【幸福の欠点】有無同然。成功する苦しみがある

幸せを手に入れたために新たに生じる苦しみがあります。
モーツァルトは「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす」と言い、劇作家のバーナード・ショーは「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一つはその願いがかなうこと」と言いました。
「好事も無きに如かず」という言葉もあり、これは「たとえ良いことであっても、それがあると煩わしいので、むしろ何事もないほうがよい」という意味です。
多くの人は、無いよりは有ったほうがいいと思うかもしれませんが、そうではないのです。

有無同然とは

有っても無くても本質的な苦しみは変わらない、ということを仏教では有無同然といいます。
「尊と無く卑と無く、貧と無く富と無く、少長・男女共に錢財を憂ふ。有無同じく然り。憂き思適に等し。屏営として愁苦し、念を累ね慮を積み、心のために走せ使はれて、安き時あること無し。田有れば田を憂へ、宅あれば宅を憂ふ。牛馬・六畜・奴婢・錢財・衣食・什物、また共にこれを憂ふ」(大無量寿経)
(訳:身分が高い人も低い人も、貧しい人も富める人も、老若男女問わず、すべての人は財産のことで悩んでいる。それらが有ろうが無かろうが、悩み苦しむことには変わりなく、後々のことをあれこれと心配し、欲に振り回されて、少しも安心できない。田があれば田を悩み、家があれば家を悩む。牛や馬などの家畜や使用人、財産や衣食、日用品に至るまで、有ることで悩むのである)
また釈迦は、有無同然について「金の無い者は鉄の鎖で縛られ、金の有る者は金の鎖で縛られているようなものだ」とたとえています。
子供は早く大人になりたいと思い、大人になれば子供に戻りたいと思うのもそうです。
独身が結婚に憧れ、結婚すれば独身の気楽さを羨むのもそうです。哲学者のキルケゴールは、「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」と言いました。
ビジネスマンが成功に憧れ、成功すれば責任がない気楽さを羨むのもそうです。
この有無同然を表した次のような笑い話もあります。
昔、多くの罪を犯す盗賊がいました。ようやく捕らえることができたものの、殿様は悩んでいました。犯した罪があまりに大きかったため、当時の刑罰では間に合わなかったからです。
どんな刑がいいか散々悩んだ末、この殿様は自分がいつも乗っている駕籠に乗せて町中を歩くよう命じたといいます。
殿様の駕籠ですから、今でいう超高級車のようなものです。人から見れば羨ましく思えるでしょうが、当の本人は「いつも駕籠に乗せられて、苦しいことこの上ない」と感じており、これが刑罰に相応しいと考えたのです。
物が豊かになればなるほど、科学が発達すればするほど、便利になればなるほど幸せも増えるように錯覚してしまいますが、残念ながら、人間心理はそういう仕組みになっていません。満足するどころか不幸の種を同時に蒔いているのです。
「『物』を持てば持つほど大きな喜びにつながるという神話とは裏腹に、先進国における精神疾患や鬱病の発症度、不満の度合いは世界最高レベルなのです。相次ぐ調査でその証拠が固められているように、物質的なものを持てば持つほど幸せになるわけではありません。多ければ多いほど、大きければ大きいほど、新しければ新しいほどいいとは限らないのです。物質的な富で心の貧しさを覆い隠しているなら、どれだけ『物』があっても、その結果生じる空しさは埋められないでしょう」(アーヴィン・ラズロ/ニューヨーク州立大学教授)

心理学者のティム・カッサー(ノックス大学教授)は20年以上にわたって何百もの研究を調査した結果を次のように言います。
「物に大きな価値を置けば置くほど幸福感は薄くなる。これは日々、広告から受け取るメッセージとは対照的です。広告は物質主義や所有欲の追求、物を所有することで幸せになると言います。誰もが抱える人生の問題の解決法は消費だと言っているのです」
2013年の日本の自殺率は世界7位でG7中1位、15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっています。
2020年9月に国連児童基金(ユニセフ)が公表した報告書によると、日本の子供は「身体的健康」では1位だったものの、幸福度は最低レベル(先進・新興国38カ国中37位)だったとのことです。
「社会はこの50年の間に大きく進歩した。絶対的貧困が減り、身体的健康が向上し、教育水準が上がり、住環境もよくなった。
しかし、いまだにアメリカやイギリスなどの先進国でも、ほとんど50年前と変わっていない不幸なことがある。社会問題や家庭内の対立は昔と変わっておらず、犯罪や反社会的行動は増えている。収入や教育、身体的な病気、住環境といった外在的な問題を解決するだけでは、これ以上の穏やかで幸せな生活を生み出すことはできない。
私たちは何かを忘れている。すなわち、私たちの心である」(デイヴィッド・クラーク/オックスフォード大学教授)

