これは「たとえ良いことであっても、それがあると煩わしいので、むしろ何事もないほうがよい」という意味です。多くの人は、無い […]
聴聞とは、「聴」も「きく」で「聞」も「きく」と書きますが、真実の仏法を聞くことをいいます。 仏法は聴聞に極まる 「仏法は聴聞に極まる」といわれるぐらい、聴聞は重要です。・聴聞でしかわからないなぜ、これほど聴聞を重視するのかというと、仏教の一切は聴聞によってのみ理解できるからです。自己にしても、無常や罪悪にしても、死や地獄にしても、聴聞でしか知ることができません。つまり、苦悩の根本解決は聴聞でしかで […]
人生は夢 人生は夢です。仏教では「生死迷いの長夜」と説かれ、唯識論には「まだ真の覚りを得ない時は、常に夢の中にいるようである」と説かれています。 「打つ人も 打たれる人も 諸ともに ただ一時の 夢の戯れ」(夢窓疎石/禅宗僧侶) 「今ははや 一夜の夢と なりにけり ゆききあまたの かりのやどやど」(御一代記聞書) 「人間はただ電光朝露の、夢・幻の間の楽しみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、思うさ […]
すべての人は幸せを求めている 僕たちは幸せになるためこの旅路を行くんだ(浜崎あゆみ「Voyage」より) アリストテレスは「誰もが求める究極の目的は幸福である」と言いましたが、すべての人間は幸せを求めています。「幸福論は興味がない」という人は少なくないですが、実は人間最大の関心事なのです。 常に幸せを求めている それも、意識するとしないとに関係なく24時間365日、常に幸せを求めています。たとえば […]
すべての人間は極悪人 意識するとしないとにかかわらず、人間は日々膨大な量の罪悪を造っています。真実の人間の姿は、悪の限りを尽くしている極悪人です。「心常念悪 口常言悪 身常行悪 曽無一善」(大無量寿経)(書き下し:心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身常に悪を行い、曽て一善無し)(訳:心は常に悪を念い、口は常に悪を言い、身は常に悪を行い、今だかつて1つの善もしたことがない)ここで重要なことは、非連続の […]