正信偈(原文・書き下し・現代語訳)

正信偈とは

正信偈は、正信念仏偈の略で、教行信証に書かれています。「偈」とはサンスクリット語でカーダといい、仏教的な詩のことです。正信偈は韻文で節がついていますが、勤行は毎日するものなので続けやすくするためです。

正信偈の原文と書き下し

以下、正信偈の全文です(右は書き下し)。

帰命無量寿如来   無量寿如来に帰命し
南無不可思議光   不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩因位時   法蔵菩薩因位の時、
在世自在王仏所   世自在王仏の所に在して
覩見諸仏浄土因   諸仏浄土の因、
国土人天之善悪   国土・人天之善悪を覩見して、
建立無上殊勝願   無上殊勝の願を建立し、
超発希有大弘誓   希有の大弘誓を超発せり、
五劫思惟之摂受   五劫に之を思惟して摂受す。
重誓名声聞十方   重ねて誓うらくは「名声十方に聞えん」と。
普放無量無辺光   普く無量・無辺光、
無碍無対光炎王   無碍・無対・光炎王、
清浄歓喜智慧光   清浄・歓喜・智慧光、
不断難思無称光   不断・難思・無称光、
超日月光照塵刹   超日月光を放ちて塵刹を照らす、
一切群生蒙光照   一切の群生、光照を蒙る。
本願名号正定業   本願の名号は正定の業なり、
至心信楽願為因   至心信楽の願を因と為す、
成等覚証大涅槃   等覚を成り大涅槃を証することは、
必至滅度願成就   必至滅度の願、成就すればなり。
如来所以興出世   如来世に興出したまう所以は、
唯説弥陀本願海   唯弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時群生海   五濁悪時の群生海、
応信如来如実言   応に如来如実の言を信ずべし。
能発一念喜愛心   能く一念喜愛の心を発せば、
不断煩悩得涅槃   煩悩を断ぜずして涅槃を得、
凡聖逆謗斉廻入   凡・聖・逆・謗斉しく廻入すれば、
如衆水入海一味   衆水の海に入りて一味なるが如し。
摂取心光常照護   摂取の心光は常に照護したもう、
已能雖破無明闇   已に能く無明の闇を破すと雖も、
貪愛瞋憎之雲霧   貪愛・瞋憎の雲霧、
常覆真実信心天   常に真実信心の天を覆えり、
譬如日光覆雲霧   譬えば日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧之下明無闇   雲霧の下明らかにして闇無きが如し
獲信見敬大慶喜   信を獲て見て敬い大いに慶喜すれば、
即横超截五悪趣   即ち横に五悪趣を超截す。
一切善悪凡夫人   一切善悪の凡夫人、
聞信如来弘誓願   如来の弘誓願を聞信すれば、
仏言広大勝解者   仏は広大勝解の者と言い、
是人名分陀利華   是の人を分陀利華と名づく。
弥陀仏本願念仏   弥陀仏の本願念仏は、
邪見憍慢悪衆生   邪見・憍慢の悪衆生、
信楽受持甚以難   信楽受持すること甚だ以て難し、
難中之難無過斯   難の中の難斯に過ぎたるは無し。
印度西天之論家   印度西天の論家、
中夏日域之高僧   中夏・日域の高僧、
顕大聖興世正意   大聖興世の正意を顕し、
明如来本誓応機   如来の本誓、機に応ずることを明す。
釈迦如来楞伽山   釈迦如来楞伽山にして、
為衆告命南天竺   衆の為に告命したまわく、「南天竺に、
龍樹大士出於世   龍樹大士、世に出でて、
悉能摧破有無見   悉く能く有無の見を摧破し、
宣説大乗無上法   大乗無上の法を宣説し、
証歓喜地生安楽   歓喜地を証して安楽に生ぜん」と。
顕示難行陸路苦   難行の陸路の苦しきことを顕示し、
信楽易行水道楽   易行の水道の楽しきことを信楽せしめたもう。
憶念弥陀仏本願   「弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然即時入必定   自然に即の時必定に入る、
