釈迦の生涯。釈迦は何に悩み、どう解決し、何を伝えたかったのか

仏教の開祖、釈迦について説明します。

釈迦とは

釈迦の名

釈迦という名前は、サンスクリット語のシャーキャの音写です。
釈迦の呼び名は複数あり、一例を挙げます。
・本名
本名は、ガウタマシッダールタといいます。

・称号
仏陀や世尊など、称号をそのまま釈迦の別名にすることもあります。
地球上で仏になったのは釈迦だけなので、称号だけで釈迦を指していると分かるのです。

仏とは何か?釈迦も仏、真理も仏。

・称号を加えた呼び名
次のように称号を加えた呼び方をすることもあります。
「釈迦仏」
「釈迦如来」
「釈尊」
「釈迦牟尼」
牟尼とは「聖者」を意味します。

・善知識
善知識とは、広義では正しい仏教を伝える人全てを含みますが、本来は釈迦を指します。

仏教の正しい先生を善知識という

家族構成

釈迦の主な家族構成です。
父:浄飯王(じょうぼんのう)。カピラ城の城主。
母:摩耶夫人(まーやーぶにん)。隣国コーリ城主の娘。
妻:ヤショダラ姫
子:ラゴーラ。束縛者の意。釈迦十大弟子の1人。

釈迦の脇士

本尊の左右両脇に侍しているものを脇士といい、本尊によって変わりますが、釈迦の脇士は文殊菩薩と普賢菩薩になります。
・文殊菩薩
釈迦の脇侍(左)で、智恵の象徴です。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺にもなっています。

・普賢菩薩
釈迦の脇侍(右)で、慈悲の象徴です。

釈迦の一生

釈迦の一生を時系列で説明します。

誕生から青年期まで

まずは、誕生から青年期までを説明します。
釈迦は生まれた時から、普通の人には無い行動や言動をします。
・誕生時
今から2500年程前の4月8日、インド(現在のネパールのルンビニ)にて、シャカ族の王子として誕生しました。
生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩き、右手で天を指差し「天上天下唯我独尊」と喋ったと伝えられます。

・幼少時
幼少から人並み外れた才能を発揮します。
7歳の頃、学問と武芸の先生として、それぞれバッダラニーとセンダイダイバーというインドで1番優れているとされる家庭教師が付いていました。
しかし、あっという間にこの2人の能力を上回ってしまい、2人が「太子には何も教えることが無い」と辞職を願い出た程だったといいます。

・結婚
16歳で、コーリ城のヤショダラ姫と結婚し、子供を設けました。

出家するまで

成長するに従い、生活に不満を持ち、苦しむようになります。
最終的に出家するまでに至りますが、その経緯を説明します。
・無常観と罪悪観
日々の生活の中で、釈迦は非常に敏感な無常観罪悪観を観じます。
例えば、鳥が虫を啄む光景を見て、世の無常を観じたり、弱肉強食の食物連鎖の頂点にいる人間が造る罪悪に驚くといった具合です。
普通の人であれば、気にも留めなかったり、逆に嬉々として見るかもしれませんが、釈迦は激しい恐怖や苦悩に感じたのです。

・四門出遊
出家する大きな動機となった、四門出遊という話があります。
まず、東門、西門、南門を出た釈迦は、それぞれ次の人々に出会いました。
東門:老人
南門:病人
西門:死人
これらを見た釈迦は愕然とし、「自分もやがてこうなってしまうのか」と「老」「病」「死」の苦を、決して避けられない問題として感じたのです。
そして最後に北門を出た時、沙門と出会いました。その時、悠然と歩くその姿に安らぎを感じ、本当の安楽は出家の中にこそあると思ったのでした。

釈迦が出家する大きな動機となった四門出遊とは?

・不安な日々
釈迦は、日々の生活にとても不安を感じていました。
「老」「病」「死」といった人生の根本的な苦悩が、日増しに強くなっていたのです。

・王の阻止
いつも憂慮している釈迦を見て、父である浄飯王も頭を悩ませていました。
何とかして釈迦に王位を継承させたかった王は「このままでは本当に出家してしまうかもしれない」と恐れたのです。
そこで、三時殿と呼ばれる、夏期・雨期・冬期の3つの季節に対応した宮殿を建立したり、インド中の美女を集め、贅の限りを尽くした宴を催す等、様々な手段を用いて釈迦を思い止まらせようとしました。欲に耽溺させることで居心地を良くさせ、出家を阻止しようとしたのです。
しかし、何をやっても釈迦に変化はありませんでした。それどころか、火に油を注ぐ形となり、益々出家への思いを強くしていったのです。

