神と仏はまったく違う
神も仏も同じようなもんだと思っている人は多いですが、まったく違います。
仏教は神を否定する
仏教では、次のように厳しく神を排斥します。
「占相を離れ、正見を修習し、決定して深く罪福の因縁を信ずべし」(華厳経)
(訳:吉凶といった占いを止め、正しい考え方を学び、善であろうと悪であろうとすべて明確な因果関係があるという因果の法則を深く信じるべきである)
「正見を得て歳次日月の吉凶を択ばず」(大集経)
(訳:正しい考え方を身につけ、年や日や月のよしあしといった占いを信じない)
「三宝を帰敬して天神を信ぜず」(大集経)
(訳:三宝に帰依して、神を信じない)
「仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ」(涅槃経)
(訳:阿弥陀仏に帰依するのなら、その他の神々には絶対に帰依してはならない)
「一切外学の九十五種は、みな悪道に趣く」(涅槃経)
(訳:仏教以外の宗教を学べば、すべて地獄に堕ちる)
「吉凶の相を執して、鬼神を祭れば、極重の大罪悪業にして、近く無間罪を生ず」(地蔵十輪経)
(訳:吉凶の占いに執着し、神を祭れば、極めて重い罪悪を造り、死後は無間地獄に堕ちる)
「この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」(般舟三昧経)
(訳:死の解決をしようと思うならば、阿弥陀仏に帰依し、法に帰依し、善知識に帰依しなさい。仏教以外の宗教を信じてはならない。神や日の良し悪しといった迷信を信じてはならない)
「世間の邪魔、外道を信ぜば、倒見してついに横死せしめ、地獄に入りて出期あることなし」(本願薬師経)
(訳:迷信や仏教以外の宗教を信じれば、あやまった考えにとらわれて、ついには非業の死をとげ、地獄に堕ちて抜け出すことができない)
「九十五種世をけがす 唯仏一道きよくます 菩提に出到してのみぞ 火宅の利益は自然なる」(正像末和讃)
(訳:仏教以外の宗教が世を汚す。ただ阿弥陀仏を信じる道だけが清浄である。死の解決をして初めて、本物の利他が自ずとできるのである)
「天王寺土塔会、前々住上人、御覧候いて、仰せられ候う。『あれほど多き人ども、地獄へおつべしと、不便に思し召し候いつる』」(御一代記聞書)
(訳:四天王寺の祭りに、たくさんの人がいるのを蓮如上人が見て、「あれほど多くの人が、全員地獄に堕ちるのだ、とあわれに思う」と仰った)
神道とは
日本に古くからある宗教といえば神道です。
これは、人や畜生の魂が死んだ後、神霊となって神社に鎮座し、生きている人に禍福(不幸や幸せ)を与えると信じ、商売繁盛、家内安全、病気平癒、合格祈願等々のご利益を祈るという宗教です。
有名な神社とその神体をいくつか挙げます。
伊勢神宮:天照大神
太宰府天満宮:菅原道真
靖国神社:幕末から太平洋戦争までの戦死者
明治神宮:明治天皇
日光東照宮:徳川家康
宗教年鑑平成26年版によれば、219,939の宗教団体があり、内訳は次のようになっています。
神道系:88,549(40.2%)
仏教系:85,282(38.7%)
キリスト教系:9,347(4.2%)
諸教:36,761(16.7%)
神仏一体は間違い
「仏教には神仏一体の教えがあるではないか」と批判する人もいますが、そんな教えは仏教にはありません。
話は仏教が日本にやってきた時代まで遡ります。
当時、神信心は権力者と結びついており強い力がありました。そこで僧侶たち(主に真言宗や天台宗)は、神道と仲良くするために、つまり権力者と仲良くするために仏教の「本地垂迹説」に目をつけました。本地垂迹説というのは、仏が衆生を救うために人間や動物など、様々な形をとることをいい、これは仏説です。この本地垂迹説を僧侶たちは保身のために利用し、「仏は人々を救うために神として垂迹した」と捻じ曲げたのです。
第5巻でも少し触れましたが、本願寺は大戦中も保身のために神仏一体説をでっちあげました。これからもいざとなれば、神仏一体説はでっちあげられるでしょう。
神に禍福を与える力はない
禍福を与える力があるというのなら、どうして自分のところに参りにきてくれた人を幸せにしてあげないのでしょうか。