唯能常称如来号   唯能く常に如来の号を称じて、
応報大悲弘誓恩   大悲弘誓の恩を報ず応し」といえり。
天親菩薩造論説   天親菩薩は論を造りて説かく、
帰命無碍光如来   「無碍光如来に帰命したてまつる」と。
依修多羅顕真実   修多羅に依りて真実を顕し、
光闡横超大誓願   横超の大誓願を光闡し、
広由本願力廻向   広く本願力の廻向に由りて、
為度群生彰一心   群生を度せんが為に一心を彰したもう。
帰入功徳大宝海   「功徳の大宝海に帰入すれば、
必獲入大会衆数   必ず大会衆の数に入ることを獲、
得至蓮華蔵世界   蓮華蔵世界に至ることを得れば、
即証真如法性身   即ち真如法性の身を証せしむ、
遊煩悩林現神通   煩悩の林に遊びて神通を現じ、
入生死薗示応化   生死の薗に入りて応化を示す」といへり。
本師曇鸞梁天子   本師曇鸞は梁の天子、
常向鸞処菩薩礼   常に鸞の処に向いて「菩薩」と礼したまえり。
三蔵流支授浄教   三蔵流支、浄教を授けしかば、
梵焼仙経帰楽邦   仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩論註解   天親菩薩の論を註解して、
報土因果顕誓願   「報土の因果は誓願なり」と顕したもう。
往還廻向由他力   「往還の廻向は他力に由る、
正定之因唯信心   正定之因は唯信心なり。
惑染凡夫信心発   惑染の凡夫、信心を発しぬれば、
証知生死即涅槃   生死即ち涅槃なりと証知せしむ、
必至無量光明土   必ず無量光明土に至れば、
諸有衆生皆普化   諸有の衆生、皆普く化す」といへり。
道綽決聖道難証   道綽は聖道の証し難きことを決し、
唯明浄土可通入   唯浄土の通入す可きことを明す。
万善自力貶勤修   万善の自力、勤修を貶し、
円満徳号勧専称   円満の徳号、専称を勧む。
三不三信誨慇懃   三不・三信の誨、慇懃にして、
像末法滅同悲引   像・末・法滅同じく悲引したもう、
一生造悪値弘誓   一生悪を造れども弘誓に値いぬれば、
至安養界証妙果   安養界に至りて妙果を証せしむ」といへり。
善導独明仏正意   善導独、仏の正意を明かにし、
矜哀定散与逆悪   定散と逆悪とを矜哀して、
光明名号顕因縁   光明・名号の因縁を顕したもう。
開入本願大智海   「本願の大智海に開入すれば、
行者正受金剛心   行者正しく金剛心を受け、
慶喜一念相応後   慶喜一念相応の後、
与韋提等獲三忍   韋提と等しく三忍を獲、
即証法性之常楽   即ち法性之常楽を証せしむ」といへり。
源信広開一代教   源信広く一代の教を開きて、
偏帰安養勧一切   偏に安養に帰して一切を勧む。
専雑執心判浅深   専・雑の執心に浅・深を判じ、
報化二土正弁立   報・化二土正しく弁立したもう。
極重悪人唯称仏   「極重の悪人は唯仏を称すべし、
我亦在彼摂取中   我も亦彼の摂取の中に在れども、
煩悩障眼雖不見   煩悩、眼を障えて見たてまつらずと雖も、
大悲無倦常照我   大悲倦きこと無くして常に我を照したもう」といへり。
本師源空明仏教   本師源空は仏教に明かにして、
憐愍善悪凡夫人   善・悪の凡夫人を憐愍し、
真宗教証興片州   真宗の教・証を片州に興し、
選択本願弘悪世   選択本願を悪世に弘めたもう。
還来生死輪転家   「生死輪転の家に還来することは、
決以疑情為所止   決するに疑情を以て所止と為す、
速入寂静無為楽   速に寂静無為の楽に入ることは、
必以信心為能入   必ず信心を以て能入と為す」といへり。
弘経大士宗師等   弘経の大士・宗師等、
拯済無辺極濁悪   無辺の極濁悪を拯済したもう。
道俗時衆共同心   道・俗・時衆、共に同心に、
唯可信斯高僧説   唯斯の高僧の説を信ず可し。

