人間は、自分に都合がいい人を「いい人」だと思い、自分に都合が悪い人を「悪い人」だと思う
人間は利己的な動物であり、自分が1番大切です。 人間の愛は偽物。人間の本性は我利我利亡者 人間は他人を評価する際、「自分の都合」を入れてしまいます。つまり、自分に都合がいい人を「いい人」だと思い、自分に都合が悪い人を「悪い人」だと思ってしまうのです。アインシュタインは次のように言いました。「私が役に立つかぎり、人々は私におもねります。でも、自分たちが賛成しない目標のために力を尽くそうとすると、自分 […]
人間は利己的な動物であり、自分が1番大切です。 人間の愛は偽物。人間の本性は我利我利亡者 人間は他人を評価する際、「自分の都合」を入れてしまいます。つまり、自分に都合がいい人を「いい人」だと思い、自分に都合が悪い人を「悪い人」だと思ってしまうのです。アインシュタインは次のように言いました。「私が役に立つかぎり、人々は私におもねります。でも、自分たちが賛成しない目標のために力を尽くそうとすると、自分 […]
仏教では、人間には「慢」という煩悩があると説かれます。煩悩の中でも特に強いものが6つあり、六大煩悩といいますが、慢はその中の1つです。 慢は主に次の7種に分かれます。 慢人を見下し、自惚れる心 過慢自分と同等の人に対しては自分のほうが優れていると思い、自分より優れている人に対しては自分と同等とする心例:自分とスキルが同じぐらいの人を見て、「スキルだけでなく、ルックスもいいから総合的に自分のほうが上 […]
「諦める」の語源 真理のことを諦といい、真理を明らかに観察することを諦観、真理を明らかに聞くことを諦聴といいますが、様々な力が働き、諦観・諦聴することが難しくなっています。煩悩といった内からの力だけでなく、歪んだ情報や社会的な圧力といった外からの力もあります。ちなみに、現代で使われる「諦める」の語源はここから来ています。 主観が入る(一水四見) 人間は業でできています。業について詳しくはこちらを参 […]
江戸時代に庄松という人がいました。この人は字の縦横も知らず、8までしか数えられないため八文と言われて周りからはバカにされていたような人です。世間的には愚鈍な人ですが、仏教的にはそうではありません。庄松は、今日、妙好人(仏教の篤信者のこと)と評価される人の中でも筆頭に挙げられるような人です。鈴木大拙という仏教学者が庄松のことを英訳して海外にも広めたので、世界的にも知られています。よく「仏法は知りそう […]
知識の重要性 「知識や経験がないほうが偏見がなくいい」と信じ切っている人もいますが、無知が悲惨な結果をもたらすこともあります。たとえば火の怖さを知らなければ、思い切り手を突っ込んで大火傷を負ってしまいます。この場合、無知であることは、偏見が染みつく以上のデメリットです。仏教の学問を教学といいますが、教学は、日本語のひらがな、英語のアルファベットに相当するものであり、最低限のことは知らなければなりま […]
菩提(真実の幸福)のために、釈迦をはじめ多くの仏教徒が熾烈な求道をしました。一例をあげましょう。 釈迦 まずは、仏教の開祖である釈迦に学びましょう。 すべてを捨てて求道した釈迦に学ぶ 達磨と慧可 中国禅宗の祖、達磨は、壁に向かって9年間座禅を組んだという人です。やがて手足が腐り、このままだと命が危ないため両手両足を切断したといいます。今日、一つのことに忍耐強く努力することを「面壁九年」といいますが […]
諸行無常 仏教には諸行無常という言葉があります。一切のもの(諸行)は続かない(無常)という意味です。鴨長明の方丈記の冒頭には次のようにあります。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」哲学には「同じ川は2度入れない」という言葉もあります。物理学でも関連する法則に、熱力 […]
次の言葉はすべて、元は仏教用語です。 あ行 「挨拶」「愛着」「諦める」「悪魔」「アバター」「阿弥陀」「ありがとう」「安心」「意地」「意識」「意地悪」「一大事」「引業」「因縁」「有頂天」「会釈」「縁起」「演説」「億劫」 か行 「開発」「餓鬼」「覚悟」「我慢」「勘忍」「甘露」「教授」「愚痴」「下品」「快楽」「玄関」「乞食」「言語道断」「金輪際」 さ行 「懺悔」「三昧」「自覚」「食堂」「四苦八苦」「示談 […]
幸せを手に入れたために新たに生じる苦しみがあります。モーツァルトは「新しい喜びは、新しい苦痛をもたらす」と言い、劇作家のバーナード・ショーは「人生には二つの悲劇がある。一つは願いがかなわぬこと、もう一つはその願いがかなうこと」と言いました。「好事も無きに如かず」という言葉もあり、これは「たとえ良いことであっても、それがあると煩わしいので、むしろ何事もないほうがよい」という意味です。多くの人は、無い […]
聴聞とは、「聴」も「きく」で「聞」も「きく」と書きますが、真実の仏法を聞くことをいいます。 仏法は聴聞に極まる 「仏法は聴聞に極まる」といわれるぐらい、聴聞は重要です。・聴聞でしかわからないなぜ、これほど聴聞を重視するのかというと、仏教の一切は聴聞によってのみ理解できるからです。自己にしても、無常や罪悪にしても、死や地獄にしても、聴聞でしか知ることができません。つまり、苦悩の根本解決は聴聞でしかで […]