出家の決断

業を煮やした浄飯王は「ここまでやってあげているというのに、お前は一体何が不満なんだ。願いは何でも叶えてやるから言ってみろ」と問い質しました。
すると釈迦は、「私の願いは、「老」「病」「死」の苦が無くなることです。この願いを叶えて頂けるのなら王となります」と答えました。
当然この願いは浄飯王には叶えられません。何も言えなくなり、終には釈迦の出家を止めることができなかったのです。
そして、29歳の時に、五比丘(ごびく)と呼ばれる5人の沙門を連れ、生老病死といった人生の根本解決をするため出家しました。
・全てを捨てる
出家したということは、全てを捨てたということです。
家族も王位も捨てたわけですが、こういったものを大事にしていなかったわけではなく、むしろ非常に大事にしていました。
それにもかかわらず捨てたということは、生老病死の根本解決は、大事な家族よりももっと大事な問題であることを意味します。

修行から仏の悟りを開くまで

全てを捨てた釈迦は、文字通り背水の陣で修行します。
・師を探す
悟りを開くために釈迦が最初にしたことは、師匠探しでした。
アララ仙人やウッダカ仙人といった人の元で、主に瞑想や坐禅による修行をします。
釈迦はあっという間に、この修行における最高位の境地に至りますが、とても満足できるものではありませんでした。

・苦行に次ぐ苦行
次に山林に入り、想像を絶する苦行に入ります。
絶食を始めとした禁欲や、息を止めたり激しく肉体を痛めつけることで、何度も仮死状態になったと言います。

・仏の悟り
そんな苦行が6年間も続き、「悟りを開けなければこの座を立たない」という決意の末、終にブッダガヤの菩提樹の下で仏の悟りを開きました。
釈迦が35歳の時です。
悟りには52段階あり、最高位の52位を仏の悟りと言いますが、地球上で仏の悟りを開いたのは、後にも先にも釈迦のみです。

布教

何週間も深く悩んだ末、終に布教することを決意しました。
・初転法輪
釈迦が悟りを開いた後、五比丘に対して行われた最初の説法を初転法輪と言います。
この時に「人生は苦なり」と言い、全ての人は皆苦しんでいると説きました。

【人生は苦なり】誰でも1度は死にたいと思ったことがある。なぜ人生は苦しみで溢れているのか?四苦八苦の本当の意味とは?

・仏教
釈迦が35歳で仏の悟りを開き、80歳で入滅するまで、仏として45年間布教した教えを、今日仏教と呼んでいます。
仏教は「仏の教え」と書きますが、仏とは釈迦を指します。
ですので、釈迦の教え以外の教えは仏教ではないのです。

・経典
仏教は、数千巻にも及ぶ膨大な量の経典として残されています。

十大弟子

釈迦の弟子の中で、特に主要な十人を十大弟子と言います。
・舎利弗(しゃりほつ)
智慧第一。阿弥陀経等、釈迦が舎利弗にした説法の内容が、経典に多く残されている。
バラモンの子に生まれ、初め外道の弟子となったが、目連と共に釈迦に帰依した

・目連(もくれん)
神通第一。舎利弗と同じ外道の弟子となったが、舎利弗に従って仏弟子となる。摩訶目犍連ともいう

・摩訶迦葉(まかかしょう)
頭陀(ずだ)第一。第一回の結集では指揮を執る。
禅宗の始祖。邪教の旗頭で五百人の弟子を持っていたが、釈迦の説法に感動し、弟子共に釈迦に帰依した

・須菩提(しゅぼだい)
解空第一

・富楼那(ふるな)
説法第一。
観無量寿経では釈迦の命を受けて幽閉されているビンバシャラ王に説法した

・摩訶迦旃延(まかかせんねん)
論議第一

・阿那律(あなりつ)
天眼第一

・優波離(うぱり)
持律第一。釈迦の従弟。

・羅ご羅(らごら)
密行第一。釈迦の実子。

・阿難(あなん)
多聞第一。釈迦の従弟で、釈迦の身の回りの世話を1番よくした人。第一回の結集にも参加し、「是くの如く我聞きたまへき」と証言する。経典には、阿難が聞いた言葉が多く残されている。

涅槃

涅槃(ねはん)とは、サンスクリット語のニルヴァーナの音写で、中国語で入滅、日本語では煩悩が吹き消された安らぎの世界を意味し、仏の死を指します。釈迦は80歳で涅槃に入りました。