正信偈の現代語訳

簡単な訳も書いておきます。

無量寿の如来に帰命し、
想像が及ばない光の如来に帰依したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時に、
世自在王仏のみもとで、
仏がたの浄土の成り立ちや、
その国土や人間や神々の善し悪しをご覧になって、
この上なくすぐれた願をおたてになり、
世にも稀な大いなる誓いをおこされた。
五劫もの間思惟してこの誓願を選び取り、
名号をすべての世界に聞かせようと重ねて誓われたのである。
本願を成就された仏は、無量光・無辺光・
無礙光・無対光・炎王光・
清浄光・歓喜光・智慧光・
不断光・難思光・無称光・
超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての世界を照らし、
すべての衆生は、その光明に照らされる。
本願成就の名号は衆生が間違いなく往生するための行であり、
第十八願の至心信楽の願に誓われている信を往生の正因とする。
正定聚の位になり、浄土に往生して悟りを開くことができるのは、
第十一願の必至滅度の願が成就されたことによる。
如来が世に出られた理由は、
ただ阿弥陀仏の本願を説くためである。
五濁の世の人々は、
釈尊の真実の教えを信じるがよい。
死の解決をして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、
煩悩を断ち切らずに、悟りを開くことができる。
凡夫も聖者も、五逆の者も謗法の者も、すべての人は本願海に入れば、
どの川の水も海に入ると一つの味になるように、平等に救われる。
阿弥陀仏の光明は常に衆生を摂め取ってお護りくださる。
すでに無明の闇は晴れても、
貪りや怒り憎しみの雲や霧は、
常にまことの信心の空を覆っている。
しかし、たとえば日光が雲や霧に覆われても、
雲や霧の下は明るくて闇がないようなものである。
死の解決をして大いに歓喜し阿弥陀仏を心から敬えば、
ただちに本願力によって迷い苦しみの世界のきずなが断ち切られる。
善人も悪人も、どのような凡夫であっても、
阿弥陀仏の本願を聞信すれば、
仏はこの人を広大無辺の勝れた智恵を得た者であると誉め称え、
白蓮花のような人と名づける。
阿弥陀仏の本願念仏の法は、
よこしまな考えを持ち、おごり高ぶる悪い人間が、
死の解決をすることは甚だ難しく、
難の中の難であり、これより難しいことはない。
インドの菩薩方や
中国と日本の高僧方が、
釈迦が世に出られた本意を顕し、
阿弥陀仏の本願が、どんな人にも適応することを明らかにされた。
釈迦は楞伽山で
大衆に、「南インドに、
龍樹菩薩が現れて、
ものごとを有や無に見る邪見をすべて打ち破り、
大乗の無上なる法を説き、
歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう」と仰せになった。
龍樹菩薩は、難行道は苦しい陸路のようであると示し、
易行道は楽しい船旅のようであるとお勧めになる。
「阿弥陀仏の本願を信じれば、
自ずからただちに正定聚に入る。
ただ常に阿弥陀仏の名号を称え、
本願の大いなる慈悲の願に報いるがよい」と述べられた。
天親菩薩は、浄土論を著して、
「無礙光如来に帰依したてまつる」と述べられた。
浄土の経典にもとづいて真実を顕し、
他力のすぐれた誓願を広く明らかに説き、
阿弥陀仏の力によって、
すべての人を救うために、他力の信心という一心を明らかにされた。
「功徳で溢れた大きな宝の海に入れば、
必ず浄土に往生する身と定まる。
阿弥陀仏の浄土に往生すれば、
ただちに仏となり、
さらに迷いの世界に還り、
自在に衆生を救うことができる」と述べられた。
曇鸞大師は、梁の武帝が
常に菩薩と仰がれた人である。
菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、
仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。
天親菩薩の浄土論を注釈して、
浄土に往生する因も果も阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし、
往相も還相も他力の回向であると示された。
「浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。
煩悩に目鼻をつけたような凡夫でもこの信心を得たなら、
苦悩がただちに幸福になることをはっきりと知らされる。
光に限りない世界である極楽浄土に必ず至っては、
あらゆる迷いの衆生を導くことができる」と述べられた。
道綽禅師は、聖道門の教えによって救われるのは難しく、
唯一、浄土門の教えによってのみ救われることを明らかにされた。
聖道門自力の修行をどれほど修めても救われず、
浄土門他力の修行を修めることをお勧めになる。
三信と三不信の教えを懇切丁寧に示し、
正法・像法・末法・法滅、いつの時代においても、阿弥陀仏の本願は変わらず永久に人々を救い続けることを明らかにされる。
「たとえ一生涯、罪悪を造り続けても、死の解決をすれば、
極楽浄土に往生し、この上ない仏の悟りを開く」と述べられた。
善導大師だけが、ただ独り、釈迦の正しい教えに明らかであった。
善人も悪人もすべての人を哀れんで、
名号を因として光明を縁としてお救いくださると示された。
「本願の大いなる智恵の海に入れば、
行者は他力の信心を受け、
阿弥陀仏の本願に合致したその時に、
韋提希と同じく喜忍・悟忍・信忍の三忍を得て、
浄土に往生してただちに仏になる」と述べられた。
源信僧都は、釈迦の教えを広く学び、
偏に阿弥陀仏に帰依し、また世のすべての人々にも勧めた。
自力の信心は浅く、よくても化土にしか往生できないが、
他力の信心は深く、間違いなく報土に往生できると明らかに示された。
「極めて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。
私もまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、
煩悩が私の眼を遮って、見たてまつることができない。
しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのような私を見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。
法然上人は、真実の仏教に明らかで、
善人も悪人もすべての凡夫を哀れんで、
日本に真実の教えを広め、
阿弥陀仏の本願を五濁悪世の世に広めた。
「迷い苦しみの世界を輪廻し続けるのは、
疑情があるからである。
速やかに極楽浄土に入るには、
他力の信心を獲るしかない」と述べられた。
浄土の教えを世に広めてくださった祖師方は、
数限りない極めて汚れた悪人をすべてお救いになる。
出家のものも在家のものもすべての人は、
ただこの高僧方の教えを仰いで、一味平等の同じ信心を獲るがよい。

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