東条英機の生涯に学ぶ人生の目的

太平洋戦争を指揮した東条英機は、「カミソリ東条」の異名を持ち、「首相」「陸相」「内相」を兼ね、後に「軍需相」「参謀総長」まで兼ねた大変な権力者でした。
しかし、周知の通り、A級戦犯として軍事裁判にかけられ死刑判決を受けました。権力の頂点から死刑囚です。逮捕される直前には拳銃で自殺を図ってもいます。その理由について東条は、「捕虜となるな、死を選べ、と戦陣訓を教えていたので、自らそれを実行したまで」と語っていますが、その自決に失敗したのです。
不幸のどん底にいた東条にとって幸運だったのは、拘置所内で仏教と出遇ったことでした。教誨師だった花山信勝によれば、戦犯たちの中で、東条は最も熱心に法話を聞き、身動き1つしなかったといいます。
東条ははじめ「極重悪人ということも、はじめは何とも感じなかったですね」と言っていましたが、やがて「私のような人間は、愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ」「私の如き、最も極重悪人ですよ」と言うようになりました。
また、東条は、家族に対する遺言の中で、「誠に健康で、気分も爽快である。刑の執行の1日も早からむことを願う。朝夕ともに、仏とともに起き伏ししておる」と書いています。
そして刑が執行されますが、絞首台に登る7分前に、東条は数種の辞世の句を詠んでいます。

・今ははや 心にかかる 雲もなし 心豊かに 西へぞ急ぐ
・日も月も 蛍の光 さながらに 行く手に弥陀の 光かがやく
・さらばなり 有為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 行くぞうれしき
・明日よりは 誰にはばかる ところなく 弥陀のみもとで のびのびと寝む

いずれも非常に明るい句です。
このような句を詠んで東条は十三階段(絞首台の異名)を上がっていきました。十三階段は、凶悪犯も腰が抜けて自力で上れないといわれるほど恐ろしいものですが、それを東条は駆け足で上がったといいます。
そして首を吊られることになりますが、すぐに死ぬわけではありません。息が絶えるまで時間があります。それまで東条は念仏を称えていたといいます。
少なくとも、このような境地にならなければ死を解決したとはいえません。一連の言動を見るに、おそらく東条は拘置所内で死の解決をしたのではないでしょうか。
ちなみに東条は死の直前、自分の子供に向けて、次のように無常観罪悪観をよく見つめ、阿弥陀仏に向かうよう伝言しています。
「早晩、人間は無常で死んでいくものだということを考えること」
「自分の姿をしっかりと見つめよということは、『極悪人』なりということを、自分の醜い姿をしっかり見つめよということ」
「嬉しい時に、南無阿弥陀仏というように手を合わすようにしろ」
また、「真っ先に政治家が大無量寿経などを読んで深く考えなければならん」とも言い、次のようにも言っています。
「首、切られるときはお聖教も正信偈もいらない。ただ、南無阿弥陀仏だけになってしまう。切羽詰まってくると、ただ南無阿弥陀仏以外にない。人間は生死を超えなければいかんですねえ」

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