涅槃経には次のような話があります。
ある家に、非常に美しい女がやってきました。
「私は功徳大天と申します。私は伺った家に望むだけの財宝をもたらすことができます」
家の主人は喜び早速もてなそうとしますが、傍にもう1人醜い女がいたことに気づきます。
「私は黒闇と申します。私が伺った家は財宝を失います」
それを聞いた主人は怒り、刀をふりあげて追い出そうとします。しかし、黒闇は言いました。
「私は功徳大天の妹です。姉とはいつでも一緒に行動しています」
主人が功徳大天に確認すると、確かにそうだと言います。
「私はいつも幸せをもたらし、妹はいつも不幸をもたらします。私を愛するなら妹も一緒に愛してもらう必要があります」
主人は驚き、両方追い出すと平穏がやってきたという話です。

事例紹介

世間には「成功者」と呼ばれるような人はたくさんいますので、いくつか事例も見てみましょう。

「カタログをながめては、お金を湯水のように使う夢にひたっていた」というココ・シャネル。
6人ほどの縫い子とともに始めた仕事から、ニューヨークタイムズ誌で「20世紀最大のデザイナー」と評されるまでになります。
特にシャネルにとって初めての香水となる「シャネルの5番」は、1921年に発売されてから1997年に至るまで世界中の香水の売り上げのトップを誇るなど、シャネルの地位を不動のものとします。元産経新聞パリ支局長で「ココ・シャネルの真実」の著者である山口昌子は「シャネルの5番」について、「シャネルの名を不朽にすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった」と言います。
夢が叶ったといえるシャネルですが、彼女は次のような苦しみを吐露しています。
「鏡の残酷さは、私自身の残酷さを教えてくれる。ひとりのあわれな女」
「私は退屈していたのだ。暇と金のある連中が味わう、あの恥ずべき退屈」
「活動的な私だが、その底にひそんでいた遊惰な資質」
「要するに私はハーレムの女になりたいと願い、願い通りの経験をし、その経験が終わったのだ」
「鮭釣りに明け暮れる生活は人生ではない。どんな惨めさも、こんな惨めさよりはましだ」
「わたしはもはや願い事をかなえてもらいたいと胸ときめかすこともできなくなった」
「すべては何にゆきつくかというと、倦怠と寄生生活にゆきつくだけなのだ」
「孤独は恐ろしい。だのに私はまったくの孤独の中で生きている。一人ぼっちでなくなるためなら、どんなにお金を出してもいいわ。一人で食事をするぐらいなら、街のおまわりさんを呼んできたっていいと思うほどよ。だけど私が出会うのは心無い連中ばかり。だけどそんな思いにひきずられてゆくと、メランコリーにとりつかれて、いつしか淵にはまってしまう」
晩年のシャネルは、孤独による不安や恐怖などの症状と不眠症に悩まされ、1日1本のモルヒネ注射が欠かせなくなっていたといいます。
世間的な成功で幸せになれたらケイト・スペードも自殺しません。
「日本一高い土地を持つ男」ともてはやされた銀座鳩居堂の熊谷道一社長は自殺しました。持っていた手帳には税金対策のメモばかりがびっしりと書き込まれていたそうですが、金を持って苦しんでいるのは彼だけではないのです。
スコットランド・エディンバラ出身のジェーン・パークスは、17歳の時に100万ポンド(約1億4千万円)の宝くじを当てました。大変喜び、旅行・ブランド品・車・不動産etc.次々と購入していきましたが、彼女は次のように後悔しているといいます。
「宝くじなんかに当たらなければよかった。私の人生は台無しになった」
「大金を得て人生が10倍良くなると思ったけど、その逆よ。宝くじに当選しなければ私の人生はもっと楽だったのに」
「金目当てで近づいてくる男ばかりで、ちゃんとした彼氏もできやしない」
「物はいっぱいあるけれど、人生が空っぽなの」
「みんな私が億万長者だから羨ましくて、私みたいになりたいって思っているのでしょうけど、どれだけ大きなストレスを抱えているかは誰にも理解できないわ」
彼女の言葉に共感する金持ちは多いでしょう。
「全日本体操個人総合選手権10連覇」「五輪個人総合連覇」「世界体操競技選手権個人総合での世界最多の6連覇を含む国内外個人総合39連勝」など、数々の偉業を成し遂げた内村航平は、次のように重圧から解放されたい気持ちがあったことを告白しています。
「ここで勝つと期待に応え続けないといけない。負けたら、『やっと負けることができた』と思って次からもっといい演技ができるんじゃないかと思った」
そして、「地獄ですよね」と苦笑します。
元プロ野球選手の清原和博は次のような苦しみを語っています。
「いまだに、生き方ということには苦しんでいます。もうずーっとそうですね、もうずーっとです・・・・。結局、ホームランより自分を満たしてくれるものはない。でもそれを、もう味わうことはできなかったし、それに代わる目標もなかった。それで、どんどん生活が荒れていきました。幸せな家族がありながら、僕は誰にも応援されない。ホームラン打者でもない自分が嫌で嫌で仕方なくて、お酒に逃げて行きました」
以前、スポーツ選手や俳優など、各分野の有名人が何人か集まる番組で、「自分の子供にも同じ仕事に就いてほしいですか?」と聞かれて、全員が「就かせたくない」と言っていました。