太平洋戦争では、軍の指導者や神主たちが、「日本は神国だから、必ず神風が吹いて戦争に勝つ」と信じ神に助けを請いましたが、ついに神風は吹きませんでした。
御嶽山は、山頂に神社があり、宗教登山が盛んなことでも知られていますが、2014年の噴火では戦後最悪の58人の犠牲者を出しました。
東海道新幹線火災事件で死亡した女性は、直前に「今日は、これまでの平穏無事のお礼参りに伊勢神宮へ伺います」とSNSに書き込んでいたといいます。
他にも、「初詣中に階段から落ちて死んだ」とか、「神棚が火元となって火事になった」といった話もよく聞きます。
こんな話もあります。
兵庫県、西宮神社の「福男選び」は、年始の恒例行事となっており、2019年は消防士の男性が選ばれました。これをたまたまテレビで見ていた交際相手の女性は驚きました。実は、この「福男」には妻子がおり、そのことをこの時まで知らずに交際していたからです。不倫がバレた「福男」は酷く落ち込んでいるといいます。
「福男」となって不幸になったのは彼だけではないようです。
たとえば、前年の2018年に「福男」に選ばれた男性は次のように語っています。
「災難が続いたのは事実です。昨年は『福男』の祝いの席で腸炎になって41度の熱を出したり、受験に失敗して浪人が決まったり・・・・当て逃げされたこともありましたし、バイト先のガソリンスタンドでワイパーに挟まれて流血したことも」
「今年(2019年)の1月4日、車を運転中に後ろからバイクに追突され、2度目の事故に遭いました。ぼくの任期は10日までだったので、“最後までこれかよ”と。他にもここでは言えない人間関係のトラブルに巻き込まれ、大学受験も2回目の失敗が決定していまして・・・・どうも歴代の福男も不幸になっているそうです」
「神社の宮司さんも“福男に幸福は来ない”って言ってました。福男になった瞬間に幸福を使い果たして、あとは不幸が襲ってくるとかで(笑い)」
ちなみに、この「福男」が2018年に引いたおみくじは、ずっと大吉だったといいます。
それにしても、競争して他人を蹴落とした人に福を与えようとする神に疑問を持たないのでしょうか。
このように、神を信じ、頼みに参った人が不幸になった事例はゴマンとあります。
神社の長である宮司の不幸話もたくさんあります。
富岡八幡宮では、第20代宮司が、第21代宮司である姉と妻を殺害し自殺するという事件がありました。賽銭で豪遊していたというこの第20代宮司は、事件前に、「私の要求が実行されなかったときは、怨霊となり、永遠に祟り続けます」と書かれた文書を関係各所にバラまいていたといいます。このぐらいの事件があると大衆も「禍をもたらし福をもたらさない」と判断するようで、事件後は参拝者が激減し、初詣客は8割減少したそうです。
さらに、こんな話もあります。
世界的に著名な彗星捜索家の木内鶴彦は、劇的な臨死体験をしたことでも知られていますが、その時に江戸時代へタイムスリップしたそうです。そして、当時の土佐神社(高知県)の柱に「つる」とサインしておいたといいます。現代に戻り土佐神社へ行ってみると、その時に書いたサインが残されており、宮司によれば、神が降りてきて柱にメッセージを残したものと言い伝えられており、由緒書きもあるそうです。また、大本教(神道系)を興した出口なおの「お筆先(自動書記)」も、木内がなおに書かせたといいます。これらが事実なら神の力ではなく人間(木内)の力ということになります。
神道の神に禍福を与える力はありません。神を信じることで幸せになったと思っている人も、不幸になったと思っている人もいるでしょうが、神の力によるものではないということです。どんと焼きでダイオキシンまぶしの餅を食べても、「百害あって一利なし」なのです。凶なしのおみくじを販売する神社というのもありましたが、人間の妄念が生み出した宗教です。
人間は心の力の重さがわからないため、神を信じる恐ろしさがわかりません。鳥居を見ただけで影響を受けるので、意識的に遠ざける必要があります。どうしても鳥居を通らなければならない場合は、くぐらずに鳥居の外側を通るべきです。
同じことは、神道以外の宗教にもいえます。先に説明した通り、こういった宗教を信じれば地獄に堕ちるので、仏教では邪教として厳しく排斥しているのです。