山本良助に学ぶ「聴聞」

江戸時代、加賀国(現在の石川県南部)に山本良助という熱心な求道者がいました。
加賀は寺の町です。この時代のことですので説法は朝昼晩と1日中行われており、山本良助は1日中聴聞していました。
ところが、どんな人の話を聞いても善知識に遇えなかったといいます。先に説明したように、真剣に求めると知識の力量を見抜けるようになるのです。
そんなある時、風の便りで讃岐(現在の香川県)に庄松という人がいると、山本良助の耳に届きました。庄松の噂は全国に伝わっていたのです。山本良助は躍り上がって喜びました。
(そんな尊い善知識が讃岐におられるのか・・・・)
こういう人ですから、加賀はもちろん、近いところはほとんど訪ねたでしょう。もう讃岐に行くしかないだろうという心境だったのです。
(私の後生は庄松さんにかけてみよう・・・・)
家族と水盃をかわし、讃岐まで行くことにしました。夏の暑い盛りの時のことです。平太郎の時代と同じく、やはり徒歩で行くしかありません。石川県から香川県までです。途中には山賊もいます。命がけです。
苦労に苦労を重ね、やっとのことで山本良助は庄松を探し当てました。庄松は小さなあばら家にいました。山本良助は嬉しくて仕方がありません。
「ごめん」と戸を開いて中を見ると、庄松は布団を被り、玄関に背を向けて寝ていました。
(この方が庄松さんか・・・・)
「私は山本良助と申します。後生が心配で眠れません。庄松さんにお会いしたく加賀国からやって参りました」
それを聞いた庄松は、じろっと一目見ました。そして、「オラ知らんぞ」と一言だけ言って、また寝てしまいました。
山本良助は驚きました。これは頼み方が悪かったに違いないと思い、改めて頼みました。
「私は世間事で参ったのではありませぬ。後生が苦になったため、加賀国よりはるばる尋ねて参りました。どうぞ御一言お知らせ下さいませ」
しかし、庄松はまた、「オラ知らんぞ」と言うだけで、相手にしてくれません。山本良助は困り果てました。しかし帰るわけにはいきません。聞かずにはおれないという心境です。庄松の家の土間で夜を徹して頼み込みました。それでも庄松は何とも返事をしてくれません。
(私のような悪人は地獄しか行き場がないのか・・・・)
このような心が山本良助に育ってきました。
そして、助かる縁手掛かりがなくなり、地獄しか行き場のない自己が知らされたその刹那、阿弥陀仏の呼び声が山本良助に届きました。その瞬間、庄松はがばっと起き上がり、「よくぞそこまで求めた」と誉め称えたといいます。
山本良助は、「善知識に遇いさえすれば助かる」「庄松を頼れば何とかなる」と思っていました。
この心が最も恐ろしいガンであることを庄松は一目見て見抜き、わざと冷たい態度をとったのです。
この庄松の無言の説法により、山本良助は死の解決をすることができました。

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