有無同然の真理は、偉大な科学者となっても同じです。アインシュタインも次のような孤独感を語っています。
「こんなに広く知られていながら、こんなに独りぼっちだけというのは奇妙なことだ。しかし、実際この類の人気は、その犠牲者を防御的な立場に押しやり、それが孤立につながるのだ」
大統領になっても同じです。アメリカの歴代大統領43人のうち、16人が深刻な暗殺計画の標的になっており、うち4人が殺害されています。
王子様やお姫様になっても同じです。イギリスのダイアナ妃はパパラッチに追いかけられて死んでしまいました。息子のヘンリー王子も「メディアによって自分のメンタルヘルスが破壊されていた」と言い、妻のメーガン妃も王族の一員になることについて、「人が想像するのとは違っていた」「さまざまな発言や行動を制限された」「もうすでに多くを失っている」などと語っています。2人とも王室を離れましたが、「本当に解放された気分です」と言っています。皇族となって幸せになれるなら、日本の皇太子妃も心の病で苦しまないでしょう。
結婚しても同じです。高橋ジョージと離婚した三船美佳は「今まで気にならなかったことが凄く気になる」と語っていました。
家族ができても同じです。「家族」というのは「大切なもの」の代名詞のような存在ですが、だからこそ大きな苦しみも伴います。釈迦は子供が生まれた時、「束縛する者が現れた」と言い、「束縛者」を意味するラゴーラと名づけています。東京大学名誉教授の矢作直樹は次のように、母親が死んだとき幸福感に満たされたと言っています。
「母の死を受け入れたとき、私は、これでもう心配しなければならない人はいなくなったという思いが湧き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました」
どこで何をしようが有無同然です。

芸能界で成功すれば幸せになれるか

ミシュラン三ツ星シェフになれば幸せになれるか?

高層タワーマンションに住めば幸せになれるか

女優の岡江久美子は「孫が来た 初めエンジョイ 後メンドイ」と言いました。 第1回芥川賞受賞者である石川達三の著書「幸福の限界」には次のようなセリフが出てきます。
「犠牲のない人生なんてあるかい。人間のすることにはすべて、いかなる場合にも犠牲があるんだ。人間は誰しも幸福を求める。その幸福は多くの犠牲を払って初めて求め得られる」
このように、一切の幸福は有無同然の幸福なのです。

無いという幸せ

これまで見てきたように、「無い」という幸せがあります。
平安末期の僧侶、法然は大原問答(諸宗の学僧を相手にした論議)で名声を高めましたが、彼は「次は愚鈍な者に生まれたい」と言って死んでいきました。
「人生、字を知るは憂患の始め」という言葉もありますが、頭がいいと疲れるのです。それは職場のメンタルヘルスの不調が、肉体労働よりも知的労働で高くなっていることからもわかります。
江戸時代に庄松という人がいました。この人は、今日、妙好人(仏教の篤信者のこと)と評価される人の中でも筆頭に挙げられるような人です。しかし、彼は字の縦横も知らず、8までしか数えられないため、周りからは「八文」と言われてバカにされていました。そのため、この庄松が法然の生まれ変わりではないかという噂もあるぐらいです。
また、法然の弟子の親鸞は「教信沙弥のように生きたい」と言っていました。教信沙弥は、大変な学僧だったにもかかわらず、すべて捨てて賀古で隠遁生活を送ったという人です。
小説家の林芙美子は、「ああ、生きるのがこんなに難しいものならば、いっそ乞食にでもなって、いろんな土地土地を流浪して歩いたら面白いだろうと思う」と言いました。
このように、人間にはフーテンの寅さんのような生き方に憧れる心があるのです。
ホームレスを見て「かわいそうに」と思ったり、あるいは軽蔑したり、ホームレスに転落することに怯えたりする人は多いですが、そう単純な話ではありません。自分のほうが「かわいそうな生活」をしているかもしれないのです。

無くても苦

念のため言いますと、無くても苦しみであることに変わりありません。
たとえば、無ければ楽になると考えて、手に入れた幸せを捨てたり、幸せを手に入れる努力をしない人は多いです。また、無い幸せを強調する仏教徒も多いです。
確かに、有るという苦しみはなくなりますが、その幸せも無常であり、今度は無い苦しみが出てきます。無常である以上、有っても無くてもどこで何をしても根本的に人生は苦しみであり、すべての人間は「かわいそうな生活」をしているのです。人生が、いかに苦しみで溢れているかについてはこちらで詳しく説明します。

【人生は苦なり】誰でも1度は死にたいと思ったことがある。 なぜ人生は苦しみで溢れているのか?四苦八苦の本当の意味とは?

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