世間的にはバカ、仏教的には天才。妙好人・庄松の言行録

江戸時代に庄松という人がいました。
この人は字の縦横も知らず、8までしか数えられないため八文と言われて周りからはバカにされていたような人です。
世間的には愚鈍な人ですが、仏教的にはそうではありません。
庄松は、今日、妙好人(仏教の篤信者のこと)と評価される人の中でも筆頭に挙げられるような人です。
鈴木大拙という仏教学者が庄松のことを英訳して海外にも広めたので、世界的にも知られています。
よく「仏法は知りそうもなき人が知る」といわれます。
僧侶や大学教授といった立派な肩書がある人が仏教を知っていそうに思えるかもしれませんが、そうではありません。
何の肩書もない庶民がよく知っていたりします。
庄松はまさにそのような人です。
そんな庄松の言行録です。
・法主と庄松
庄松は御頭剃という儀式を受けに、友人と本山に行った時のことです。法主が次から次へと移り、やがて庄松の前にやってきました。すると、何を思ったのか、庄松は法主の法衣の袖を引っ張りました。そして、「アニキ!覚悟はいいか!」と3回言いました。法主をまともに見たら目が潰れるといわれていた時代です。
儀式が終わると法主は庄松を呼ぶよう言いました。友人は「ああ、こんなことになるならこいつを呼ばなければよかった」と嘆きました。
「この者はバカであります。一文二文の銭さえも数えられません。どうぞお許しください」
法主は庄松に、どうして袖を引っ張ったのか聞きました。すると庄松はこう答えました。
「法主じゃからいうて地獄を逃れることはならぬで、後生の覚悟はよいかと思うて言うた」
それを聞いた法主は「敬うてくれる人はたくさんいるが、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ、よく意見してくれた」と感謝したといいます。

・逆立ちする庄松
ある時、庄松が寺の中で逆立ちしていました。
「庄松、そんなことしてるとケガするぞ」
それを見た人たちが庄松をからかいました。しかし、庄松はこう言い返しました。
「お前たちが地獄に堕ちる姿を真似しているんじゃ」
経には、顛倒の妄念があるために真っ逆さまとなって人間は地獄に堕ちると説かれていますが、それを庄松は教えたのです。 

・死の解決の境地
庄松が、たくさんの同行と京都の本山へ参詣した時のことです。同行とは、「極楽に行くために同じ行をしている人」を意味します。
帰りの船で播磨灘にかかった時、思いがけない暴風雨となり、船は木の葉の如く浮きつ沈みつ、今や海の藻屑とならんとする勢いでした。日頃の信心はどこへやら、人々は上を下への大混乱となりました。
そんな中で、船底で鼾をあげて寝ている人がいました。庄松でした。
「庄松起きんか!こんなときに何寝てんだ!大胆にもほどがある!」
同行が揺すり起こすと、庄松は眠い目をこすりながら一言、言いました。
「何だ、まだ娑婆か」
「死んで極楽だと思っていたけど、まだ死んでなかったのか」ということですが、これも死の解決の境地がわかるエピソードです。

・聴聞の心掛け
庄松がある同行を誘って聴聞に行こうとした時のことです。その同行は、「今日は、病気で具合が悪いので聴聞を休みたい」と言いました。それを聞いた庄松は、こう言って叱りました。
「元気がいいわしでも聞きに行くんだぞ」
目が覚める思いがした同行は、一緒に聴聞に行ったといいます。

・葬式
仏教は生きている人のためにあります。

【葬式は間違い】仏教は生きている人のためにある

「庄松さんが死んだら墓を建ててあげましょう」と言われて庄松は、「オラは石の下におらぬぞ」と言っています。

・後生が火事
「死後が必ず無間地獄」という一大事を抜きに仏教は成り立たず、釈迦を始めすべての善知識が人類に1番伝えたかったことです。
ある時、庄松が突然、鐘をやかましく鳴らしながら「火事じゃ、火事じゃ」と叫び出しました。人々が驚いて飛び出てくると、庄松は「後生が火事じゃ」と叫んだといいます。
人間は今日死んでもおかしくありません。つまり、明日の今頃は、地獄にいるかもしれず、人間にとってこれほど深刻なことはありません。だからこそ、すべての善知識方は手に汗握る思いで警鐘乱打して叫び続けているのです。

・善人様
ある時、一灯園の創始者、西田天香が庄松に言いました。
「娑婆は堪忍土。庄松さん、人は人を許して生きていかなければなりませんね」
すると庄松は、「いえいえ、私は人に許されて生きています」と言ったといいます。
人に迷惑をかけ、人を苦しめなければ生きられないのが人間です。庄松と天香の差は、そのことを知っていた悪人と知らなかった善人様の差であり、仏教とそれ以外の宗教の差といえるでしょう。

罪悪観とは?悪人こそ救われる悪人正機とは?

