自殺しても楽になれないワケ

誰でも1度は死にたいと思っている

こちらの記事で詳しく説明した通り、人生は苦しみで溢れています。

【人生は苦なり】誰でも1度は死にたいと思ったことがある。なぜ人生は苦しみで溢れているのか?四苦八苦の本当の意味とは?

どんな人でも「死んだほうが楽だろう」と1度は思ったことがあるものです。
たとえば、お笑いタレントの松本人志は、あるテレビ番組で、「自殺を考えたことなんてないでしょ?」と質問されて、「いや、そんなことないよ俺。何度かはあるよ」「もうええかって思った瞬間みたいなのは、生まれて・・・・ないですか?1回か2回ない?」と答え、共演者であるタレントのヒロミも「もういいかなって思ったことはあるね」と同意していました。松本は、女優の竹内結子が自殺した際にも「やっぱり、何度か俺もちょっとそういうことがね。自分で終わらしたると思った、よぎることって実は何度か俺もあるのね」と語っています。
また、ビートたけしも、バイク事故で重傷を負った時に、次のように「(事故は)無意識の自殺みたいなものだった」と自殺しようと思って自ら引き起こしたのではないかと振り返っています。
「今になって考えてみると、オレは自殺したんじゃないかって思うことがある。あれは自殺だったと考えるのが一番無理がない。自殺したいって意外に理由が見つからないから」
そして、次のようにも語っています。
「急に爆発するから怖いよね。俺、電車に乗るの怖いもん。ホームから飛び降りる気がしてイヤなんだよね。なんかフワッっとなるときあるじゃん。だからすごく怖いの。そういうことをあんまり言わないようにしてんの。ほんとになっちゃうとイヤだから」
イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」の世論調査で1位にもなった人ですが、彼は次のように自殺の衝動に対する恐怖を語っていました。
「私は、特急列車が通り過ぎるときに、ホームの前の端に立っているのがいやだ。後ろのほうに立っていたい。できれば列車と私の間に柱をはさんで立っていたい。私は船のへりに立って海をのぞき込むのがいやだ。一秒の行動がすべてを終わらせてしまう。ほんの少しの自暴自棄な気持ちが」
実際、自殺者は多く、日本では2万1321人(2017年)となっており、10~39歳の各年代の死因の第1位です。
また、「日本財団自殺意識調査2016」によれば、53万5000人が自殺未遂を経験、25.4%(約4人に1人)が「これまでの人生の中で本気で自殺したいと考えたことがある(自殺念慮)」と答えています。
人間には無有愛といって、無になりたい(死にたい)という煩悩があります。
「死にたいと思ったことがない」などと言う人は気づいていないだけです。
「私は精神科医、また1人の人間として、この世には自殺願望から常に離れられない人々がいることを知っている。私はそうした人々に、精神科医がよく言う、あのありきたりの決まり文句を捧げたい。
『もし100人の人に、あなたは自殺したいと思ったことはありますかと聞けば、90人はありますと答えるでしょう。そして残りの10人は嘘をつくでしょう』
笑い話のようだが、これは真実である」(レイモンド・ムーディー/精神科医)

自殺は愚か者

ちなみに、どんな理由があろうと自殺は愚か者がすることです。感情的な反発が聞こえてきそうですが、客観的にはこう言えます。自殺者は、意識するとしないとにかかわらず、死ねば今の苦しみから解放されると期待して自殺します。しかし、死後は地獄なので、楽になるどころか「飛んで火に入る夏の虫」で、今とは比較にならない苦しみを受けることになります。

地獄は本当にあるのか?苦しみはどれくらいか?誰が堕ちるのか?