肉体を切っても煩悩は消せない。釈迦にも煩悩があった。煩悩を消さずに救われる煩悩即菩提の境地とは

・自灯明法灯明
嘆き悲しむ弟子に向かって釈迦は、法を灯とするよう説きました。
法を灯とすることで、自らを灯とすることができます。これを自灯明・法灯明の教えと言います。

釈迦が伝えたかったこと

釈迦は膨大な教えを説きましたが、釈迦の願いはただ1つ、人々の死の解決です。

天上天下唯我独尊

先に触れたように、釈迦は生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩き、右手で天を指差し「天上天下唯我独尊」と喋ったと伝えられます。 実際に歩いたかどうかは別として、この話の本質は次の2点です。
・7歩
「7」という数字は「6+1」であり、六道から1歩出る、つまり六道輪廻からの解脱を表しています。

・天上天下唯我独尊
これは「私しかできないたった1つの尊い使命がある」という意味です。
この言葉の中の「私」は、釈迦だけでなく、釈迦以外の全ての人にも当てはまり、それぞれ次のようになります。
釈迦の使命:仏として仏教を人々に説き示すこと
釈迦以外の人の使命:死の解決をすること

釈迦は阿弥陀仏の宣伝マン

人間を救えるのは阿弥陀仏だけです。阿弥陀仏は釈迦の先生にあたる仏で、釈迦も阿弥陀仏の力で仏になることができました。

阿弥陀仏とは?釈迦の先生でもある阿弥陀仏について説明します

釈迦は阿弥陀仏の本願を説きに還相廻向の菩薩として地球上に現れた、いわば阿弥陀仏の宣伝マンなのです。一つの星に一仏というのが基本で、釈迦は地球担当となります。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(正信偈)
(書き下し:如来世に興出したまう所以は、唯弥陀の本願海を説かんとなり)
(訳:釈迦がこの世に出られた理由は、阿弥陀仏の本願一つを説くためであった)
阿弥陀仏の本願は、広くて深い願いであるため海にたとえています。また、「只」ではなく「唯」という字を使っています。「只」は、只で物をもらった時に使う字ですが、「唯」は唯一という意味です。
経典は阿弥陀仏を誉め称えてばかりいるので、天台の荊渓という人は、「諸教の讃ずるところ、多く弥陀にあり」と言い、「一切経は阿弥陀仏の提灯持ちじゃないか」と驚いています。
・如来
仏のことを如来ともいいますが、これは真如来現の略であり、真如とは真理のことです。つまり、仏とは真理を説きに来たり現れた方ということです。

・経典には南無阿弥陀仏と書いている
膨大な経典は、要約すれば南無阿弥陀仏の六字が書かれてあるといえます。
「一代聖教みな尽きて 南無阿弥陀仏に成り果てぬ」(一遍/辞世の句)
(訳:すべての聖教は、約めれば「南無阿弥陀仏」が書かれているのである)

「一切の聖教といふも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこころなりと思うべきものなり」(御文)
(訳:すべての聖教は、南無阿弥陀仏の六字を信じさせるためにあるのだ)

南無阿弥陀仏とは最上の薬。名号を本尊にする

・説き尽くせなかった
釈迦は45年もの間、阿弥陀仏の本願を説き続けましたが、あまりの功徳の大きさに、「説き尽くすことができなかった」と言っています。
「我無量寿仏の光明威神の巍巍として殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも、尚未だ尽くすこと能はず」(大無量寿経)
(訳:阿弥陀仏の光明の偉大で尊いことを、私が一劫もの間、昼も夜もなく説き続けても、なお説き尽くすことはできない)

〇親が子を思うよりも願っている
親は子供のことを常に思っていますが、それ以上に釈迦は人類の死の解決を願っています。
「我、汝等諸天人民を哀愍すること、父母の子を念うよりも甚だし」(大無量寿経)
(訳:私が、すべての生物をあわれむ心は、親が子を思うよりもはるかに超えている)

・釈迦の苦悩
世間的な苦しみとは異なりますが、釈迦にも苦しみがあります。
ある時、弟子の1人が釈迦に「仏にも苦しみがあるのでしょうか」と聞いたところ、釈迦は「雨が降るが如く人々が地獄に堕ちている姿が見える。それが苦しみである」と答えています。つまり、釈迦は「人々が苦しむことに苦しむ」といえます。念のため言いますと、だからといってこの苦しみが障りとはなりません。

釈迦の過去世

釈迦は今生だけでなく、過去世から法のために一切を捨てています。ジャータカ(釈迦の前世物語)からも紹介しましょう。

すべてを捨てて求道した釈迦に学ぶ

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