・知解
知識の力で、物事を理解しようとすることを知解といいます。真偽を見極めるために重要なことですが、知解の段階は仏教の初心者です。
庄松は次のような言葉を残しています。
「合点ゆかずば合点ゆくまで聞きなされ、聞けば合点のゆく教え、合点したのは信ではないぞ、それは知ったの覚えたの」
(訳:理解できなければ理解できるまで聞きなさい。聞けば必ず理解できる教えである。しかし、理解したのは信心を獲たということではなく、知った覚えたということである)
仏教を学ぶ人は多いですが、深刻な問題として受け止める人は少なく、多くの人が知解の段階で人生を終えていきます。

知識では幸せになれない。知識のリスク。知識は死の解決のための手段。

・極楽浄土
庄松は、ある未信(死の解決をしていないこと)の同行と次のようなやり取りをしています。
「庄松さん、どうも私は求道しても喜べない」
「助からずに有難くなれるか。助かったらはっきりするぞ」
「でもなぁ、極楽に阿弥陀さんがおられるとはいうけれど、目に見えぬゆえ、どうも信じられず身が入らない」
「この山の向こうには阿波の国があるぞ」
阿波の国(現在の徳島県)は目には見えませんが、山の向こうに確かにあります。それと同じように、極楽浄土も目には見えないけれど確かにあるということを庄松は言っているのです。

極楽浄土は実在する

・神棚
庄松が、ある仏教徒の家へ行った時のことです。
あろうことか家には神棚が飾ってありました。
それを見るや庄松は、「間男見つけたり!間男見つけたり!」と叫びました。
すると家の主人は、「娘が病気になって藁にもすがる思いだったんだ。許してくれ、許してくれ」と泣きながら言ったといいます。

神仏一体は間違い。仏教は神を否定する

・仏壇
仏壇は常に手入れをして綺麗にしておく必要があります。
庄松は、お仏花が枯れたり、お仏飯が供わっていない仏壇を見て、「御本尊様がやせていらっしゃる」と悲しみ、掃除が行き届いて、お香も絶えない仏壇を見て、「ここの御本尊様はよく肥えていらっしゃる」と喜んだといいます。

仏壇は何でもいいわけではない。金仏壇で豪華であればあるほどいい

・阿弥陀仏の光明
すべての生き物に阿弥陀仏の調熟の光明がかかっています。
太陽や月の光は物に遮られると届きませんが、阿弥陀仏の光明は十万億もの世界離れていようが何物にも妨げられることなく、すべての命あるものを照らします。
ある日、庄松が道を歩いていた時のことです。
犬がいたので、その前を庄松は、「ごめん」と言って通りました。それを聞いていた連れの人は、「犬にごめんという奴があるか」と叱りました。しかし庄松は、「犬にごめんなんて言ってない」と言います。
「今言っただろ!だからバカって言われるんだ!」
「言ってない」
このようなやり取りを何度か繰り返した後、庄松はこう言います。
「お前なぁ、ワシは阿弥陀仏の本願にごめんと言ったんで、犬には言っとらん。犬も十方衆生の中。阿弥陀仏の本願がこの犬にもかかっていると思ったら、思わずごめんと言わざるを得なかったんじゃ」

他力本願の正しい意味。釈迦の先生である阿弥陀仏の力とは?

・僧侶
今日、間違った仏教が流布し、仏教に対するイメージも悪いですが、その大きな原因は僧侶にあります。
「獅子身中の虫」という諺がありますが、仏教を捻じ曲げるのは、他ならぬ仏教者自身です。
その実態を見て庄松は「法を瘦せかしてわが身を太らせている」と批判しました。

・地獄の絵
地獄の絵の前に、がやがやと人だかりができていました。
「こんな恐ろしいところに堕ちていくんだかー」
その様子を見た庄松は、「極楽の絵をみとけ!地獄はやがて見えるぞ!」と言ったといいます。
「このままいけば何とかなる」と思っているでしょう。まさか自分が地獄に堕ちるとは夢にも思っていないはずです。もしくは、「地獄に堕ちても、その時はその時で何とかなる」と思っているはずです。後生が苦になって1晩でも寝られなかったことがあるでしょうか。結局は睡眠欲のほうが勝り寝てしまっているはずです。

・大無量寿経
ある僧侶が庄松に「大無量寿経を読んでみよ」と言いました。
庄松が文字を読めないことを知っていて、彼を辱めようとしたのです。
すると庄松は、「庄松助くるぞ、庄松助くるぞ」と延々と言ったといいます。

・山本良助とのエピソード

山本良助に学ぶ「聴聞」

・噂
庄松には、ある噂があります。
それは、法然の生まれ変わりではないかという噂です。
平安末期の僧侶、法然は大原問答(諸宗の学僧を相手にした論議)で名声を高めた、大変頭のいい人です。
しかし、「人生、字を知るは憂患の始め」という言葉もありますが、頭がいいと疲れます。
そのため、法然は「次は愚鈍な者に生まれたい」と言って死んでいきました。
こういったことからこのような噂があるのです。

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