「地獄などというのは、自殺を防止するために釈迦が説いた架空の世界」と思っている人もいますが、そうではありません。結果として自殺の防止になるだけです。ちなみに、「死後が良い世界」だと信じていれば、ギリギリの状況に追い込まれた時に自殺しやすくなるでしょう。現代超心理学は、「死後が良い世界」という主張で溢れていますが、これは現代超心理学の弊害の1つといえます。
そもそも、死後がどういう世界か明らかになっておらず、そして死後が今よりも苦しい世界であるかもしれないのに、今、苦しいか否かだけで判断して自殺しようとするのは博打のような危険極まりない行為です。
また、人間に生まれる有難さを知らないという点から見ても自殺は愚か者です。

「ありがとう」の語源。人間に生まれる有難さ

他にも理由はありますが、自殺は無知からくる悲劇なのです。
もっとも、こういったことをほとんどの人は知らないのですから、愚か者は自殺する人だけではありません。

自殺志願者は死の恐怖を乗り越えられたのか

「死が怖くない」などと高を括っていた人が、いざ死に直面するとまったく逆の反応を示すことを、こちらで詳しく説明しました。

死より怖いものはない。死は怖くないと思わせる心がある。死の恐怖は人間の優れた能力。

同じことは自殺志願者にもいえます。自殺する人は、今より死んだほうがマシだと考え自殺を選びます。死にたいという欲求と死の恐怖を天秤にかけた末に、自殺しようと「最後の一歩」を踏み出しているので、一見すると死の恐怖を乗り越えられたように見えますが、果たしてどうでしょうか。
朝日新聞に、40代の女性が、13階から飛び降り自殺を図った時の体験談がありました。
「いち、にの、さん——。
大阪市内のマンション13階の通路に腰掛けていた女性は心の中で数をかぞえ、重力に体を任せた。覚悟を決めたはずだったが、ゆっくりと落ちていく感覚の中、恐怖と後悔、絶望が襲ってきた。『死にたくない』」
骨盤を含む下半身の骨がすべて砕けたものの、落ちた場所が砂地であったことや、落ちる最中に木の枝を掴んだことなどから一命は取り止めたといいます。
一歩を踏み出す直前までは、死にたい欲求>死の恐怖、という心理状態でしたが、直後に、死にたい欲求<死の恐怖、へと変わったということであり、弱い死の恐怖から強い死の恐怖へと変わったということでしょう。
この事例では運よく助かり体験談を語れるまでになっていますが、強い死の恐怖を感じた時にはすでに手遅れで助からない事例も多いでしょう(つまり、死の恐怖の体験談を語れない)。
本物の強い死の恐怖がでれば、どんな自殺志願者も死にたいと思わないはずです。
飛び降り自殺を目撃した人の中には、「この世のものとは思えない、身の毛のよだつような断末魔の叫びをあげていた」と表現する人がいます。死を望んだ自殺者が、なぜこんな声を発するのでしょうか。
また、ある自殺志願者が、自殺しに行く途中で事故に遭いそうになり、咄嗟に逃げようとしたという話もあります。そのまま事故に巻き込まれれば労せずに死ねたかもしれないのに、なぜ咄嗟に逃げたのかということです。本能的に死は怖いと思っているということであり、本心は死にたくないということでしょう。
「首吊りをしようとしてロープが切れたら尻餅をついて『ああ、死ぬかと思った』と言った奴がいるというのは、現代人の死についての感覚がよく現れています。実感がないのです。ビルの屋上で『飛び降りるぞ』と騒いでいる奴を突飛ばそうとしたら、慌てて『危ないじゃないか』と言うようなものです。
いずれも、『死にたい』『死ぬぞ』という言葉で出てくる死は、自分の思い込みの中だけの死です。実際の死とは異なる。その人自身、死がどういうものかわかっていない。
しかし、『死ぬかと思った』『危ないじゃないか』ほうが、本当の死に近い感覚なのだと思います。現代人にとって『死』は実在ではなくなってきている。死が本気じゃなくなってきたといってもいい」(養老孟司)
 ちなみに監察医の上野正彦は次のように述べています。
「監察医として長年、多くの死と向かい合ってきたからこそ、私は自殺というのがいかに酷いものであるかをよく知っている。どんな方法であれ、楽にキレイに自殺できるという方法はない。行為に及ぶ前に自殺の悲惨な結末を知るべきであるし、その上で冷静に考えて自殺を思いとどまってほしい」

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